歴史とグルメの街 盛岡へ
中尊寺をはじめとする平泉の文化遺産が世界遺産として登録されて話題となった岩手県。
その県庁所在地が盛岡市です。
岩手県の中部に位置する盛岡は、大和朝廷による最北の治府とされ、さまざまな歴史の場面に登場してきました。
そんな、歴史的魅力あふれる盛岡に行くなら、絶対に食べてみたいのが「盛岡三大麺」。
「盛岡じゃじゃ麺」、「わんこそば」、「盛岡冷麺」という、伝統的であり、また、どこかインターナショナルな雰囲気が漂うご当地グルメをご紹介します。
盛岡じゃじゃ麺
じゃじゃ麺は、盛岡じゃじゃ麺の元祖「白龍」(パイロン)の初代店主が、戦前に住んでいた旧満州(中国東北部)で地元の人に食べられていた「炸醤麺(ジャージアンミエン)」の屋台を、戦後、引き揚げで戻った故郷盛岡で始めたことがきっかけで生まれました。
中華麺とは異なるじゃじゃ麺独特の麺は、ギョーザの皮を作った残りの粉で打ったとされています。
豆味噌や豆豉醤がベースの「炸醤」は塩辛いのに対して、日本人の口に合うように甘辛い味にアレンジされ、
平打ち麺に細切りキュウリとねぎを散らし、その上に濃いめの味の肉味噌を乗せ、おろしショウガと薄切りの紅ショウガがわきに添えられています。
お好みに応じて酢・ラー油・おろしニンニクを加え、具材や薬味と麺を混ぜていただきますが、
じゃじゃ麺で重要なのは、全部食べきらずに麺と具を少し残すことです。
じゃじゃ麺を食べた後には、お楽しみ「鶏蛋湯(チータンタン)」という玉子スープが待っています。
ここで登場するのが生卵。
卵を器に割り入れて、軽くときます。
そして、お店の人に「チータンをお願いします」と声をかけましょう。
器に麺のゆで汁を注いでもらえば鶏蛋湯(チータンタン)の出来上がり。
塩とコショウで味を調えていただきます。
わんこそば
地元の方言でお椀を意味する「わんこ」に小分けに入れられたそばを、給仕さんに一杯ずつ入れてもらいながら食べるのが「わんこそば」のスタイルです。
給仕さんが「もう一杯!」「じゃんじゃんいって!」などと声をかけながら、次から次へとそばを入れてくれるので、どんどんお代わりが進みます。
もうお腹がいっぱい!という時は、給仕さんがお椀に入れるタイミングを見計らって、食べているお椀にふたをします。
タイミングを取り損ねると、お代わりし続けることになってしまうのでご注意を。
最後に、給仕さんに食べたお椀の数をかぞえもらって終了です。
盛岡と花巻で食べられる「わんこそば」には、それぞれの土地に発祥の説があります。
冠婚葬祭で「お立ちそば」と呼ばれるそばを振る舞う風習があったこの土地で、たくさんのそばを茹でられないので、茹でたそばをお椀に小分けにして出し、茹で上がるたびにどんどんお代わりを入れていったという盛岡説。
南部藩のお殿様が、江戸に向かう途中に立ち寄った花巻の宿で、名産のそばをお椀に入れて出したところ、殿様が気に入って何度もお代わりをしたという花巻説。
そのほか、いくつかの説があります。
50年を超える歴史の花巻の「わんこそば全日本大会」や、1986年(昭和61年)から始まった盛岡の「全日本わんこそば選手権」には、毎年全国から大食漢が集まります。
盛岡冷麺
北朝鮮の平壌(ピョンヤン)と咸興(ハムフン)がルーツとされる冷麺が、今やご当地グルメとして日本中に知られる「盛岡冷麺」として生まれたのは、在日1世の青木輝人さんが盛岡で開いた「食道園」で故郷の咸興で食べた冷麺を再現したことがきっかけです。
コシが特徴の小麦粉と片栗粉で作った半透明の麺は、そばやうどんに慣れ親しんだ日本人にとってゴムのように感じられましたが、牛骨などでとったコクのあるスープや、辛みと酸味が効いたキムチと合わさって、何度か食べるうちにやみつきになる人が続出したそうです。
といっても、まだまだマイナーな食べ物だった冷麺が岩手県民の間でメジャーになったきっかけが、1970年代に焼肉チェーンを展開していた店のテレビやラジオのコマーシャル。
その後、盛岡市内で冷麺を出す店がどんどん増えていきました。
当時は「冷麺」「平壌冷麺」の呼び名が一般的でしたが、1986年に盛岡で開かれた麺サミットに「盛岡冷麺」として出店したことで知名度が上がり、盛岡冷麺の名は全国区に。
現在では、全国のスーパーでも販売されるようになり、家庭でも楽しめる身近な食べ物になりました。