【第63回】神奈川県に存在するナチスドイツの史跡 ~箱根編~|トピックスファロー

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2018年11月20日
【第63回】神奈川県に存在するナチスドイツの史跡 ~箱根編~

第二次世界大戦中、同盟国であるドイツ海軍の戦艦が横浜港で大爆発する事件が発生。そのため日本軍は、ドイツに帰国することができなくなった兵士達のために、箱根の温泉宿を斡旋しました。そこで日本人との交流も生まれました。

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ドイツ軍と日本の民間人の交流について

ドイツ軍兵士と日本の民間人の交流というと、第一次世界大戦中、日本と交戦国だったドイツ軍の捕虜が抑留されていた徳島県の坂東のドイツ村が有名です。この時の様子は、映画にもなりました(「バルトの楽園」(2006年公開))

そして、第二次世界大戦。同盟国となったドイツ軍兵士と日本人の交流が、箱根にあったのです。

横浜港での爆発事件によって、帰国まで箱根に抑留されたドイツ海軍の兵士

1942年11月30日に起こった、横浜港軍艦爆発事件。これにより、ドイツへの帰国を閉ざされた100名程のドイツ軍の兵士が箱根へやってきます。芦之湯の松坂屋本店が寄宿舎となりました。

横浜港軍艦爆発事件については、「【第62回】神奈川県に存在するナチスドイツの史跡 ~横浜編~」で紹介しています。

当時、戦時中ということもあり、松坂屋本店は温泉宿として通常営業をしておらず、横浜などからの学童疎開を受け入れていました。そこにドイツ軍兵士もやってきて大所帯となります。
ドイツ軍の兵士は、旅館といえども軍隊の規律正しい生活を送った一方、疎開中の子供達や引率の女性教師達との仲睦まじい交流もありました。

寄宿場所となった松坂屋本店

松坂屋本店は、現在でも当時と同じ場所で、温泉宿として営業しています。

箱根観光の起点となる「箱根湯本」駅からバスに乗り、松坂屋本店に向かうと、急カーブを何度も曲がりながら箱根の山を登っていきます。ドイツ軍兵士を収容していることを世間から隠すためにも、山間にある松坂屋は最適な場所だったかもしれません。

松坂屋本店の入り口▲松坂屋本店の入り口

当時の箱根でのドイツ軍兵士の様子について、詳しくは「帰れなかったドイツ兵 太平洋戦争を箱根で過ごした誇り高きドイツ海軍将兵」(光人社NF文庫)を読んでみると良いかもしれません。横浜港での爆発事件の経緯、戦時中のドイツ軍兵士と箱根の地元の人達との交流や、1991年、元ドイツ軍兵士達が来日して箱根を訪れたことなどについて触れられています。

ドイツ兵がお礼に掘ってくれた池

日本の同盟国だったドイツ兵は、日本海軍から食料や物資の特別配給を受けることができました。さらに、松坂屋本店の従業員や地元の人達から好意にされたこともあり、ドイツ兵はお礼に松坂屋本店の前に、空襲に備えた防水用の池を掘ったそうです。

防水用の池を作ったことで、ドイツ兵は町から表彰され、お礼に日本酒一樽をもらいます。しかし、その日本酒を町まで取りに行った兵士たち数人が我慢できず、途中の道端で全部飲み干してしまい、案の定、上官から叱られ、納屋に入れられる罰を受けることになりました。
その他の兵士たちは、そんな兵士達を見て『罰を受けてでもいいから自分もお酒を飲みたかった・・・・』と思ったという、少し微笑ましいエピソードもあるそうです。

ドイツ兵が掘った池は「阿字ヶ池(あじがいけ)」と名付けられ、今でも残っています。

風流なたたずまいの阿字ヶ池▲風流なたたずまいの阿字ヶ池

軍人が掘ったということで、筆者は巨大で殺風景なものを想像していましたが、温泉に似合うこぢんまりとした風情がある池で、ゆっくりと観賞したい気持ちにさせてくれました。

ドイツ軍の鉄十字が刻まれたドイツ軍兵士の墓

松坂屋本店の北側にある墓地には、箱根での滞在中、唯一亡くなった兵士の墓があります。
メチルアルコールの摂取による事故死だったようですが、池を作ったお礼の日本酒を道端で飲み干してしまったように、抑留生活でいかにドイツ軍兵士がアルコールに飢えていたかがわかります。さすがは昔も今もビールが大好きな国民です。

そのドイツ軍兵士の墓には、ナチスの鉤十字ではなく、ドイツ軍伝統の鉄十字が彫られています。

第二次世界大戦時のドイツ軍というと、占領地でのユダヤ人の虐殺、強制収容所というイメージが強いですが、残虐行為を指揮していたのは、占領してからやってくる後続でやってくるナチス直属の親衛隊。

ドイツの軍隊はプロイセン時代からの伝統的な組織なので、第一次世界大戦の後に誕生した成り上がりの政党ナチスとは反目することが多かったのです。ドイツ国防軍の上層部も国から命令されて、仕方なく残虐行為に加担する一方、ヒトラー暗殺など謀反を起こすのも多くはドイツ国防軍でした。

箱根滞在中に唯一亡くなった兵士の墓▲箱根滞在中に唯一亡くなった兵士の墓

第二次世界大戦中、外交団が疎開してきた箱根

横浜港軍艦爆発事件とは少し話が反れますが、戦時中、各国の外交団が箱根に疎開してきたことを触れたいと思います。

アメリカ軍の空襲が激しくなってきた第二次世界大戦末期、東京にあった同盟国や中立国大使館が箱根の富士屋ホテル、強羅ホテル(1998年で閉館)に避難してきました。

日本政府は、中立国、同盟国の大使館が疎開をしてきていることを理由に、中立国のスイスを経由して、連合軍に向けて箱根一帯の無防備都市を宣言したため、連合軍の空襲対象から除外されました。

日本も第二次世界大戦戦争当初は、日露戦争、第一次世界大戦の時のように敵国の連合軍の捕虜を大切に扱っていました。その扱いが乱雑になるのは、日本が苦しくなる戦争の中盤以降です。日本国民さえ生活が困窮している中、さすがに敵国の戦時捕虜まで手がまわらないというのが真相でしょう。

しかし、松坂屋本店に寄宿していたドイツ軍兵士たちなど、日本国内の同盟国だったドイツ人は先にドイツが敗戦して、表向きは敵性外国人となっても終戦まで保護されていました。
同様にドイツにいた日本人も同等の扱いでもてなされ、ドイツの敗戦時には民間人は、まだ日本と交戦国ではなかったソ連軍が日本への送還の便宜をはかってくれました。

同じ同盟国でも立場が微妙だったのがイタリアです。
戦争中盤に敗戦して、連合国側の新政権(パドリオ将軍)、同盟国側の旧政権(ムッソリーニ)と、政権が分裂したイタリアの場合、どちらに忠誠を誓うかで日本での立場が変わってきました。しかし、大半の在日イタリア人が新政権の連合国側に忠誠を誓ったため、敵性外国人として収監されてしまいます。

当時のイタリアについては、「【第53回】イタリア、パルチザンの痕跡を露ローマで巡る旅」編で触れています。

松坂屋本店へのアクセス

箱根登山鉄道「箱根湯本」駅から、路線記号H表示のある「箱根町港」行きの箱根登山バスで約25分。「東芦の湯」停留所で下車した後、「芦の湯・湯の花温泉入口」と書かれた看板(すぐ下に「松坂屋本店」の看板もあります)が示す方向に歩いて約4分。

▲「東芦の湯」停留所の近くにある看板

大きな「松坂屋本店」の看板が見えるはずです。(2018年11月現在の情報なので、行くときは念の為ご確認ください。)

現在の横浜港▲松坂屋本店前の看板

その看板の奥に進めば、松坂屋本店の入り口です。

また、「東芦の湯」停留所に行く途中にある、「ホテル前」停留所で下車するのもオススメです。その停留所のまさに目の前に、先程の話にも出た「富士屋ホテル」があります。

残念ながら2018年4月から耐震補強・改修工事をしており、2020年夏(予定)までホテルは休館です。しかし、旧御用邸の別館「菊華荘」は営業しており、昼食や日本庭園が楽しめます。菊華荘も歴史ある建物なので、訪れてみると良いかもしれません。(念の為、行く前には富士屋ホテルのホームページ(https://www.fujiyahotel.jp/)をご確認ください。)

2018年11月現在、改装中の富士屋ホテル▲2018年11月現在、改装中の富士屋ホテル

また、「東芦の湯」で降りず、そのままバスで、芦ノ湖遊覧船乗り場がある「元箱根港」まで約15分、さらに乗り続け5分ほどで箱根関所がある「箱根関所跡」に着きます。

関所から見える芦ノ湖▲関所から見える芦ノ湖

当時の関所での調べの様子が再現されている▲当時の関所での調べの様子が再現されている

筆者は、お昼ごろ箱根湯本駅に着いて、昼食を取った後、13時頃のバスで松坂屋本店に向かい、箱根の関所まで行きました。
帰りは16時半ごろにバスで「箱根関所跡」から乗車し、「ホテル前」(富士屋ホテルの前)で下車。そこから徒歩で最寄りの「宮ノ下」駅へ行き、箱根登山鉄道で「箱根湯本」駅まで戻ってきたのは18時でした。

宮ノ下駅で入線してくる箱根登山鉄道▲宮ノ下駅で入線してくる箱根登山鉄道

松坂屋本店の入口で番頭さんに問い合わせたところ、松坂屋本店の館内に戦時中のドイツ兵士たちの写真を展示する計画もあるそうです。基本的に館内は宿泊客しか入れないので、ドイツ兵の写真が展示された時にでも、松坂屋本店に宿泊をしてみたいなと思っています。

箱根芦之湯温泉 松坂屋本店の公式サイト
http://www.matsuzakaya1662.com/

皆さんも箱根観光のついでに、ぜひ松坂屋本店に寄ってみていただけたらと思います。

同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

ヒトラー 野望の地図帳
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,400円(税抜) 

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
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