近現代の戦争で亡くなったフランス兵士のモニュメント
スルス公園からパルク通りをパルク館とは反対側にそのまま歩くと、奥に銅像が建っていて、両サイドにフランス国旗が掲げられている公園がすぐ見えてきます。
普仏戦争、両世界大戦、戦後のインドシナ戦争、アルジェリア戦争と、近現代のフランスが参加した戦争で犠牲になったフランス軍兵士のモニュメントです。
第二次世界大戦のフランス。一部のフランス人はドイツに侵略されても、自由を求めて戦いました。しかし戦後は、逆に自由を求める人たちとの戦いを強いられます。
東南アジアのインドシナ半島や北アフリカのアルジェリアなど、フランスの植民地だった国々の国民がフランスからの独立(自由)を求めて立ち上がったのです。その結果、戦後、フランスは他のヨーロッパ諸国同様、世界各地の植民地の大半を失います。
客観的にみるとフランス外交の矛盾を感じますが、イデオロギーは別として、戦争によって、フランス人の尊い命が奪われたことには変わりません。また、戦場で戦った兵士も個人のイデオロギーとは関係なく、国の命令によって戦うのが戦争です。
このモニュメントの正面から見て右側に、ひっそり小さな碑があります。
ヴィシーフランス時代、ペタンによって、体制に反対する多くのフランス人が連行され、強制収容所に送り込まれたことを忘れてはいけないという旨が刻まれています。
この碑には「フィリップ・ペタン」の名前を見ることができます。
フランス人兵士を弔うモニュメントの横に、目立たないようにヴィシーフランス時代のこと、ペタンの名前が刻まれた碑があることに、ヴィシーという街の歴史の闇の奥深さを感じずにはいれません。
郊外にあるヴィシーレジスタンスの墓
ヴィシーフランスの首都があったヴィシーでも、ヴィシーフランスやナチスドイツに立ち向かうレジスタンス達がいました。
そのレジスタンスの墓は、ヴィシー郊外のヴィシー墓地(Cimetiere Vichy)にあります。
行き方は
- 南北に伸びるヴィシーの街の目抜き通りである、ジャン・ジョレス通り(Rue Jean Jaures)をひたすら北上して歩く
- 商店などで賑わう中心部から住宅街に景色が変わり、川を渡る
- 鉄道が走る陸橋を超えて、最初にある交差点を右に曲がる
- 左側にヴィシー墓地が見えてくる(バルタン通り(Rue des Bartins))
中心部から徒歩で25分ほどです。バスなどはありません。
バルタン通り沿いの墓地の入り口を入り、右に進んだ角にレジスタンスの墓があります。
ここには戦後まで生き続けることができた、レジスタンスの9人が祀られています。その両サイドには、亡くなった年が「1944」となっている墓が並んでいます。それを見るだけで、処刑されたレジスタンスの墓だということがわかります。
ヴィシーはナチスドイツ協力した中心地だけではなく、危険を顧みず抵抗した人達がいることを伝えているのです。
ペタンをあまり語りたくないヴィシーの街
ヴィシーとペタンの相関関係は、世界史の教科書にも出てきて、センター試験にも出題されるほど有名です。しかし、現在のヴィシーではほとんどペタンの面影を見ることができません。ナチスドイツ、ヒトラーに進んで協力した中心都市としての汚名に苦しんでいるのです。
- ヴィシーフランス政権の誕生を拒否した議員の存在を述べる、議会があった劇場の前の碑
- ペタンの名称は使わず、ヴィシーフランスによるユダヤ人連行の事実を淡々と述べている、ペタンの執務室があったパルク館前の碑
- ヴィシーのレジスタンス達の墓
1と2の場所は「【第78回】ヒトラーに協力したヴィシーフランスの首都、ヴィシー-その1」で紹介。
3は本記事で紹介。
これら3つを見ても、現在のヴィシーでは元首だったペタンよりも、彼に反対・抵抗した人たちの存在の方が強調されていることがうかがえます。ヴィシーという街がナチスドイツに協力していただけではないと伝えたいのかもしれません。
今回の本記事の取材の参考文献の一つである。「フランス現代史 隠された記憶」(ちくま新書)によれば、ヴィシーでもペタン政権に関する博物館を建設する構想はあり、その是非をめぐって市民の間でも意見が分かれているようです。
ナチスドイツに協力していたのは、あくまでヴィシーフランス政府であって、国民は仕方なく協力していた。
本意であろうとなかろうと、フランス人がナチスドイツに協力していたことには変わらないから、フランス人もナチスドイツのれっきとした協力者である。
この歴史解釈を巡っては、なかなか結論が出ません。ヴィシーや他のフランスの街を周っていても、そのもどかしさは伝わってきます。
ただ一つだけ確実に言えるのは、フランス人はユダヤ人の迫害など、ナチスドイツの政策に協力していたという事実です。それを現在のフランス社会も認めているのが歴史現場の碑や博物館に行くとわかります。
読者の方々はフランスに行く機会があれば、ヴィシーに寄って自分なりに考えてみてはいかがでしょうか。
現在の観光地、ヴィシーを紹介
ヴィシーまで足を伸ばすことがありましたら、温泉保養地としてのヴィシーも楽しんでほしいと思います。
ヴィシー政府の官庁街だったスルス公園には、中央温泉や温泉の湧水を飲むことができるオル・デ・スルスがあります。温泉保養地だけあってホテルも多く、夜にカジノで遊ぶこともできます。
お土産にオススメなのが、ヴィシー名物のパスティーユ・ド・ヴィシーという、鉱泉水から取れたミネラル塩が加えられた飴です。それほど甘くなく、のどの渇きを潤してくれます。
【本記事における参考文献】
「ナチ占領下のフランス 沈黙・抵抗・協力」 渡辺和行著 講談社
「フランス現代史隠された記憶」 宮川裕章著 ちくま新書
< 【第78回】ヒトラーに協力したヴィシーフランスの首都、ヴィシー-その1
【第78回】ヒトラーに協力したヴィシーフランスの首都、ヴィシー-その2
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社
価格 :1,400円(税抜)