ブラック企業転職ジプシ|トピックスファロー

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2014年9月12日
ブラック企業転職ジプシ

大学卒業後は編集制作の仕事がしたいと思い、就職活動をし、就職情報誌と転職情報誌及の編集制作の仕事に4年間携わりました。従業員数が60名程の会社で、仕事は順調でしたし、情報誌の編集制作をしていく上で必要なスキルも充分に身に付けることが出来ました。しかし、入社3年目の下半期に体調を大きく崩した私は、会社を辞めざるを得ませんでした。上司から引き留められましたが、結局、丸4年で最初の会社を辞めました。ここからが私のブラック企業転職ジプシーの始まりです。

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ブランクが長いと転職は難しいことを実感

体調を大きく崩していましたので、もう自分には社会復帰も無理だと思っていました。
そして、自宅でずっと療養していました。
何の希望もなく、毎日を過ごしていました。
しかし、2年半後、体調が良くなって来ると、やはり人生をやり直したいと思いました。働きたいと思う気持ちが頭を持ち上げたのです。
ここからが私のブラック企業転職ジプシーの始まりです。 転職ジプシー やりたい仕事はやはり編集制作の仕事でした。
新聞の求人広告で出版関係の仕事を見つけると、すぐに履歴書と職務経歴書を送りました。しかし、書類選考で落とされて、面接の連絡は一向にありません。
今考えると、ブランクが長かったことが原因で、面接にも呼ばれなかったのだと思います。

知人の紹介で何とか社会復帰

どうしても働きたいと思っていたため、知人に転職先の世話をしてもらうことにしました。
知人は快諾してくれたのですが、どういう会社に入れるかは勿論判りません。
編集制作の仕事をしたいという希望は伝えましたが、そんなに都合よく運ぶ訳もありません。
知人が紹介してくれた会社は従業員数が60人程の印刷会社でした。
面接で会ってくれた社長は、こちらからの熱意が伝わったのか「わかりました。うちでお預かりしましょう」と言ってくれました。
希望している職種、業種では無いにしても、これで社会復帰が出来ると当初は楽観的に考えていました。
転職は出来て、収入は安定しました。けれど、仕事の内容が自分の希望と異なっていれば、不満が生じます。印刷のルート営業と情報誌の編集制作とではあまりにも仕事がかけ離れているからです。
1年半、印刷会社で働きましたが、出版社への転職を決意しました。

社員10名以下の同族会社

印刷会社を退職し、社員が10名以下の小さな出版社に転職しました。
仕事は自社のWEBサイトのトピックや製品情報の更新作業で、楽しくて満足しました。
ところが試用期間の3か月を過ぎても雇用保険が適用されませんでした。
しかも、その会社は父親が会長、母親が専務、息子が社長という完全な同族会社でした。
社長とはまだ話が通じましたが、会長が言う事は理解不能でした。例えばコラムの見出しを私が考えると、会長は「何故、お前は勝手にその見出しに決めたんだ!」と怒鳴って来るのです。
私は社長からサイトの更新を任されたのだから、見出しは自分で考えるのが当然だと思っていましたが、会長は「社長ときちんと相談したのか? 了承を得たのか?」という始末でした。
見出しが悪ければ後で幾らでも変更が出来ます。それを頭ごなしに怒鳴ってくる会長には我慢出来ません。気が狂っているのではとも思いました。
次第に私の社内での立場は悪くなり、結局、半年でその出版社を退職しました。
ブラック企業

殴り合いの喧嘩が起こる一部上場の出版社

次の転職先は情報誌の出版社で上場している会社でした。仕事は転職情報誌のコピーライティングと校正です。仕事は順調でした。
ところがこの会社は人間関係が滅茶苦茶でした。部署同士でいがみ合っていたのです。そんな実情は、入社してみなければ判る筈もありません。
ある日、デザイナーのチーフと進行管理の人が社内で殴り合いの喧嘩を始めました。
周りの人間が止めに入りましたが、その後、進行管理の人が編集長から一方的に叱られている様子を目の当たりにしました。
喧嘩両成敗ならまだしも、編集長はデザイナーのチーフと同郷で、明らかに肩を持っていることが判りました。しかも進行管理の人は転職組です。嫌な雰囲気の会社だと思いました。
そして、あろう事か、今度はデザイナーのチーフが私に喧嘩を吹っかけて来ました。
殴り合いの喧嘩などしたくもありません。それに喧嘩をすれば編集長から叱られるのは私だけです。バカバカしくなって、その会社を一か月で退職しました。
口喧嘩

派遣社員を経て、更に転職

その後は派遣会社に登録して校正の仕事を始めました。
組織に入らなければ嫌な思いをすることも無いと思ったからです。
校正の仕事は順調でした。けれど、毎月2週間しか仕事が無く、雇用保険も適用されません。
また、派遣社員に仕事は任せて、社員は怠け、ただただ時間が経過するのを待っている社員までいました。
2年間、派遣社員として働きましたが、やっぱりきちんと転職したくなりました。
次の転職先は社員10名以下の小さな出版社で、イベント情報誌を出版していました。仕事は広告営業と編集制作でした。
仕事は楽しかったですが、ある日、アルバイトの子に資料を手渡したら、社長がいきなり怒り始めて「そんな渡し方があるか!」と怒鳴って来ました。
意味不明でした。今考えると、社長の虫の居所が悪かっただけかも知れませんが、アルバイトの子は大学卒業後にその会社への就職が決まっていたので、転職組の私よりその子を大切に思っていたのでしょう。
ですが、それまで広告の営業成績を積み上げていた私には我慢出来ませんでした。3か月でその出版社を退職しました。

編集長に首を絞められ退職

1年後、社員が60名の釣り情報誌の出版社に転職しました。
仕事は編集制作で、今度こそと思っていました。転職が決まるまでは派遣で校正の仕事をしていました。
仕事そのものは順調でしたが、編集長との仲がどうにも上手く行きませんでした。毎晩帰りが遅くて、編集長はイライラしていたのだと思います。
ある日、私が仕事でミスをしたら、編集長が怒り始めて、私の首を絞めて来ました。
抵抗はしませんでしたが、そんなに酷い扱いをされては勤めていられません。
その後の人間関係の修復も無理だと判断した私は3か月で退職しました。

ようやく見つけたライターの仕事

その後、親の介護に1年半従事したこともありましたが、四十代後半の今現在、ようやくライターの仕事に落ち着くことが出来ました。
もっと早くライターの仕事を始めていれば良かったと思っています。
けれど、全てはタイミングです。
過去のことは忘れて、これからはライターとしての実績をどんどん積み重ねて行きたいと思っています。

著者:鈴木克己

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バンドでのギター弾きと小説の執筆が趣味です。串焼きが大好物です。