水の都「柳川市」
柳川市を代表する観光スポット「掘割」は柳川市内に作られています。
元々、柳川市は湿地帯だったので、この地に暮らす人々が水を確保するために掘割を作られました。また、江戸時代には柳川城が作られ、敵の侵入を妨げる目的から、より複雑な掘割が作られるようになったのです。
掘割の見どころは、掘割が柳川市の普通の人々の生活を支えた水路なので、掘割と街が隔たりなく作られているところです。家の真後ろに掘割があり、生活と一体化している様に見ることができます。
現在では水道の確保ができているので、昔ながらの掘割の使い方はしていません。しかし、掘割を観光客が乗った船が行き来しており、掘割から見た街並みを眺めることができるのは柳川市くらいではないでしょうか。
柳川名物「川下り」
柳川市の川下りでは、船頭が巧みな竿さばきと語りや舟唄でエスコートしながら、柳川市の街並みを堪能させてくれます。柳川の自然にも触れることができ、春には掘割に沿って並ぶ桜、夏には新緑あふれる草木、秋には真っ赤に染まる紅葉が見られます。
冬には期間限定の「こたつ舟」が登場し、こたつ舟に火鉢が入ったこたつで川下りが楽しめます。タイミングが良ければ、雪に染まった柳川の街を見ることができるでしょう。
川下りの道中では、四季折々の姿以外にも旧柳川城水門や昔の水汲み場、明治時代に使われていた並倉など、柳川市と掘割の歴史にも触れることができます。
柳川掘割物語
1977年に柳川市では都市計画として掘割を埋め立てて、駐車場を作る計画が持ち上がりました。
戦後、水道のインフラが整い、掘割を使って生活をする必要がなくなったからです。また、掘割は水質汚染や不法投棄、ゴミ溜めになっていたことから、悪臭を放ち、大量の蚊が発生していました。
当然、柳川市民も掘割は生活に不必要なもので、埋め立てた方がいいと考えていたのです。
その都市計画に反対する1人の男がいました。柳川市職員の広松伝さんです。
広松さんは柳川市から割堀を消してはいけないと考え、自らが率先して掘割を掃除し、住民たちを説得しました。
広松さんのそんな行動は新聞などでも取り上げられるようになり、柳川市の都市計画に反対したことから「係長の反乱」として有名になりました。
柳川市の掘割の歴史や人々との関係、広松さんの行動を映画化したものが「柳川掘割物語」で、柳川市を訪れる際には見ておきたい1本です。
柳川の文学人に触れる
川下りを体験した後に見ておきたいスポットとして、柳川市の文化があります。
柳川市は北原白秋を初め、檀一雄、長谷健などの文学人が幼少の頃過ごした場所です。そのため、文学人にまつわる観光スポットがいくつもあり、柳川の文学人に触れられます。
北原白秋生家・記念館
誰もが国語の教科書などで目にしたことがある「北原白秋」。
北原白秋は明治から昭和にかけて活躍した詩人です。詩を始め、童謡の歌詞や学校の校歌などを手がけています。
北原白秋の実家は代々、柳川藩御用達の海産物問屋で、柳川地方でも有名な酒造業を営んでいました。
今でも残る建物は居間やお座敷、仏間などもあり、当時の裕福さを物語る立派な建物です。一度は火事に見舞われましたが、現在では復元が完了し、北原白秋の生家・記念館として観光スポットとなっています。
生家は当時の面影を残す展示スペースとなり、当時の人々が使っていた道具や漁の道具などが展示されています。
生家に隣接している建物に「白秋資料館」があります。柳川の歴史や伝統工芸、北原白秋の業績や原稿などの資料が展示されています。
北原白秋の生家や柳川市の掘割は「水郷柳河」として国の名勝指定に指定され、柳川市の目玉とも言えるスポットになりました。
柳川に訪れた際に食べておきたいグルメ
柳川市は九州最大の湾「有明海」に隣接している街です。
柳川市のグルメには有明海で採れる海の幸を使った「有明海料理」が多く、柳川市でしか味わえないものが数多くあります。
有明海には「ワラスボ」や「ムツゴロウ」、「メカジャ」、「ウミタケ」など、普段聞き慣れない海の生物が多く生息しています。
柳川市ではこれらの海の生物を使った料理が多く、有明海の珍味として刺し身や唐揚げなどの郷土料理が堪能できます。
有明海沿岸の街では「イソギンチャク」を食用として食べる郷土料理があり、柳川ではイソギンチャクを味噌煮や唐揚げにしたものが食べられます。
柳川の名物!うなぎ料理
柳川の名物としてはうなぎ料理です。市内にはいくつものうなぎ料理店が立ち並び、それぞれの店で焼き方や味付けが異なるので、食べ比べてもいいでしょう。
土用の丑の日になると、観光客を始め、九州各地から、うなぎ料理を食べに、柳川市に人々が集まります。
水郷柳川
柳川市観光のメインは水にまつわる「川下り」と「有明海料理」でしょう。