いました。当時、サラエボがあるバルカン半島は、『ヨーロッパの火薬庫』と呼ばれていました。 その理由は、民族的にはクロアチア人とセルビア人が混在し、宗教的にはカトリック、ギリシャ正教、イスラム教が入り乱れていたからです。 また、思想的には、18世紀頃バルカン半島を支配していたオスマン帝国が衰退していくと、オースト