っている職員の方が差し入れしてくれたコーヒー 山の中にある記念碑(仏、ブリュィーエル) 「米軍日系人部隊VSナチスドイツの戦いがあった街 ブリュィエール編」でも紹介した、日系人部隊第442歩兵部連隊の記念碑は山奥にあります。 私は街の郊外にある山道を歩いてすぐに記念碑が見つかると思っていました(実際に街中
なノリでした。 ノルマンディーにあるレプリカの対空砲、本物ではないのでやられる可能性0 戦跡や博物館は観光地化が進むヨーロッパ ヨーロッパの戦跡というと、アウシュビッツ強制収容所、アンネ・フランクの家をイメージしてしまいます。そのため、ユダヤ人の迫害、虐殺という負の歴史なので重たいイメージを持たれ
す。それも、現地まで足を運ぶことによって得られる感動の一つだと思います。 何気ない街角も知識を付けるだけで立派な観光地になる 1945年、独ソのベルリン最終決戦の跡地を散策編では、ベルリンのど真ん中にある2008年まで使用されていたテンペルホーフ空港跡地を紹介しました。 テンペルホーフ空港には、ナチス時代
】シニア旅行者 ヨーロッパを周遊している日本人の旅行者で、一番多いのがシニア旅行者です。 ヨーロッパの一般的な観光地は当然、東欧のマニアックな都市にもいます。団体ツアーで参加している方々が多いですが、夫婦などで旅行しているケースも多いです。 特徴として、若かりし頃は現代ほど海外旅行が一般的ではなかった世代です
の博物館の展示をじっくり見学していると、それだけで1日が過ぎてしまいます。当然、海外旅行には時間に制限があります。他の観光地を周る兼ね合いも考えて、効率的に周ることが必要です。ですから、博物館は一部分だけを重点に見学するという方法を勧めます。 ②大英帝国戦争博物館の前で開門を待つ人々 博物館オリジナルのコー
チス侵攻の被害者という側面も打ち出しつつ、最終的にはドイツに勝ったという自負を前面に押し出しています。 例えば、占領中にレジスタンスとして、ドイツ軍に抵抗した人々の展示のコーナーが必ずあります。 世界的に有名なポーランドのアウシュビッツ強制収容所には、近年韓国人の見学者が増えています。彼らは戦争中、他国に支配さ
した。20代の頃は、純粋に海外の行ったことない未知の国、都市へ行くことが目的でした。旅行スタイルもガイドブックを片手に観光地を周るごく普通の旅行スタイルだったのです。 その旅行の中で、特に何に興味を持っていたかというと、戦争遺跡でした。 旧ユーゴスラビアの国々の都市の生々しい内戦の跡、イラク戦争直後の中東の国々
スターリングラードの戦いの戦跡巡りをする前に、訪れてほしいのが「スターリングラード攻防戦パノラマ博物館」です。街の中心部のヴォルガ川沿いにあり、トラムの最寄り駅は、「レーニン広場」になります。 パノラマ博物館 博物館の隣は、戦闘で焼け落ちた製粉所跡が残っています。また、ヴォルガ川と反対側の道を挟んだ向かいに
ロート航空のオフィス 司令室跡の博物館入口 パウルスが降伏した当時は、第6軍司令室はウニヴェルマグという百貨店の地下にありました。その地下が今では当時を記録する博物館として公開されています。 この後、紹介する、スターリングラードの戦いの全体を展示した派手なパノラマ戦争博物館よりも、館内は狭く、ドイツ軍の降
母なる祖国像の隣には、教会もあり、新郎新婦や新生児が洗礼を浴びている姿も見られます。 ヴォルゴグラード市内ではあまり観光客の姿は見られませんが、ママエフの丘は国内外からの観光客で賑わっています。景観が良いので、丘に寝そべって一休みしている人たちの姿も多くみられます。 教会 今でも現役で稼動するトラクタ