【第6回】ヒトラーが巡ったパリ観光ルートを、再現してみる|トピックスファロー

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2014年11月20日
【第6回】ヒトラーが巡ったパリ観光ルートを、再現してみる

ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡 シリーズNO6
ヒトラーは、お忍びでわずかな側近を従い、滞在3時間という駆け足でパリの観光名所を周ります。それは、ヒトラーにとって栄光の3時間だったのかもしれません。

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ヒトラーにとって栄光の3時間だったのかもしれない

第2次世界大戦の初期、ナチスドイツは、破竹の勢いでヨーロッパを制圧。
1940年6月14日、宿敵フランスをも屈服させます。
21日には、パリの郊外、コンピェーニュの森でドイツとフランスの休戦条約が結ばれ、パリがドイツ軍に占領されることになります。
その2日後の23日、ヒトラーは、お忍びでわずかな側近を従い、滞在3時間という駆け足でパリの観光名所を周ります。
それでは、ヒトラーが見物したコースを辿ってみましょう。
オペラ座 ヒトラー一行は、夜明け前にパリに着いて早々、オペラ座に向かいます。
パリの中心部にある通称、オペラ座と呼ばれている「パレ・ガルニエ」は、1875年、シャルル・ガルニエの設計で完成したバロック形式の劇場。そのオペラ座の前はいつも観光客で賑わっています。最寄り駅はメトロのOPERA駅。
ヒトラーは政治家になる前は、芸術家を目指していたので、パリを訪問することは若い頃からの憧れでした。
ヒトラーは先頭に立ち、子供のように目を輝かせながら、誰もいないオペラ座の内部を見て周ったといいます。オペラ座の沿革、設計図面を完全に覚えていたヒトラーは、劇場の案内人よりも詳しく、案内人を驚かせたほどでした。オペラ座を見学して感動したヒトラーは、戦争が終わったら、ベルリンにもパリに負けない荘厳なオペラ座を作りたいと思うようになります。

コンコルド広場

コンコルド広場 ヒトラー一行は、オペラ座を後にして、マドレーヌ教会を経てコンコルド広場に向かいます。
コンコルド広場の最寄り駅は、メトロのCONCRDO駅、オペラ座の最寄り駅OPERAから2駅の距離です。オペラ座からマドレーヌ通りを真っ直ぐ歩けば、マドレーヌ教会に着き、そこからロワイヤル通りを歩けば、コンコルド広場に着きます。30分も掛からない距離なので、ヒトラーのパリ観光のルートを肌で体験してみましょう。
コンコルド広場は、フランス革命時、処刑場となり、18世紀にルイ16世、マリー・アントワネットなど、1000人以上の命が奪われました。パリが混乱を極めた時代の血なまぐさい舞台となったコンコルド広場を見て、ヒトラーは何を感じたのでしょうか。

シャンゼリゼ通りから凱旋門

コンコルド広場から北西に、ヨーロッパの道の中で最も有名なシャンゼリゼ通りがあります。
ヒトラー一行は、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを通り凱旋門に向かいます。
ヒトラーは参加しませんでしたが、1940年6月14日パリを陥落させたドイツ軍が、凱旋門からシェンゼリゼ通りを勝利の行進をします。それから4年後の1944年8月、パリが連合軍によってドイツから解放された際に、連合軍がシャンゼリゼ通りで凱旋パレードを行います。
パリの象徴である凱旋門は、ヒトラーが尊敬していたナポレオンの命令によって、戦争に勝利した軍隊が凱旋する門として建設されました。ヒトラーは、ベルリンにもパリを上回る凱旋門を作る計画を持っていましたが、実現することはありませんでした。

シャイヨー宮からエッフェル塔

ヒトラー一行は、凱旋門からクレベール通りを行き、トロカデロ広場に行きます。
トロカデロ広場の前にあるシャイヨー宮は、1937年、バリ万国博覧会で建設されたものです。内部は海洋博物館、人類博物館、建築・文化材博物館になっています。
シャイヨー宮からセーヌ川を挟んでエッフェル塔が見えます。シャイヨー宮からエッフェル塔をバックに撮影されたヒトラーと側近の写真も残っています。
最寄り駅はメトロのTROCADERO駅は、凱旋門の最寄り駅、CHARLES DE GAULLE ETOILE駅から3駅です。凱旋門からクレベール通りを真っ直ぐ行けば着きますが、オペラ座から凱旋門まで歩くと結構な距離になりますので、この区間は地下鉄を使った方がいいでしょう。
シャイヨー宮からセーヌ川に架っているイエナ橋を渡れば、凱旋門と並んでパリの象徴であるエッフェル塔に着きます。

アンバリッド ナポレオンの墓

ナポレオンの墓 エッフェル塔の前にあるシャン・ド・マルス公園を抜けると、1671年にルイ14世が負傷廃兵の収容所として建てたアンヴァリッドに着きます。現在は、ナポレオンの墓がある場所として観光地となっています。
ヒトラーは、尊敬するナポレオンの墓の前に立ち尽くして、最愛の息子、ライヒシュタット公と離ればなれに埋葬されているのを気の毒がります。
そこで、ヒトラーは、当時ウィーンに葬られていたライヒシュタット公の棺を、アンヴァリッドに移すように命じます。当時、パリとウィーンを支配していた絶頂期のヒトラーだからこそできた計らいでした。

ラストはモンマルトルの丘

ヒトラー一行のパリ観光のラストは、パリで一番高い丘、モンマルトルでした。
モンマルトルの丘は、エッフェル塔近辺からは少し遠いので、地下鉄で行くのをオススメします。最寄り駅はメトロのBLANCHE駅。
ヒトラーは、モンマルトルの丘に登り、朝の光を浴びたパリの全景に心を奪われます。
そして、ベルリンもパリのように美しい都市に大改造するのだと誓います。その計画をパリを一緒に周った側近の1人、ヒトラーのお気に入りだった建築家、シュペーアに託すことになります。実際には、ベルリン大改造計画は実行に移されませんでした。しかし、戦争末期、戦局が悪化し、空襲によって瓦礫と化していくベルリンの地下壕でも、ベルリン大改造計画の話になるとヒトラーは目を輝かしていたと言われています。
午前10時には、パリ観光を終え空路で旅立ちます。

現代の観光ルートと変わらないヒトラーのパリ観光

3時間でパリの観光名所を周ったヒトラーですが、1日かけてゆっくりと地下鉄と徒歩でヒトラーの観光ルートを巡ってみましょう。
現在、世界中から怒涛のごとくパリへ押し寄せる観光客と変わらないルートなのです。当時、ヨーロッパ大陸を支配していた独裁者ヒトラーも、現代の観光客と何ら変わらず、パリの芸術、歴史、文化に憧れていて、そして、感動して帰っていったのです。

【連載ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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