地図にもそのように記載されていました)。 雪に埋もれた行き先を示す看板 しかし、10分、15分・・・と歩いても中々、記念碑が見えてこないのです。 行けば行くほど雪に覆われる山道 落ちたら危ない しかも、私が訪れたのは雪が積もっている冬でした。雪道で行き交う人もいませんでした。道は真っ直ぐな
なノリでした。 ノルマンディーにあるレプリカの対空砲、本物ではないのでやられる可能性0 戦跡や博物館は観光地化が進むヨーロッパ ヨーロッパの戦跡というと、アウシュビッツ強制収容所、アンネ・フランクの家をイメージしてしまいます。そのため、ユダヤ人の迫害、虐殺という負の歴史なので重たいイメージを持たれ
す。それも、現地まで足を運ぶことによって得られる感動の一つだと思います。 何気ない街角も知識を付けるだけで立派な観光地になる 1945年、独ソのベルリン最終決戦の跡地を散策編では、ベルリンのど真ん中にある2008年まで使用されていたテンペルホーフ空港跡地を紹介しました。 テンペルホーフ空港には、ナチス時代
】シニア旅行者 ヨーロッパを周遊している日本人の旅行者で、一番多いのがシニア旅行者です。 ヨーロッパの一般的な観光地は当然、東欧のマニアックな都市にもいます。団体ツアーで参加している方々が多いですが、夫婦などで旅行しているケースも多いです。 特徴として、若かりし頃は現代ほど海外旅行が一般的ではなかった世代です
の博物館の展示をじっくり見学していると、それだけで1日が過ぎてしまいます。当然、海外旅行には時間に制限があります。他の観光地を周る兼ね合いも考えて、効率的に周ることが必要です。ですから、博物館は一部分だけを重点に見学するという方法を勧めます。 ②大英帝国戦争博物館の前で開門を待つ人々 博物館オリジナルのコー
皮をつなぎ、最終的には戦勝国となっています。 しかし、ポーランドに関しては、戦後、ソ連の後ろ盾を得た共産主義のルブリン政権が権力を握ったため帰国できませんでした。そのため、ポーランドの亡命政府の構成員は戦後、他国へ移住していきました。 純粋な戦勝国はイギリスのみで、残りのヨーロッパの戦勝国の国々は、敗戦国でもあ
した。20代の頃は、純粋に海外の行ったことない未知の国、都市へ行くことが目的でした。旅行スタイルもガイドブックを片手に観光地を周るごく普通の旅行スタイルだったのです。 その旅行の中で、特に何に興味を持っていたかというと、戦争遺跡でした。 旧ユーゴスラビアの国々の都市の生々しい内戦の跡、イラク戦争直後の中東の国々
宮殿は、第1次世界大戦直前に作られた多目的イベント会場として作られます。戦後のワイマール時代は、政治集会に使われることが多くなりました。 スターリングラードの戦いで敗北した時、ゲッペルスが絶叫したスポーツ宮殿は、今ではアパートの建物となっているのです。 詳しくは、ベルリンの中心部に眠る、ナチス時代の遺産を巡る散
訪れた旅行者が、最初に降り立つのがそのヴォルゴグラード空港です。空港のターミナル自体はそれほど大きくなく、飛行機を降り立つと小さいカウンターを抜けたらすぐに外に出られます(モスクワ乗り継ぎの場合、入国審査はモスクワで行われるため)。また、搭乗する時もゲートの荷物検査が1ヶ所しかなく、狭い待合室とその奥に軽食が取れるバー
母なる祖国像の隣には、教会もあり、新郎新婦や新生児が洗礼を浴びている姿も見られます。 ヴォルゴグラード市内ではあまり観光客の姿は見られませんが、ママエフの丘は国内外からの観光客で賑わっています。景観が良いので、丘に寝そべって一休みしている人たちの姿も多くみられます。 教会 今でも現役で稼動するトラクタ