甘い物好きの文豪が愛した東京スイーツ
大の甘党だったことで知られる芥川龍之介や夏目漱石。
特に、胃潰瘍を患うなど胃が弱かったことで知られる漱石は、家族の目を盗んで甘いものを食べていたといわれています。
そのほか、グルメで知られた池波正太郎や、永井荷風、芥川龍之介や江戸川乱歩など、偉大な文豪が愛した古き良き東京のスイーツをご紹介します。
夏目漱石 芋坂「羽二重団子」
夏目漱石(1867~1916)の代表作「我輩は猫である」に、このような一節があります。
「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」
(「我輩は猫である」より)
当時から、芋坂といえば団子というほどの名物だった「羽二重団子」は、小説の登場人物だけではなく、近所に住んでいたことから、漱石自身も実際に好んで食べていたとされています。
羽二重団子は文政二年(1819年)年創業の老舗。
団子のキメの細かさを、やわらかくて軽く光沢のある織物の羽二重になぞらえて、このような名前になったとされています。
平たい円盤状の形が特徴的な串団子で、生醤油を塗った焼き団子と、さらし餡で包んだ餡団子の2種類。
日暮里駅の東口を出て右手、善性寺の向かいが羽二重団子本店です。
芥川龍之介 「船橋屋」のくず餅
芥川龍之介(1892~1927)は大の甘党だったことで知られています。
関東大震災の後、東京のおしるこ屋が減ったことについて、
「僕等(ぼくら)下戸仲間(げこなかま)の爲には少(すくな)からぬ損失である。のみならず僕等の東京の爲にもやはり少からぬ損失である。」
(随筆「しるこ」より)
と嘆くほどでした。
墨田区の両国育ちの龍之介が愛したスイーツが、亀戸天神入口に近い「船橋屋」のくず餅です。
文化二年(1805年)創業の船橋屋のくず餅は、梅や藤見物に亀戸天神に訪れる参拝客に、黒蜜きな粉をかけた小麦でんぷんの餅を出したのがはじまりとされ、小麦でんぷんを天然水で15ヶ月発酵させることで生まれる独特な歯ごたえが特徴です。
龍之介のほかにも文化人のファンが多く、「宮本武蔵」や「三国志」で知られる吉川英治は、船橋屋の黒蜜をパンに塗って食べていたとされ、それが縁で吉川自身に現在の店の看板を書いてもらったと伝えられています。
永井荷風 向島「言問団子」
墨田区向島は、永井荷風(1879~1959)の代表作「濹東奇譚(ぼくとうきだん)」のまさに舞台。
1958(昭33)年まで向島に存在した私娼街・玉の井で出会った、小説家と娼婦の出会いから別離までを描いた作品です。
主人公の大江は荷風がモデルとされ、荷風の日記「断腸亭日乗」からも荷風自身が玉の井に通っていたことがわかります。
その「濹東奇譚」の主人公が玉の井に通った道とされる、浅草から言問橋を渡り、墨堤通りを鐘ヶ淵方面にしばらく歩いたあたりに、向島「言問団子」があります。
言問団子は、小豆・白・青梅の3色のあんで包んだ、串に刺さないお団子です。
甘さを控えたしっとり滑らかなあんと、柔らかな団子が絶妙なバランス。
お持ち帰りもできますが、ぜひ出来立てをお店で食べていただきたい逸品です。
池波正太郎 「愛玉子(オーギョーチイ)」
「愛玉子」は、鶯谷駅の北口から言問通りを根津の方面に歩いた、上野桜木交差点近くにあるお店。大きな黄色い看板が目印です。
台東区上野桜木は、上野公園と日暮里駅の間にある町で、谷中霊園が近いことからお寺が多く、徳川の歴代将軍のうち6人が眠る寛永寺があることで知られています。
1934(昭9)年創業のこのお店は、日本でたった一軒の愛玉子専門店。
プルプル食感の愛玉子に、特製のレモンシロップをかけていただきます。
池波正太郎(1923~1990)は、自身の作品で愛玉子についてこのように語っています。
「道を歩いているとB社の女性編集者に声をかけられたので、谷中警察署(現:警視庁台東少年センター)のとなりの店で、むかしなつかしい[愛玉只]を食べる。
[オーギョーチー]は台湾特産の曼茎植物で、これを寒天のようにして、独特のシロップをかけて食べる。
ワタシが子供のころは、浅草六区の松竹座の横町にあった店で、とく食べたものだが、いまは、この店だけだ。」
(「池波正太郎の銀座日記(全)」より)
谷根千エリアへお出かけの際は、グルメで知られる文豪も魅了された素朴な味を堪能してみませんか。
江戸川乱歩 「池袋三原堂」
アメリカの作家エドガー・アラン・ポーから名前をとったことで知られる江戸川乱歩(1894-1965)の作品は、「少年探偵団」などの子供向けから、推理小説や怪奇小説など、多岐にわたるジャンルが特徴です。
東京で乱歩作品の舞台として有名なのが、「D坂の殺人事件」の千駄木・団子坂。
上京後すぐ、本郷の駒込で古本屋を営んでいたことから書かれた作品です。
その後、46回の引っ越しを繰り返した“引っ越し魔”の乱歩が、亡くなるまでの31年間住み続けたのが池袋。
そして、池袋を愛した乱歩が特にひいきにしていたのが、1937(昭12)年創業の池袋三原堂です。
乱歩が特にお気に入りだったのが「じょうよ饅頭」で、お店にはそのほか「池ぶくろう最中」や乱歩にちなんだ「池袋 乱歩の蔵」など、魅力的なお菓子が揃っています。
お店2階の甘味処では、おしるこやクリームあんみつなど、料理記者で知られる岸朝子さんも絶賛のスイーツを味わうことができます。