古代の神話が伝える出雲大社の歴史
出雲大社は、都が奈良・平城京にうつされた年の2年後の712年にまとめられた歴史書「古事記」に登場するほど古い神社で、主祭神は神話「因幡の白兎」で傷ついたウサギを助けたことで知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。
古事記に記されている神話「大国主の国譲り」では、すでに国造りを達成していた大国主大神が、国を統治するために天上からやってきた、天孫降臨で知られる邇邇藝命(ににぎのみこと)に、国を譲る代わりに、天孫が住む宮殿のような空高くまで届く、立派で大きな宮殿が欲しいとお願いして建ててもらったのが、出雲大社のはじまりとされています。
その際、大国主大神に国を譲るよう説得する命を受け、天上からやってきた天穂日命(あめのほひ)を祖とする出雲国造(いずものくにのみやつこ:出雲を統治する首長)が、代々出雲大社を守ってきました。
出雲国造はその後、南北朝時代(1340年頃)に千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)に分裂し、現在は第84代国造の千家氏が宮司をつとめています。
大国主大神が国を譲る際に、隠居をして「幽(かく)れたる神事は大国が治める」としたことから、その後、幽れたる神事=目に見えない縁を結ぶと解釈され、「縁結びの神様」として知られるようになりました。
今では、良縁祈願や恋愛成就を願う参拝者が、全国から多く訪れています。
10月は、日本国中の神様が一年のことを話し合うために出雲に集まるので、出雲以外の地域の神様が不在になることから「神無月(かんなづき)」と呼ばれています。
出雲では逆に、10月のことを「神在月(かみありづき)」と呼んでいます。
出雲地方で愛される出雲そばの魅力
出雲のご当地グルメ「出雲そば」は、信州戸隠そば(長野)、わんこそば(岩手県)と並ぶ日本三大そばの一つ。
昔から出雲大社、日御碕神社、美保神社などの参詣や祭りの際、門前に並んだそば屋は、多くの庶民でにぎわったとされています。
蕎麦は、製粉する蕎麦の実の場所によって一番粉(内層粉)、二番粉(中層粉)、三番粉(外層粉)などに分けられ、それぞれの粉によって、そばの風味や色、栄養素は異なります。
出雲そばは、殻つきのそばの実を直接挽いてふるいにかけた、ひきぐるみ粉を使っているため、見た目は黒っぽく、歯ごたえがあり、そばの香りが強く、栄養価が高いことが特徴です。
割子そば
割子そばの特徴は、割子と呼ばれる三段の丸い漆器です。
江戸時代に、野外でそばを食べるために重箱に入れて持ち歩くようなったことから、重箱でそばを食べることが習慣になったとされています。
もともと、正方形などさまざまな形の重箱はどれも割子と呼ばれていましたが、明治時代になってから、四角い割子は隅が洗いにくいということから、丸い割子だけが使われるようになりました。
容器に注ぎやすいように、つゆの容器の口が狭くなっているのも、出雲そばの特徴です。
お好みに応じて薬味をのせ、つゆをかけていただきます。
釜揚げそば
10月の「神在月」に行われる「神在祭」の際、参拝者は神社の周りに出る屋台のそば屋で釜揚げそばを食べ、冷えた体を温めたとされています。
出雲に集まった日本国中の神様が去る際の見送りの儀式「神去出祭(からさでさい)」から、「神去出そば」「お忌みそば」と呼ばれることもあります。
水洗いなどせず、ゆで上がったそばをそば湯と一緒に食べるのが釜揚げそばの特徴です。
食べ方は、あらかじめつゆで味付けされたものと、お好みに応じてつゆをかけるものの2タイプ。
トロトロのそば湯は、そばの滋養が溶け出しているため栄養価が高く、食べた後は体が温まります。