1万町歩の大農場開拓の夢を追って 依田勉三なくして今の北海道・十勝の農業、畜産の繁栄、観光はあったろうか?関 寛斎なくして、真の開拓者たる精神が十勝に継承されたろうか? だが、2人は成功者ではなかった。しかし、2人の業績、精神が、現在の十勝の繁栄を築いたのである。 壮大な夢を十勝の大地に賭けた 依田勉三は、寛永6年
this old man」(少年よ、大志を抱け。この老人のように)。老人とは、クラーク博士自身を指していた。 札幌開拓の父・島津勇 島義勇(しま・よしたけ)は佐賀藩の七賢人の一人。佐賀藩主の鍋島直正は蝦夷地開拓のため、島を蝦夷地、樺太の探検に派遣している。 島は明治新政府の許で、1869年(明治2年)、開拓史判官