どうやって行く?アンダイエ
スペイン側からの拠点はサンセバスチャン
ヒトラーとフランコが会談を行ったフランスのアンダイエは、スペイン側からだとサン・セバスチャンが拠点になります。
サン・セバスチャンは「ビスケー湾の真珠」と呼ばれるビーチがある避暑地です。スペインの中でもグルメな街と知られ、バル巡りが楽しい街です。
ゲルニカの拠点となる街、ビルバオからバスで約1時間15分(12ユーロ)、バスク鉄道で 約2時間(6.9ユーロ)かかります。バスク鉄道はビルバオ~サン・セバスチャン間は1時間の1本の割合で運行しています。
※アンダイエの呼称
スペイン語ではエンダイヤ(HENDAIA)、フランス語ではアンダイエ(HENDAYE)と発音します。
本記事ではフランス語のアンダイエと表記します。
アンダイエへの行き方はバスク鉄道で
サン・セバスチャンからアンダイエへの行き方は、スペイン国鉄(RENFE)かバスク鉄道(EUSK TRAIN)を使って行きます。
フランコはマドリードからスペイン国鉄の専用列車でアンダイエにやって来ました。そのため、フランコ将軍と同じようにスペイン国鉄でアンダイエ入りと行きたいところですが、スペイン国鉄ではこの区間の本数は大変少なく、値段も高いです(数時間に1本、所要30分、11.8ユーロ)。ですから、バスク鉄道で行くのをオススメします(1時間に2本、所要45分、2.15ユーロ)。
スペイン国鉄のサン・セバスチャン駅は、街の中心街からウルメア川を渡った場所にあります。バスク鉄道のアマラ・ビエホ駅は街の南にあります。街の至るところにそれぞれの駅の方角、徒歩でかかる時間を表示した案内板があります。
時間が合えばスペイン国鉄でアンダイエ入りするのも良いかもしれません。私はスペイン国鉄でアンダイエ入りしました。しかし、途中でスペイン側の国境駅、イルンで列車が止まってしまい、そこからはピストン輸送の送迎タクシーで国境を越えてアンダイエ入りしたのです。
バスク地方の旅はバスク鉄道がオススメ
バスク鉄道とは、バスク自治州が運営する鉄道やバスの運営サービスのことです。
私はゲルニカ、アンダイエを周るためにバスク鉄道の大半のルートを乗車しました。
バスク鉄道の本線はビルバオからアンダイエまでになります。その他、ビルバオからゲルニカ方面に向かう支線(途中まで本線)や、本線と繋がってないビルバオ近郊の支線もあります(ビルバオの地下鉄で繋がっています)。
日本国内の旅行でも、その土地のローカルな姿が見えるのは、JRより地元の私鉄沿線の車窓です。スペインでも同様で、バスク鉄道はバスに比べると若干時間がかかりますが、地元の家々の合間を通ったり雄大なバスク地方の自然を堪能することができます。
ビルバオ~ゲルニカ、ビルバオ~サン・セバスチャン、サン・セバスチャン~アンダイエ区間は1時間に1本または2本の割合で運行されています。車内も清潔で快適で運賃も安いです。ぜひバスと併用して片方のルートを使ってみるのをオススメします。
会談が行われた当時のヨーロッパの情勢
ドイツが優勢の中、イギリスが孤軍奮闘
アンダイエでヒトラーとフランコの会談が行われたのは1940年10月5日。
当時のヨーロッパの情勢は、ドイツ軍が前年にポーランドへ侵攻以来、北欧、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスとヨーロッパ大陸の国々の大半を手中に治めていたのです。
そして、残された敵国はイギリスのみとなりました。ドイツ軍は1940年8月から空軍によって首都のロンドンを初め、イギリス本土爆撃を開始。しかし、イギリス軍はレーダーと戦闘機、スピットファイヤーを駆使して、損害を出しながらもドイツ空軍に大打撃を与えたのでした。
制空権が取れなかったヒトラーは、交渉によってイギリスとの戦争に決着をつけようとします。
1940年9月27日、ベルリンで日独伊三国軍事同盟を結び、日本、イタリアとの連帯を強化。そして、ヒトラーは当時中立国だったスペインやドイツの傀儡政府であるヴィシー・フランスにも対イギリス戦に参戦してもらうよう根回しを働きかけます。
地中海に突き当たるスペイン南部のジブラルタルは、イギリス海軍の基地があります(現代もイギリス領)。スペインにはジブラルタルを攻撃してもらい、地中海からイギリス海軍を追い出すことができるとヒトラーは考えたのでした。
狼狽フランコの交渉術
1940年10月23日、ヒトラーはスペインとの国境、フランスのアンダイエ駅で参戦を巡ってフランコとの会談に望みます。
スペイン戦争の時、フランコ将軍率いる反政府軍はドイツ、イタリアの支援の元、共和国政府を倒して政権を取ることができました。だからスペインはドイツに対して恩がありました。
しかし、フランコはスペインのドイツ側での参戦をなんとか避けようと考えていたのでした。理由は2つあります。
1)スペイン内戦によって、食料、物資がスペイン国内で不足していること。
2)ドイツが優勢な状況にあるとはいえイギリスは持ちこたえている、このまま持ちこたえればアメリカが参戦してくる。そうすればドイツに勝ち目はない。わざわざ勝ち目のない戦争に加担する必要がないこと。
フランコは、表向きはドイツに協力する姿勢を見せつつ、些細な問題点を指摘して参戦できない口実を作ろうとします。
アンダイエにはヒトラー率いるドイツ側が先に着いていました。フランコ率いるスペイン側は会談が始まる予定だった14時より1時間ほど遅れて到着します。
これはフランコの計算でした。わざと遅れることでヒトラーを心理的に苛立たせて、交渉を自分のペースで進めようと考えたのでした。まさに巌流島の決戦の時の宮本武蔵と同じ戦法を使います。
フランコは会談が始まると、ドイツとの連帯の強化などドイツとの結びつきを強調します。それと同時に食糧、武器不足を訴え、参戦するために必要な物資を具体的な数値をあげてヒトラーに提示します。その数値はヒトラーが首を簡単に縦に振るものではありませんでした。そして、さりげなくドイツがイギリスを征服する能力の疑問やアメリカ参戦の可能性もほのめかします。
フランコの甲高い淡々とした口調は、ヒトラーをだんだん不機嫌にさせます。
ヒトラーは「フランコは何様だ!あんな奴ドイツでは軍曹にしかなれない!」
と側近に語り、参戦交渉はフランコに軍配が上がりました。
スペインが戦争へ進むことを阻止できた舞台、アンダイエ駅の今を探ってみます。
バスクの旅4 スペインを破滅から救った舞台となった国境駅 後編でアンダイエ駅とその周辺を紹介します。