で6キロ それを見た瞬間に歩くのを諦めました。 路線バス、タクシーも通っている気配もありません。仕方ありません。 人生初のヒッチハイクをすることにしました。 私が高校生の時、テレビ番組「進め!電波少年」で猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイクをやっていました。私の世代は猿岩石のヒッチハイクを見て旅に
なノリでした。 ノルマンディーにあるレプリカの対空砲、本物ではないのでやられる可能性0 戦跡や博物館は観光地化が進むヨーロッパ ヨーロッパの戦跡というと、アウシュビッツ強制収容所、アンネ・フランクの家をイメージしてしまいます。そのため、ユダヤ人の迫害、虐殺という負の歴史なので重たいイメージを持たれ
す。それも、現地まで足を運ぶことによって得られる感動の一つだと思います。 何気ない街角も知識を付けるだけで立派な観光地になる 1945年、独ソのベルリン最終決戦の跡地を散策編では、ベルリンのど真ん中にある2008年まで使用されていたテンペルホーフ空港跡地を紹介しました。 テンペルホーフ空港には、ナチス時代
】シニア旅行者 ヨーロッパを周遊している日本人の旅行者で、一番多いのがシニア旅行者です。 ヨーロッパの一般的な観光地は当然、東欧のマニアックな都市にもいます。団体ツアーで参加している方々が多いですが、夫婦などで旅行しているケースも多いです。 特徴として、若かりし頃は現代ほど海外旅行が一般的ではなかった世代です
の博物館の展示をじっくり見学していると、それだけで1日が過ぎてしまいます。当然、海外旅行には時間に制限があります。他の観光地を周る兼ね合いも考えて、効率的に周ることが必要です。ですから、博物館は一部分だけを重点に見学するという方法を勧めます。 ②大英帝国戦争博物館の前で開門を待つ人々 博物館オリジナルのコー
ません。 しかし、ヨーロッパ各地を歩いていると、「1939-1945」だけでなく、「1914-1918」というメモリアルにも目がつきます。 第1次世界大戦も戦死者数百万と言われる、当時、「戦争を終わらせる戦争」と言われていました。 特にフランス、ベルギーの両国は戦勝国にも関らず、甚大な被害を受けて、第1次
した。20代の頃は、純粋に海外の行ったことない未知の国、都市へ行くことが目的でした。旅行スタイルもガイドブックを片手に観光地を周るごく普通の旅行スタイルだったのです。 その旅行の中で、特に何に興味を持っていたかというと、戦争遺跡でした。 旧ユーゴスラビアの国々の都市の生々しい内戦の跡、イラク戦争直後の中東の国々
るドイツ兵 ドイツ国内のスターリングラードのゆかりの場所 旅行に発給に時間とお金がかかるヴィザやバウチャーが必要だったりして、行きにくいイメージがあるロシア。ましてや、その南部のヴォルゴグラードまで中々行けないという方に、ドイツ国内にあるスターリングラードの戦いのゆかりの場所を紹介します(地理的には日本から
ヒトラーの命令なのでした。 しかし、包囲網の中の弾薬、燃料、食料などの物資がない中では、戦闘は事実上不可能でした。翌日の1月31日、パウルスは司令室を出て、部下を引き連れてソ連軍に投降します。 真ん中がパウルス将軍 そのパウルスの最後の司令室跡が、ヴォルゴグラードの中心街の一角で、博物館として公開されてい
母なる祖国像の隣には、教会もあり、新郎新婦や新生児が洗礼を浴びている姿も見られます。 ヴォルゴグラード市内ではあまり観光客の姿は見られませんが、ママエフの丘は国内外からの観光客で賑わっています。景観が良いので、丘に寝そべって一休みしている人たちの姿も多くみられます。 教会 今でも現役で稼動するトラクタ