【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その1~|トピックスファロー

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2019年1月30日
【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その1~

ヒトラーの愛人として有名なのがエヴァ・ブラウン。彼女はベルリンの総統官邸の防空壕で、ヒトラーと結婚式を挙げた直後に一緒に自殺します。それはナチスが崩壊した象徴として有名なエピソードです。そんなエヴァとヒトラーの出会いはミュンヘンでした。彼らの痕跡を巡ります。

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ヒトラーの花嫁となり一緒に運命を共にしたエヴァ・ブラウン

エヴァ・ブラウンは、1912年ミュンヘンで生まれました。ヒトラーが初めてミュンヘンにやってくる1年前のことです。

子供の頃から男の子のように活発だったエヴァは、お芝居やミュージカルが好きで女優を目指していました。しかし、学校の教師であった厳格な父親に規律が厳しい修道院女学校に入れられてしまいます。

エヴァは、修道院女学校から実家に戻ってきた後も、父親の監視下に置かれて、20歳になっても門限は午後10時と決められていました。それを守れないと父親の逆鱗に触れることになったのです。

父親はエヴァに就業経験をつけるために、写真館の店主、ハインリヒ・ホフマンに口利きをします。そして、エヴァはホフマン写真館に面接を受けに行くことになったのでした。

エヴァ・ブラウンヒトラーの愛人と言われているエヴァ・ブラウン ヒトラーをめぐる女たち(TBSブリタニカ)

ヒトラーがエヴァと出会った、ホフマン写真館

エヴァは、ミュンヘンのシェリング街のホフマン写真店で、面接を受けて働くことになります。ホフマン写真館で、修道院女学校の終了資格に応じて帳簿係として登録されますが、カメラの販売や郵便物の処理など、雑用的な事務仕事をこなしていたようです。

エヴァがホフマン写真館で働いてまもない、1929年10月初旬のある金曜日の夜。

その日、写真の整理をしていて戸棚の上のファイルを取ろうとして、椅子に上がっていました。その時、エヴァは自分の脚をじろじろ見られている視線を感じます。その日、スカートの裾を短くしたばかりだったエヴァは、裾がとても気になっていたのです。

エヴァが振り返ってみると、店主のホフマンとちょびひげをはやしてレインコートを着ている男の人がいました。

その後、3人はビールやソーセージを食べながら、お芝居や音楽の話をして盛り上がります。

ヒトラーがエヴァに家まで送っていく旨を伝えた時、エヴァは厳格な父親に怒られると思い、その申し出を断ります。そして、ヒトラーが帰った後、ホフマンがエヴァに尋ねます。

「あの人、誰だかわからなかったのかね?あのアドルフ・ヒトラーだよ!」

エヴァは、6年前にミュンヘン一揆でドイツ中を大騒ぎさせたヒトラーを知らないほど、政治には無頓着な世間を知らない少女だったのです。

これがヒトラーとエヴァが初めて出会った瞬間でした。

※ホフマンはナチス創成期からの党員でヒトラー専属カメラマン

ホフマン写真館があったシェリング街ホフマン写真館があったシェリング街

ナチスの機関が集中していたシェリング通り

エヴァが面接を受けたホフマン写真館は、ミュンヘン大学から現在も西側に伸びるシェリング通り(ShellingStrase)にありました。現在のシェリング通りは商店、レストラン、アパートなど並ぶ閑静な商店街でしたが、当時はナチスの政治に関わる建物が集中していました。

最寄り駅は、地下鉄U6,U3線のUniversitatになります。ミュンヘン大学からみて3つ目の交差点の手前の右側にホフマン写真館だった建物が残っています。

ホフマン写真館があった建物ホフマン写真館があった建物

ホフマン写真館は、ナチスの党本部も兼ねていました。現在、この建物には所有者がいますが、入口にはドイツの国章である鷲の跡があります。鷲の国章はドイツの伝統でナチス時代にも使われました。この国章跡からこの建物が政治に関わるものだったことがわかります。

鷲の紋章鷲の紋章

また、道を挟んで斜め前の建物は、ナチスの機関紙を発行していたフェルキッシャー・ベオバハターの発行所があった場所です。現在では当時の建物は残っていませんが、7番地も占有する敷地だったので、大きな発行所だったのがわかります。現在の建物には、偶然にも写真屋も入っていります。

ナチスの機関紙、フェルキッシャー・ベオバハターの発行所があった場所ナチスの機関紙、フェルキッシャー・ベオバハターの発行所があった場所

ナチスの党本部や機関紙がある建物のそばで働いていて、ヒトラーを知らなかったエヴァの天然ぶりがわかります。

イントロダクション

ホフマン写真館
住所:ShellingStrase 50

フェルキッシャー・ベオバハターの発行所
住所:ShellingStrase 33-39

ホフマン写真館は、エヴァが就職した直後にアマーリエン通り(AmalienStrase )に移転します(1929年9月)。

アマーリエン通りは、シェリング通りをミュンヘン大学側に戻り、ホフマン写真館からは2つ目の交差点(ミュンヘン大学側からは1つ目の交差点)で交わるところがアマーリエン通り。

ホフマン写真展から見てアマーリエン通りを右側に進み、テレジエン通り(TheresienStrase)と交差する最初の交差点を渡った右側の角が、ホフマン写真館があった建物です。

ヒトラーとエヴァが初めて出会った場所ヒトラーとエヴァが初めて出会った場所

ここが、ヒトラーとエヴァが初めて出会った運命の場所です。当時は1階が喫茶店で2階にホフマン写真館がありました。喫茶店はナチスの幹部が集うサロンになっていました。

現在もこの建物は1階が喫茶店、2階より上はホテルになっています。

ヒトラーへの思い

エヴァとの出会い以降、ヒトラーは度々、エヴァの元を訪れるようになります。カフェで落ち合ったり、オペラを見に行ったりとデートをしたりしましたが、その関係を公にすることはありませんでした。あくまでも表立って連れていたのは、ゲリだったのです。そのゲリは1931年、自殺をしてしまいます。

ゲリについては、「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅5 ~愛する姪ゲリ編~」を参照ください。

エヴァはゲリを失った悲しみのヒトラーを、癒そうとしました。エヴァはゲリのヘアスタイルや服装や行動も真似て、ゲリの代役になるように努めます。そのころからエヴァはヒトラーに思いを寄せるようになります。

シェリング通りとテュルケン通りの交差点仕事を終えたエヴァとヒトラーがデートをする時、待ち合わせていた。ヒトラーは車で迎えに来ていた

ホフマン写真館のすぐ近くエヴァとヒトラーが待ち合わせていた場所でひととき。ホフマン写真館のすぐ近く

【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その1~
> 【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その2~

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
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