【第97回】子供時代のヒトラーが急死に一生を得た街、パッサウ|トピックスファロー

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2023年9月25日
【第97回】子供時代のヒトラーが急死に一生を得た街、パッサウ

税関職員の父親の仕事の都合上、生まれ故郷のブラウナウからドイツ領のパッサウへ引っ越したヒトラー。パッサウにはヒトラーが住んでいた家が2つあります。ヒトラーが子供の頃、オーストリア国外で住んでいた唯一の街です。

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ヒトラーが2番目に過ごした街、パッサウ

ブラウナウで生まれたヒトラーは、税関職員である父・アロイスの仕事の関係で、オーストリアとの国境の街、ドイツのバイエルン州のパッサウに移り住みます。

パッサウはブラウナウにも流れるイン川沿いの下流(ブラウナウから見て北東)にあります。オーストリア、チェコとの国境を接して、ドナウ川、イン川、イルツ川が交わる川辺の美しい街です。

パッサウの風景パッサウの風景

ミュンヘンからは直通列車で2時間ほど、ブラウナウからは列車で一度乗り換えて、約1時間~1時間半の距離になります。列車がパッサウ近くになると、イン川と並走して走ります。

ヒトラーがパッサウで過ごした最初の家

パッサウでヒトラーが4歳になる前まで暮らした家(1893年1月まで)はパッサウ中央駅から比較的近くにあります。

パッサウ中央駅の東側(駅を出て右側)に旧市街が広がり、ヒトラー一家がパッサウで最初に住んだ家はその近くにあります。駅前のバーンホーフ通りを右手に進みルートヴィヒ広場からルートヴィヒ通りを歩き、右側、2番目の道沿い(テレジエン通り)にあります。

ルートヴィヒ通りルートヴィヒ通り

何階にヒトラー家が住んでいたかはわかりませんが、現在、黄色の4階建ての建物で、1階はバーのようになっています。

ヒトラー一家、パッサウでの最初の家ヒトラー一家、パッサウでの最初の家

イントロダクション
住所   :Theresienstr 23

関連動画
ヒトラーの青年時代を追う旅 パッサウ編① 子供時代のヒトラーが唯一住んだドイツ領の家。
ヒトラーの青年時代を追う旅 パッサウ編① 子供時代のヒトラーが唯一住んだドイツ領の家。(@YouTube)

【第64回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅1 ~ドイツとの出会い編~」編もご参照ください。

ヒトラーが溺れかけた川沿いにある家

その後、ヒトラー家は、イン川を挟んだ向こう側の家に移り住みます。

イン川がオーストリアとドイツの自然国境となっていますが、パッサウ付近はイン川を渡ってもドイツ領となっています。筆者はパッサウ訪問時、オーストリア領に入ったと勘違いしていました。

イン川にかかっているイン橋を渡り、左側の川辺の道と並行して走る線路沿いにあります。

イン橋イン橋

2番目の家は、雄大に流れるイン川沿いにあります。写真の建物付近がヒトラー一家が住んだ家だったらしいのですが、当時の建物とは違うようです。

ヒトラー一家、パッサウでの2番目の家ヒトラー一家、パッサウでの2番目の家

この家に住んでいた時にあるエピソードがあります。

ヒトラーが家の近くのイン川沿いで遊んでいたら、溺れてしまい、住んでいた家のオーナーの息子に助けられたというのです。

家の前から見えるイン川家の前から見えるイン川

後年、ヒトラーはこのことに一切言及していませんが、パッサウ市にこの事件は記録に残っているという話しもあります。

もしもこの時、ヒトラーは救助されず流されていたら……、歴史はどうなっていたのでしょうか。ヒトラーは第一次世界大戦で出征して戦場で戦っていた時も、所属する部隊が全滅状態でも間一髪逃れることができましたし、総統になってからも数々に暗殺事件を逃れることができる運命にありました。悪運?の強さはこの幼少の頃からあったのかもしれません。

また、ヒトラーは海に弱かったと言われています。総統になってからも軍艦に乗っても船酔いしたと言われていますし、イギリスとの戦争でもドイツの海軍力が弱体だったため、島国のイギリスを制圧することはできませんでした。

総統になってから、ヒトラーは個人写真集を何冊も出版していますが、泳いでいたり裸体を撮影されることは好みませんでした。

海に弱かったヒトラー。もしかしたら幼少期のこの経験が、水上に対する潜在的なトラウマだったのかもしれません。

対岸から見えるヒトラー一家の家対岸から見えるヒトラー一家の家

1894年5月、ヒトラーが5歳の時、アロイスがリンツ勤務を命じられ、一家はパッサウを離れてオーストリアのハーフェルトに引っ越します。

その後も父親の仕事の都合で各地を転々としたヒトラー。しかし、そのどれもがオーストリア国内であり、未成年の時オーストリア国外で暮らしたのはドイツ・パッサウのみとなりました。

この後、1913年5月、24歳のヒトラーがウィーンから旅立ちドイツのミュンヘンに辿りつくまで、ヒトラーはオーストリアから国外に出ることはありませんでした。

関連動画
ヒトラーの青年時代を追う旅 パッサウ編② ヒトラーが溺れかけた家
ヒトラーの青年時代を追う旅 パッサウ編② ヒトラーが溺れかけた家(@YouTube)
※動画ではオーストリア領と話していますが、ドイツ領でした。

ドイツの目の前で過ごしてきた幼少期のヒトラー

ヒトラーは後年、生まれ育った母国オーストリアではなく、ドイツの軍隊に志願して、政治家となり、総統まで上りつめました。

なぜ母国オーストリアではなくドイツに惹かれたのか?

ドナウ川とイン側の合流地点、左がドナウ川、右がイン川ドナウ川とイン側の合流地点、左がドナウ川、右がイン川

父親アロイスは、オーストリア帝国の官史(公務員)でハプスブルク家の皇帝に忠誠を誓っていました。しかし、息子ヒトラーは父親への反動か、オーストリアではなく、ドイツに惹かれていきます。

一般的にはウィーンでの青年時代に多民族国家でまとまりのないオーストリアに幻滅していったと言われていますが、ドイツとの国境の街で生まれ育ったことが、ドイツに親近感を抱いたのではないかと推測します。

後年のヒトラーのオーストリア時代は決して順風満帆とは言えませんでした。自尊心が強いヒトラーだからこそ、母国には幻滅して、自分の生まれ故郷の隣にあったドイツに幻想を抱いたのではないかと、旅人の筆者が1日でブラウナウ、パッサウと訪問して感じました。

関連動画
ドナウ川とイン川の合流地点@パッサウ
ドナウ川とイン川の合流地点@パッサウ(@YouTube)

同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

「ヒトラー 野望の地図帳」
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,512円(税込) 

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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