【第101回】ヒトラーが欧州の信頼のおけない同盟国の首脳を迎えた場所-その1|トピックスファロー

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2023年10月24日
【第101回】ヒトラーが欧州の信頼のおけない同盟国の首脳を迎えた場所-その1

戦争が始まるとヒトラーは同盟国の首脳と、直接何度も顔を合わせて会談をします。戦争中は旧東プロセインの前線「狼の巣」やベルヒデスガーデンの山荘にいることが多かったですが、ヒトラーが出向くことも頻繁にありました。

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戦争が始まると、首都ベルリンにはほとんどいなかったヒトラー

1939年9月、ドイツ軍がポーランドに進撃すると同時に、ヒトラーは指令室に改造された特別列車「アメリカ号」に乗車し首都のベルリンを離れて前線へ向かいます。

独ソ戦開始以降は、旧東プロセイン(現ポーランド)の総統大本営「狼の巣」にいるのが基本となります。更にはそこから現在のウクライナなど、戦場の最前線に飛び、司令官と会談することもありました。

ヒトラー特別列車、アメリカ号の模型ヒトラー特別列車、アメリカ号の模型

首都のベルリンは重要な演説やイベントの時に戻るくらいで、ほとんどは狼の巣や静養を兼ねたバイエルンのベルヒデスガーデン(ベルクホーフ)の山荘に滞在していました。同盟国首脳とは戦争の行方に関して、狼の巣やベルヒデスガーデンで会談することが多かったですが、ヒトラー自ら出向くこともありました。

本記事ではオーストリア国内にある、戦時中にヒトラーが出向いた場所を紹介したいと思います。

東欧諸国の首脳を迎えたクレスハイム宮殿

18年ぶりに訪問したザルツブルク

ヒトラーが個人的にお気に入りだったベルヒデスガーデンの山荘。そこに滞在している期間、ザルツブルクまで降りてきて、東欧の首脳と何度か会談していました。会談場所であったクレスハイム宮殿は、郊外にあります。

ドイツとの国境の街・ザルツブルクは、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台の街。1938年のオーストリアを舞台とした、ナチスドイツに併合され、アメリカへ亡命するトラップ一家の物語です。筆者が小学生の頃、日曜日の夜にアニメ「トラップ一家物語」を放送していて見ていた記憶があります。

2023年9月、筆者は約18年ぶりにザルツブルクを訪れました。

前回訪問時はサウンド・オブ・ミュージックの舞台となった場所を巡ったり、街のシンボル、ホーエンザルツブルク城に登ったりしました。そこから見えるザルツブルクの風景が、とても美しかったのを覚えています。また、あの美しいザルツブルクを訪問したいと思っていましたが、クレスハイム宮殿に行くついでに18年ぶりの再訪が叶いました。

市内から見えるホーエンザルツブルク城市内から見えるホーエンザルツブルク城

ザルツブルク市内には1938年併合の際、ヒトラー一行がパレードしたシュターツ橋、ヒトラーが演説したレジデンツ広場などが残っています。久しぶりに散策したザルツブルクの街は相変わらず美しく、街中から見えるホーエンザルツブルク城の姿はお気に入りです。

シュターツ橋シュターツ橋

レジデンツ広場レジデンツ広場

関連動画
ヒトラー、オーストリア凱旋@ザルツブルク
ヒトラー、オーストリア凱旋@ザルツブルク(@YouTube)

カジノになっているクレスハイム宮殿

ヒトラーが東欧の首脳達と会談したクレスハイム宮殿はザルツブルク郊外にあり、ザルツブルク中央駅から近郊列車で4つ目の「Salzburg Liefering」で下車して行くことができます。電車の所要時間は片道10分弱です。

Salzburg Liefering駅Salzburg Liefering駅

駅の改札はクレスハイム宮殿がある側とは逆の方向にしかないので、少し遠回りして行くことになります。

駅前の畑と民家の一体を右側に進むと高速道路に突き当たります。高速道路と並行する道を線路方向に歩き、鉄橋の下をくぐってしばらく歩くと、地元のサッカーチームの本拠地「レッドブル・アリーナ」が見えます。その前の道をひたすら進むと、クレスハイム宮殿に着きます(徒歩20分ほど)。

駅周辺駅周辺

筆者が訪れた時は朝でしたが、クレスハイム宮殿の庭園にはランニングや犬の散歩をする地元の人の姿がたくさん見られました。

1700年、ザルツブルク大司教の夏の住居のために建設されたバロック様式のクレスハイム宮殿。建物は歴史ある雰囲気をそのまま残していますが、1993年以降は内部の一部をカジノにして営業しています。

クレスハイム宮殿クレスハイム宮殿

独ソ戦開始以降、ヒトラーはベルヒデスガーデンに滞在中、ザルツブルクまで降りてきて、このクレスハイム宮殿で各国首脳と会談します。

ベルヒデスガーデンのベルクホーフ跡地ベルヒデスガーデンのベルクホーフ跡地

1942年4月29日~30日
ヒトラー、イタリアのムッソリーニ首相と会談、お互いの外務大臣も同行。

(背景)
独ソ戦が前年に始まり、年末にモスクワ攻撃がとん挫、翌年の夏の攻勢の前に、総統大本営「狼の巣」から、ベルリンで国会演説、ムッソリーニと地中海での戦略を話し合うため一時的にドイツに戻っていました。

1943年4月7日~10日
ヒトラー、ムッソリーニ首相と再び会談。

1943年4月12日~13日
ヒトラー、ルーマニアのアントネスク元帥と会談。

1943年4月16日~17日
ヒトラー、ハンガリーのホルティ提督と会談。

1943年4月22日
ヒトラー、スロバキアのティソ首相と会談。

1943年4月27日
ヒトラー、クロアチアの指導者パーヴェリチと会談。

この坂道をヒトラーが側近を連れて上がってくる写真が残されているこの坂道をヒトラーが側近を連れて上がってくる写真が残されている

(背景)
1943年2月にスターリングラードでの大敗北を喫して、枢軸国の戦況が悪化します。ヒトラーも体調を悪化させ、3月に医師の説得で静養のため総統大本営「狼の巣」を離れベルヒデスガーデンに3ヶ月ほど滞在しました。

戦況により同盟国のドイツに対する信頼が揺らいできていた時期でした。

ムッソリーニは、ヒトラー同様、連敗続きで体調を崩して精気がなく、イタリア軍のロシア戦線からの離脱希望をヒトラーに伝えることができませんでした。
アントネスクは、ヒトラーにルーマニアの和平感情を非難、闘争に向けて強い意思を要請されます。
ホルティは、ハンガリーの穏健なユダヤ人政策を非難されます。
同盟国の首脳はヒトラーに呼びつけられ、枢軸国の離反の疑いを持たれて叱咤されます。

ナチスドイツと枢軸国の関係が徐々にほころびが出てきだしていたのでした。

クレスハイム宮殿から見た庭園クレスハイム宮殿から見た庭園

1944年2月26日~28日
ヒトラー、アントネスクと会談。

1944年3月18日
ヒトラー、ホルティと会談。

1944年4月22日~23日
ヒトラー、ムッソリーニと会談

(背景)
前年よりも更に戦局は悪化します。東部戦線ではソ連軍の猛攻にさらされ、西部戦線では連合軍が上陸してくるのが秒読み段階に入っていました。

1944年2月、総統大本営「狼の巣」は高性能爆弾の空襲に耐えるため、強化工事を実施。そのため、ヒトラーは7月までベルヒデスガーデンに移動、滞在します。ベルヒテスガーデンに戻る列車のヒトラーの車両はブラインドが降ろされ、ヒトラーは連合軍の空襲により疲弊しているドイツ各都市の姿を見ることはありませんでした。

ムッソリーニやアントネスクとの会談も前年以上に空虚なものでしたが、1944年3月のホルティとの会談では、ヒトラーがハンガリーは裏切ろうとしていると厳しい非難をぶつけました。

ホルティは真っ赤になり、部屋を飛び出して列車でハンガリーに帰ろうとします。
しかし、ヒトラーはクレスハイム宮殿に煙幕を張る演出をして、空襲と偽り、ホルティをクレスハイム宮殿に一時的に引き留めました。

その後ホルティは帰国ができましたが、時すでに遅く、ホルティがブダペストに戻った時には、祖国はドイツ軍の占領下になっていました(マルガレーテ作戦)。

※文献によってはこのホルティ提督との一連のやりとりは、クレスハイム宮殿ではなく、ベルクホーフで行われたという説もあります。

歴史がある雰囲気を今も残すクレスハイム宮殿。
現代では観光客がカジノを楽しんでいる場所ですが、その当時はヒトラーとその同盟国の心が離れていくシーンを、そっと見つめていたのでしょう。

関連動画
ヒトラーがベルヒデスガーデンの山荘から降りてきて会談に使っていた、クレスハイム宮殿@ザルツブルク
ヒトラーがベルヒデスガーデンの山荘から降りてきて会談に使っていた、クレスハイム宮殿@ザルツブルク(@YouTube)

【第101回】ヒトラーが欧州の信頼のおけない同盟国の首脳を迎えた場所-その1
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【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
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