【第55回】両大戦の転機となった軍港キールで、水兵が蜂起した痕跡を巡る|トピックスファロー

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2018年2月19日
【第55回】両大戦の転機となった軍港キールで、水兵が蜂起した痕跡を巡る

第一次世界大戦の末期、出撃命令を拒否したUボートの兵士達が蜂起、それをきっかけにドイツ全土に反戦運動が起こり、ドイツは降伏します。それは第二次世界大戦への布石でもあったのです。

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第一次世界大戦終結のきっかけとなった、キールの水兵の蜂起

1918年のドイツの状況

1914年、サラエボ事件をきっかけに、イギリス、フランス、ロシアなどの連合国側とドイツ、オーストリア、ハンガリー帝国などの同盟国側との間で始まった第一次世界大戦。
ベルギー、フランスでの西部戦線は度重なる大会戦でも決着がつかず塹壕戦へ発展、持久戦となっていました。1918年3月東部戦線でドイツは、国内で革命が起こったロシアと単独講和を結びますが、1917年アメリカが連合軍側で参戦すると、同盟国側は不利な状況に追い詰められます。

長引く総力戦の戦争にドイツ国内では不満が高まり、厭戦気分が蔓延していました。そんな中、出撃命令を拒否した6隻の戦艦の水兵達が軍港キールで大暴動を起こします。水兵達は武器庫や銃器庫を襲い、キール市内を占領。赤旗を掲げながら水兵評議会を結成しました。
それをキッカケに、ドイツ全土に反乱は広がります。前年のロシア革命にならい、工場では労働者評議会、在郷軍では兵士評議会が次々と結成されました。

今でも軍港のキール▲今でも軍港のキール

「評議会」とは会議を意味し、労働者や兵士達が自分達の代表を選出して、政治勢力に参加させた組織です。ドイツ語でレーテ(ロシア語ではソヴィエト)と呼ばれています。
そのような状況の中、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位して、ドイツ帝国は崩壊。臨時政府のドイツ共和国が結成されます。そして1918年11月、連合軍側と休戦条約を結び、第一次世界大戦の戦闘は終結したのです。

休戦条約の舞台については、下記でも触れています。
両大戦の休戦条約調印の舞台、コンピエーニュの森 ~独仏因縁の場所~」編

ドイツ帝国最後の皇帝 ウィルヘルム2世▲ドイツ帝国最後の皇帝 ウィルヘルム2世

ヒトラーを生み出した「背後からの一刺し」論

塹壕戦に耐えながら戦っていた、前線の兵士達にとって、国内から起きた反乱は屈辱的でした。なぜなら、実際の戦闘では連合軍に押されながらも、ドイツ本国は戦場になっておらず、東部戦線ではロシアを屈服させるなど、前線では戦争での手ごたえを感じていたからです。
だからこそ、前線で戦っていた兵士達にとって、国内から反乱が起きたことはまさに「背後からの一刺し」だったのです。

西部戦線から帰国したヒトラーは、ドイツ国内の惨状を目のあたりにして、革命を起こした共産主義者に憎悪を抱きます。その共産主義者の中にはユダヤ人も多かったことも、ヒトラーの反ユダヤ主義に油を注ぐことになります。また、1918年11月11日、連合軍と休戦条約を結んだドイツ共和国政府を「11月の犯罪者」と罵ります。

「共産主義者、ユダヤ人、11月の犯罪者」

この3つのカテゴリーへの憎悪が、政権を取るまでヒトラーとナチスの方針の柱になるのです。

休戦条約が結ばれたコンピエーニュの森にある、フランス側代表フォッシュ将軍の像▲休戦条約が結ばれたコンピエーニュの森にある、フランス側代表フォッシュ将軍の像

現在でも軍港キールに残る1918年の痕跡

キールのアクセス方法

キールは、デンマーク国境と接する北ドイツのユトランド半島のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の州都です。ハンブルク中央駅から1時間に1~2本の割合で列車が出ています(区間快速RBなら片道、約1時間10分、23ユーロほど)。

日本で例えるなら、商業として栄えている港町ハンブルクが横浜なら、軍港キールは横須賀といった感じでしょうか。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の地図。上の幹線が集まっている所がキール、下がハンブルク▲シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の地図。
上の幹線が集まっている所がキール、下がハンブルク

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州で使用されているドイツ国鉄の車両▲シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州で使用されているドイツ国鉄の車両

キール中央駅を出ると左側がバス乗り場、ショッピングモール、右側が海と貨物線の線路になります。中心街へ行く場合は、ショッピングモールの中を抜けると、歩行者天国のホルステイン通り(Holstein str)になり、聖ニコライ教会が見えて、街の中心アルター・マルクト広場(Alter Markt)に出ます。

駅前からすぐ海が見える▲駅前からすぐ海が見える

軍港へ通じる引き込み線が駅前にあるのも横須賀と似ている▲軍港へ通じる引き込み線が駅前にあるのも横須賀と似ている

聖ニコライ教会▲聖ニコライ教会

水兵蜂起の記念碑と評議会が行われた建物

水兵蜂起の記念碑

アスター・マルクト広場からデーニッシュ通り(Danische Str)に入ると、すぐ左側に小さい広場(クロスタープラッツ)があります。そこから伸びるファルク通り(FalckStraβe)を歩くと、湖がある公園に出ます。そこにキール蜂起の記念碑があります。

キール市民の憩い場となっている湖がある公園▲キール市民の憩い場となっている湖がある公園

キールの水兵蜂起の記念碑▲キールの水兵蜂起の記念碑

周りに人がたくさんいる様子もなく、記念碑の土台は錆びてきていました。
一見、特に手入れはされていないようにも見受けられますが、枯れていない献花が添えられていることから、日々祈りを捧げに来る地元の人達がいるのかもしれません。

記念碑にある水兵の連想させる浮輪をモチーフにした献花▲記念碑にある水兵の連想させる浮輪をモチーフにした献花

評議会が行われた建物

蜂起の記念碑がある場所から湖の対岸には、湖と並行するローレンツェンダム通り(Lorentzendamm)があります。駅側に戻る形でその通りを歩いていくと、右側にある3本目のゆるやかな坂道になっているレギーン通り(LeigienStraβe)があり、少し上った右側に評議会が行われた建物が残っています。

現在はキールの労働組合本部となっています。100年前に兵士と労働者の評議会が行われた建物が、今でも労働組合の建物として使われているのがヨーロッパの街並みらしいです。

レギーン通り▲レギーン通り

キールの労働組合本部▲キールの労働組合本部

入り口の左横にドイツ語による碑文があります。

”1918年11月初旬、ここでキールの評議会が開催された。これが1918年11月9日、ベルリンに最初のドイツ共和国を宣言する呼び水になった。”

評議会が行われた碑文▲評議会が行われた碑文

また、そのローレンツェンダム通りから市庁舎方面に行く湖のほとりの公園の名前は、「HIROSHAMA」(広島)と名付けられています。

ローレンツェンダム通りから見た湖と市庁舎広場▲ローレンツェンダム通りから見た湖と市庁舎広場

郊外にある戦没者の墓地

キールの中心部から北側。世界大戦の戦死者が祀られている墓地へ、バスで行くことができます。軍港キールということで、海軍関連の兵士の墓が多いです。

墓地の入口▲墓地の入口

墓地に入ると海軍を表す錨が上にあり、ドイツ軍の紋章である鉄十字が彫られている第一次世界大戦の戦死者の碑があります。
その奥に第二次世界大戦の碑があります。第二次世界大戦の碑には浮輪の献花がたくさん置かれ、ドイツ軍の海軍関係者が眠っていることがわかります。近くにはキールを基地としていた潜水艦Uボートの乗組員の墓もありました。

第一次世界大戦の碑▲第一次世界大戦の碑

第二次世界大戦の碑▲第二次世界大戦の碑

Uボート関連の墓▲Uボート関連の墓

また、入口から右方向には連合軍関連の墓もあり、特別に管理され、私が訪問した日は立ち入ることができませんでした。
ソ連軍関連の兵士の墓も単独であり、ロシア語が刻まれています。

連合軍関連の墓の区域▲連合軍関連の墓の区域

ソ連軍の兵士の墓▲ソ連軍の兵士の墓

ハンブルクを廃墟にした恐るべき大空襲の痕跡」編でも触れましたが、ナチスドイツが侵略した国々では、現地で戦死したドイツ軍の兵士への弔いはないことがほとんどです。
しかし、ドイツでは敵国だった連合軍兵士への弔い、被害者だけでなく加害者としての姿勢にも真摯に取り組んでいることが、戦跡の記念碑、墓地などからも読み取ることができます。

また、先ほど紹介したようにキールの中心部の労働組合の建物の近くに、日本の原爆投下された都市「HIROSHIMA」と命名された公園があります。
その他にも、ドイツ中に「HIROSHIMA」と命名された通りや公園が無数にあります。ヨーロッパの人達は、通りの名前に地元の偉人の名前などを付けたがりますが、第二次世界大戦で同じ敗戦国となった日本に対しても気遣いを忘れていないのだと感じます。

【アクセス】
中央駅左側のバスターミナルから92番バスで「Nordfriedhof」下車。
片道2.6ユーロ、所要15分ほど。
バスは往復共に月曜~金曜は1時間2本の割合。日曜は1時間に1本。
墓地の入口の前にバス停があるので、帰りのバスの時間を見ておくをおすすめします。

日曜はクローズ、月曜~金曜は7:00-15:00、土曜は7:00-12:00

※キールから北20キロのラーボエという場所に、Uボート博物館やドイツ海軍記念館もあります。
ガイドブックにも掲載され、多くの観光客が訪れています。
この記事では日本のガイドブックには載っていない場所を紹介しました。
(とはいえ、キールを掲載しているガイドブックは少ないですし、掲載されても1ページ程度ですが)

ショッピングモールの中にある船の模型▲ショッピングモールの中にある船の模型

キールの蜂起は第二次世界大戦への布石でもあった

1918年11月、ドイツ共和国を運営していた社会民主党は資本家とも結びついた民主主義の政治体制を採ったため、労兵評議会へ権力を譲渡して共産主義路線を採りたいスパルタクス団と対立。スパルタクス団は、ドイツ共産党となり社会革命を起こそうとしますが、社会民主党に鎮圧され、労働評議会は消滅します。

1919年2月、社会民主党のエーベルトが大統領に選ばれ、民主的なワイマール共和国が成立することになります。
その一方で、国内は労働者の不満を唱えたドイツ共産党の勢力も強く、ヒトラー率いるナチスのように国家主義を唱える極右政党も、無数に誕生していたのです。 まさにカオスだった当時のドイツ。

ヒトラーは、戦争中、国内で反乱を起こした共産主義者、休戦条約を結んだ1918年11月の犯罪者と罵ったワイマール共和国の前身のドイツ共和国の政府が許しませんでした。また、ワイマール共和国成立後、調印した多額の賠償金を課すヴェルサイユ条約にも憤慨します。
それらが原動力となり、ミュンヘン一揆で失敗しようが、その方針はぶれず、1933年に政権を取るのです。
それはワイマール共和国の終焉でもありました。

その共産主義者が後ろで糸を引いていたとヒトラーが主張する「背後からの一刺し」は、この軍港キールからでした。キールは、第一次世界大戦の終結のきっかけでもあったと同時に、ヒトラーを台頭させ、第二次世界大戦を起こす遠因となった街とも言えるのではないでしょうか。

キールの市庁舎と広場▲キールの市庁舎と広場

キールの市庁舎と広場の写真です。
1918年、ここで多くの水兵や労働者がデモをしていたのかもしれません。

同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化

同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。

歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。

ヒトラー 野望の地図帳

「ヒトラー 野望の地図帳」
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社     
価格 :1,512円(税込) 

【連載ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡

著者:HIRO

戦争遺跡ライター
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ヨーロッパ各地の世界大戦の戦争遺跡を周って取材しています。
だから、戦争遺跡ライターです。
学生時代から、事件、事故現場、戦争跡地を野次馬のように行くダークツーリズムラー。
特にヒトラー、ナチスなど、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線に関することが一番好き。
しかし、重いテーマの旅をしているかというと、旅行先では美味しいご当地グルメを堪能して、お酒を飲んでいます。時には道に迷ってテンパったり、ヨーロッパの街並みに感動したりと、見かけはヨーロッパが大好きな普通の旅行者です。

▼TOPICS FAROで連載中!
「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
同シリーズが書籍化されました。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
世界史の勉強方法についての記事も連載を開始しました。
大学受験で合格点を取る方法を中心に大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れています。

▼ブログ
http://warruins.exblog.jp/

▼ニコニコ動画
「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズを
ダークツーリズム・ジャパンのニコニコ動画にも寄稿しています。
http://ch.nicovideo.jp/darktourism

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hiromaru_sakai@yahoo.co.jp