難攻不落と言われていたフランスのマジノ線の運命
フランスはなぜ難攻不落のマジノ線を建設したのか
ストラスブールから列車で北に向かって、約1時間ほどのアルザス地方の田舎の森林に、要塞跡が廃墟のようにひっそりと残っています。
それはマジノ線という1930年代にドイツとの国境沿いに建設された要塞です。
ドイツとの国境地帯であるフランスのアルザス=ロレーヌ地方は、良質な石炭と鉄鋼石が採れるため、ドイツとフランスの火種の元でした。普仏戦争のよってドイツ領、第1次世界大戦ではフランス領となるような激しい領土合戦が行われた地域でもあります(詳しくは、独仏の紛争に翻弄されたアルザス地方のストラスブール編)。
第1次世界大戦後に結ばれたヴェルサイユ条約によって、フランスやベルギーと国境を接するドイツのライン川より東側は、非武装地帯とされドイツは軍隊を駐留させることができませんでした。
ナチスが政権を取ると、ヒトラーは再軍備を宣言。
1936年、ヴェルサイユ条約を破棄して、ドイツ軍はライン川を超えて、東側へ軍隊を進めてきました(ラインラント進駐)。
ドイツとの国境地帯にフランスが建設した要塞、マジノ線が、10年の歳月をかけて完成したのはその頃でした。
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公共交通機関では行くのが困難な、異世界?にあるマジノ線。(@YouTube) |
守りを重視するフランスの国防
第1次世界大戦が終了してから約10年が経った1920年代後半、敗戦国だったドイツの経済は復興しつつありました。それと同時にドイツ国内の政治はナチスなどの極右政党が不穏な動きをしていました。
そんなドイツの動向を警戒し始めたフランスは、国防方針が議論されます。
第1次世界大戦後の限られた軍事予算内で、大規模な常備軍を維持する代わりに、国境に要塞を建設する案が出されました。予め守る場所が決まっている、機動性がない要塞は、時代と共に変化する戦争形態へ柔軟な対応ができないという、意見も出されます。
第1次世界大戦のフランスは、攻めより、徹底的に守りを重視して勝利しました。 (詳しくは、昭和天皇も訪れた第1次世界大戦の激戦地、ヴェルダン編)。そのため、フランス軍高官の国防方針は、守りを重視した戦術が多数を占めていたのです。当時の陸軍大臣マジノの名前をとった、マジノ線という要塞の建設が多額の国費を使って開始されました。
フランス軍の対ドイツ戦構想
- ドイツ、フランス国境沿いには全長450キロのマジノ線
- ドイツと国境を接するベルギー南部は、大規模な軍隊が侵攻不可能と思われてた、アルデンヌの森
第1次世界大戦の時と同様に、ドイツ軍をベルギー北部の平野地帯、フランドル地方で迎え撃つというプランを描いていました。そのため、フランス軍の主力部隊は、ベルギー北部に展開していました。
迂回されたマジノ線
第2次世界大戦中の1940年5月、西部戦線で戦闘が開始されました。
機動力を生かしたドイツ軍の主力部隊は、マジノ線が設置されていないベルギー南部のアルデンヌの森を通りフランスへ侵攻します。
フランスは、その森林地帯にドイツ軍の主力が雪崩れ込むとは、想定外でした。
アルデンヌの森へ奇襲攻撃をかけたドイツ軍は、怒涛の如くドーバー海峡に到達。ベルギー北部のフランス軍は袋のねずみ状態になります。
そして、パリはドイツ軍の軍靴に踏みにじられます。
フランスはドイツ軍侵攻からわずか1ヵ月で降伏することになってしまいました。
マジノ線は戦わずして敗れ去ったのです。
アルデンヌの森を突破するドイツ機甲師団。II号戦車とI号戦車。
森林の奥にひっそりとあるマジノ線
和やかな雰囲気のマジノ線職員
現在でも全長450キロのマジノ線の一部がいくつか残っています。
代表的なものが、ストラスブールの北にあるSCHONENBOURGにあります。
マジノ線を個人見学できる期間は、春から夏シーズンの午後が中心です。
私はオープンする1時間半前に着いてしまいました。その時点で待っている見学者は私以外に1人で、マジノ線の職員も見当たりませんでした。時々、マジノ線の前の道を行き交う車があるだけです。森林に囲まれたマジノ線の入口の前は、ちょっとした広場になっていて、フランス国旗が掲げられていたり、トロッコの跡が残っていたりします。オープンしているシーズンは森林の緑も美しくとても居心地が良いです。不気味なマジノ線跡と不釣合いな風景が広がっています。
オープン1時間を切ると、次々と職員の方々が自家用車でやってきて、マジノ線前が少しずつ賑やかになっていきます。職員はボランティアなのかパートなのかはわかりませんが、地元の主婦のような女性が多いです。それぞれネーム入りのプレートを提げており、フランス語、ドイツ語、英語など、話せる言語のプレートを掲げています。フランス人のみならず、各国から見学客が訪れているのがわかります。
職員の方達は和気藹々と談笑しています。私は、待っている間、職員の方が入れてくれたホットコーヒーを頂きました。
迷路のような地下になっているマジノ線
オープンの時間近くになると、自家用車でやってきた見学客も少しずつ姿を現します。
入口の切符売り場では、何種類かのマジノ線のパンフレットもありました(英語、フランス語バージョン有)。
入口を入ると、地下135メートル下に行く階段が永遠と続きます(エレベーターも有)。
地下の気温は常時13度に保たれていて少しひんやりします。羽織るものは持参しておいた方がいいでしょう。
全長3キロほどの地下が広大に広がっています。
主に見学場所は、入口付近のエリアと、そこから1キロほど先のエリアに別れます。
入口側のエリアは、厨房、キッチン、食料倉庫、兵舎、発電機、医療施設などがあります。
奥のエリアは、司令室や機関銃室などがあります。
入口側のエリア
奥のエリア
戦場の最前線だったことが実感できます。
見学方向は矢印(→)の表示がされていますが、小道が入り組んで迷路のようになっています。なので、同じ場所を何度も徘徊してしまう可能性があり注意が必要です。現在地を表す地図もほとんどありません。その地下の通路には物資、兵士の運搬に使われたトロッコの線路が敷かれています。
】入口付近のエリアの見学を終えると、引き返すか、800メートル先のエリアも見学するか、選択を促す表示もあります。地下には定期的に「SOS」の電話が設置されています。
万が一、迷った場合、体調が悪くなった場合に助けを呼ぶことができるようになっているのです。また、電流が流れている危険という表示も目につき、ここは本当に一般公開して大丈夫なのか?と不安になります。
入口付近のエリアは、何人かの他の見学客の姿も見られますが、1キロ先のエリアに行くと、自分以外誰もいませんでした。少し恐怖感を感じるかもしれません。 あまり無理はしないほうが良いと思います。こんな辺鄙な場所にあるマジノ線をわざわざ訪れた人なら、隅々までみたいと思うのが本望でしょうが・・・。
駆け足でも見学時間に1時間は見ておいたほうが良いです。
マジノ線の案内板には見学に2時間は必要と書かれています。
どうやって行く?マジノ線
結論から言いますと、公共交通機関を使って、個人でマジノ線に行くことは相当難しいです。
マジノ線はアルザス地方のSCHONENBOURGという村の郊外にあります。この村には鉄道の駅はなく、見学客の大半は自家用車を使って訪れています。
拠点となる街はストラスブールになります。ストラスブールから1日かけた日帰り旅行と割り切ってマジノ線を訪問するのが良いと思います。
参考までに、私が公共交通機関などを使って訪れた方法を記載しておきます。
マジノ線から最も近いと思われる鉄道の駅は、SOUTZ-SOUS-FORETS駅です。
ストラスブールから近郊列車で約1時間前後かかります(1時間に1本、約10ユーロ)。
SOUTZ-SOUS-FORETSは観光案内所もないような小さな街です。
SOUTZ-SOUS-FORETSからマジノ線があるSCHONENBOURG村までは、約5キロほどの距離があります。
しかし、ここからSCHOENBOURG村へ行くバスはありません。また、タクシーも走っている様子はありません。マジノ線を見学した帰りに、マジノ線の職員の方にタクシーを呼んでもらおうとお願いしました。職員の方は親切に、各タクシー会社に電話していただけましたが、付近を走っているタクシーがなかったようで、1台も呼ぶことができませんでした。
なので、約5キロの道を自力で歩くしかありません・・・。
SOUTZ-SOUS-FORETS駅を出て右側に、踏み切りと交差する道、「RUE DU MICHEL DEUTCH」があります。この道を左側にひたすら歩いていきます。途中ゆるやかな上り坂を歩いていると街中を出て、眼下には広大な田園風景が広がります。遠方にかすかに街並みが見えます。それがマジノ線の最寄りのSCHONENBOURG村です。ここからもアップダウンのある田園風景の道を歩いていくと、左側に別れる道に「 LIGNE MAGINOT → 」という看板が見えてきます。その道(RUE DE LA FORET)を進んでいくと、森林地帯に入っていきます。その森林の中に、マジノ線が姿を現します。
恐らく徒歩だと、SOUTZ-SOUS-FORETS駅から1時間半ほどかかるのではないでしょうか。
途中、レストランやスーパーなどはないので、水分と軽食は持参すると良いと思います。
(SOUTZ-SOUS-FORETの街も飲食店はあまり見当たりません。)
私の場合、そのRUE DU MICHEL DEUTCHの通りを歩いている時に、道を訪ねた地元のおじさんが車を出してくれて、マジノ線まで連れていってくれました(車だと約10-15分ほどの時間)。
そして、帰りはマジノ線の職員の方にお願いし、各タクシー会社に電話してくれましたが拾えませんでした。なんとマジノ線の職員の方が、業務中にも関らず車を出していただき、SOUTZ-SOUS-FORETS駅まで送ってくれたのでした。
こうして地元の方々のご好意によって、マジノ線までたどり着き、帰還することができました。しかし、これは善意に甘えてしまった結果です。好意を期待するという考えで、現地まで行くことはオススメしません。
実際に歩くと往復3時間以上かかってしまいます。
ストラスブールからのマジノ線見学ツアーを手配するのが無難かもしれません。
(下記のマジノ線公式サイト、北アルザス公式観光案内サイトで確認)
もしくはサイクリングで行く方法です。ヨーロッパの近郊列車は自転車の持ち運びも可能なことが多いです。ストラスブールで自転車をレンタルして、マジノ線に向かうのも一つの手だと思います。
正式名称:FORT DE SCHONENBOURG(ショナンブール要塞)
マジノ線公式サイト: http://www.lignemaginot.com/(メールでの問い合わせ可能)
マジノ線内の表記: フランス語、英語、ドイツ語
入場料: 8ユーロ(クレジットカード支払い可能)
開館:基本的に4月~10月の間(時間などは公式サイトで要確認)
北アルザス地方の公式観光サイト:http://www.tourism-northernalsace.co.uk/
(メールでツアーなどを問い合わせしてみてください。)
マジノ線は現代への教訓
現代のヨーロッパで「マジノ線」という言葉は、労力の割には役に立たなかった、という意味の慣用句に使われます。
しかし、現代の国防を考える上で、マジノ線は単なる1930年代の遺物ではないと思います。
ドイツ軍は、爆撃機と戦車を巧みに駆使した現代の電撃戦によって、侵攻不可能と思われていたアルデンヌの森を突破しました。先の大戦で常識であった防御に重点を置いた、機動性のない要塞、マジノ線は無力でした。
20世紀前半、2度の世界大戦は国家間同士の戦いでした。現代はテロという見えない敵と戦っているヨーロッパ各国。今までの安全の常識が覆されています。
フランスのアルザス地方の片隅にひっそりと残っているマジノ線。現代の国防や安全に対する常識、思い込みへの無言の警告をしてくれているように思えます。