の街中、人がいるっていいな もう真っ暗になっていた帰りの駅 ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争シリーズでは、旅行記的な要素は省いていますが、 取材記事とは別に、旅行中のハプニングなどの小ネタも書いていく予定です。 [statpost postid="2327"]
なノリでした。 ノルマンディーにあるレプリカの対空砲、本物ではないのでやられる可能性0 戦跡や博物館は観光地化が進むヨーロッパ ヨーロッパの戦跡というと、アウシュビッツ強制収容所、アンネ・フランクの家をイメージしてしまいます。そのため、ユダヤ人の迫害、虐殺という負の歴史なので重たいイメージを持たれ
す。それも、現地まで足を運ぶことによって得られる感動の一つだと思います。 何気ない街角も知識を付けるだけで立派な観光地になる 1945年、独ソのベルリン最終決戦の跡地を散策編では、ベルリンのど真ん中にある2008年まで使用されていたテンペルホーフ空港跡地を紹介しました。 テンペルホーフ空港には、ナチス時代
】シニア旅行者 ヨーロッパを周遊している日本人の旅行者で、一番多いのがシニア旅行者です。 ヨーロッパの一般的な観光地は当然、東欧のマニアックな都市にもいます。団体ツアーで参加している方々が多いですが、夫婦などで旅行しているケースも多いです。 特徴として、若かりし頃は現代ほど海外旅行が一般的ではなかった世代です
の博物館の展示をじっくり見学していると、それだけで1日が過ぎてしまいます。当然、海外旅行には時間に制限があります。他の観光地を周る兼ね合いも考えて、効率的に周ることが必要です。ですから、博物館は一部分だけを重点に見学するという方法を勧めます。 ②大英帝国戦争博物館の前で開門を待つ人々 博物館オリジナルのコー
たため帰国できませんでした。そのため、ポーランドの亡命政府の構成員は戦後、他国へ移住していきました。 純粋な戦勝国はイギリスのみで、残りのヨーロッパの戦勝国の国々は、敗戦国でもあるのです。 ①1945年、連合国によるポツダム会談が行われた部屋 ヨーロッパで1人勝ち抜いたイギリス 第2次世界大戦勃
した。20代の頃は、純粋に海外の行ったことない未知の国、都市へ行くことが目的でした。旅行スタイルもガイドブックを片手に観光地を周るごく普通の旅行スタイルだったのです。 その旅行の中で、特に何に興味を持っていたかというと、戦争遺跡でした。 旧ユーゴスラビアの国々の都市の生々しい内戦の跡、イラク戦争直後の中東の国々
よって、地図の裏に木炭で子供を抱く聖母像を描きます。 『ヨハネの福音書』の言葉である「licht(光)・leben(命)・liebe(愛)」を周りに記載しました。 ロイバーはソ連の強制収容所で亡くなります。戦後、生き残りドイツへ帰還した兵士が ロイバーの家族へこの絵を届けたのです。 「スターリングラ
囲されたドイツ軍はソ連軍の降伏勧告を黙殺します。1942年1月10日、ドイツ軍の止めを刺すソ連軍の鉄環(コリフォー)作戦が発動。ドイツ軍は最後の抵抗を試みますが、1月21日、グラクム飛行場がソ連軍の手に落ちると、ドイツ軍は補給物資が壊滅的な受け、命運は尽きたのでした。 ドイツ第6軍、パウルス将軍、降伏時の司令室跡
母なる祖国像の隣には、教会もあり、新郎新婦や新生児が洗礼を浴びている姿も見られます。 ヴォルゴグラード市内ではあまり観光客の姿は見られませんが、ママエフの丘は国内外からの観光客で賑わっています。景観が良いので、丘に寝そべって一休みしている人たちの姿も多くみられます。 教会 今でも現役で稼動するトラクタ