【第44回】独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く その4|トピックスファロー

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2016年9月13日
【第44回】独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く その4

スターリングラードの戦いは大激戦の末、ソ連が街を守り抜きました。敗れたドイツ軍は 10万人の兵士が捕虜となり、戦後ドイツへ帰還できたのは5千人と言われています。スターリングラードの戦い以後、ドイツ軍は敗走し続けるのでした。

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降伏後のドイツ国内の反応

1943年2月18日、ドイツの宣伝相ゲッペルスは、スターリングラードの大敗北の事実を一切包み隠さず、国民に公表したのです。それは祖国が苦境に陥っていることを訴えて、より一層の国民の協力を呼びかけるためでした。有名な総力戦演説です。

ゲッペルス「君達は総力戦を望むか?」

演説に集まった聴衆は熱狂します。

しかし、その4日後、ミュンヘン大学のハンス・ゾフィーと兄達が、スターリングラードの敗北を批判するビラを校内で撒き散らし、捕まってしまいます。彼らは「白バラ」という反ナチス運動のグループを組織していました。捕まったその日に裁判にかけられ、処刑されてしまいます。

ドイツ国内でも戦争が優勢の間は、影を潜めていた反ナチス、反ヒトラーの世論が形成されつつあるのでした。

また、ドイツの連戦連勝を信じていた同盟国の日本も、スターリングラードの敗北を知り、ドイツの国力を調査する為に、調査団をドイツへ送り込んだのです。

スターリングラードの戦いが行われていた1942年から1943年は、ヨーロッパでも太平洋でも戦争の転換期となっていました。

日本軍のミッドウェー海戦やガタルカナル島の敗北もほぼ同時期でした。それまで戦局を優勢に進めていたドイツ、イタリア、日本の枢軸国は、この頃を境に敗走を重ねていきます。2度と戦局の主導権を握ることができませんでした。

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スターリングラードで降伏して捕虜になるドイツ兵

ドイツ国内のスターリングラードのゆかりの場所

旅行に発給に時間とお金がかかるヴィザやバウチャーが必要だったりして、行きにくいイメージがあるロシア。ましてや、その南部のヴォルゴグラードまで中々行けないという方に、ドイツ国内にあるスターリングラードの戦いのゆかりの場所を紹介します(地理的には日本からドイツよりも、ロシアの方が近いのですが)。

ゲッペルスの総力戦演説が行われたスポーツ宮殿 ベルリン

ベルリン市内には、総力戦演説が行われたスポーツ宮殿の跡地が残っています。

スポーツ宮殿は、第1次世界大戦直前に作られた多目的イベント会場として作られます。戦後のワイマール時代は、政治集会に使われることが多くなりました。

スターリングラードの戦いで敗北した時、ゲッペルスが絶叫したスポーツ宮殿は、今ではアパートの建物となっているのです。

詳しくは、ベルリンの中心部に眠る、ナチス時代の遺産を巡る散策 前編

スターリングラードの聖母があるカイザーヴィルヘルム教会 ベルリン

ベルリンのツォー駅前にある空襲で焼かれたままの姿のカイザーヴィルヘルム教会。

カイザーヴィルヘルム教会は、カイドブックにも必ず紹介される有名なスポットですが、 その教会の中に、スターリングラードで描かれた絵が飾ってあります。

それは、「スターリングラードの聖母」という絵です。

ドイツ第6軍の救出作戦が失敗した直後のスターリングラードの1942年12月24日、クリスマス。

極寒と食料や物資が乏しい中、兵士達は極限状態でした。彼らを励ますために、第6軍の軍医、クルト・ロイバー中尉によって、地図の裏に木炭で子供を抱く聖母像を描きます。

『ヨハネの福音書』の言葉である「licht(光)・leben(命)・liebe(愛)」を周りに記載しました。

ロイバーはソ連の強制収容所で亡くなります。戦後、生き残りドイツへ帰還した兵士が ロイバーの家族へこの絵を届けたのです。

「スターリングラードの聖母」がある場所は、教会の入口を入り右側の後ろ壁に飾られています。

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カイザーヴィルヘルム教会
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スターリングラードの聖母
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クリスマスをスターリングラードで迎えたドイツ兵

白バラ事件の舞台、ミュンヘン大学

「スターリングラードでは33万人の兵士が、ヒトラーの戦略のせいで、無意味な死に追いやられた。ドイツ国民よ今こそ立ち上がれ!」

ミュンヘン大学の医学部で組織された白バラ通信は、地味なビラ活動で、反ヒトラー運動を行ってきました。世論を誘導することはできず、線香花火のように終わってしまいます。しかし、スターリングラードの敗北によって、その想いが爆発。意を決し校内で白昼堂々ビラをまく強硬手段に訴えでます。

ミュンヘン大学の一室には、彼らの活動を伝える記念館があります。

詳しくは、ナチスが誕生した街ミュンヘンを歩く編

訪れてみたいパノラマ戦争博物館

ヴォルゴグラードに着いたら、スターリングラードの戦いの戦跡巡りをする前に、訪れてほしいのが「スターリングラード攻防戦パノラマ博物館」です。街の中心部のヴォルガ川沿いにあり、トラムの最寄り駅は、「レーニン広場」になります。

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パノラマ博物館

博物館の隣は、戦闘で焼け落ちた製粉所跡が残っています。また、ヴォルガ川と反対側の道を挟んだ向かいには、ソ連兵士が立て篭もっていた建物もあります。パブロヴァの家と言われた赤レンガ造りの廃墟です。

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製粉所跡
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パブロヴァの家

戦闘最中のスターリングラードの模型、武器や軍用品などが展示されています。そして博物館、最大の見所は、最上階にある1943年1月26日の戦闘を描いた巨大パノラマ絵画です。

入口の入場チケットやお土産を買うエントランスホールには、ロシア語のみならず、ドイツ語、英語の表記もありますが、展示室に入るとロシア語のみの表示です。

ここに、スターリングラードはソ連軍が単独でドイツ軍を打ち破った戦いという、プライドが現れています。

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博物館のエントランスロビー
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博物館の展示室
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スターリングラード市内の戦闘地域をジオラマ
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巨大パノラマ絵画

入場料:200ルーブル(400円)
英語のオーディオガイド有り

お土産で売っているスターリングッズ

スターリングラード攻防戦パノラマ博物館には、スターリンの肖像がいくつかあります。

またヴォルゴグラード市内のお土産屋には、スターリンのグッズも売っています。ヒトラーと同じく、スターリンは暴力的圧制による独裁者でした。スターリンの死後、フルシチョフのスターリン批判演説によって、ソ連各地ではスターリン色が排除されます。各地のスターリン像も姿を消し、スターリングラードも現在のヴォルゴグラードと改名されます。スターリンの功績はヴォルゴグラードでは認められているのかもしれません。

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お土産コーナー
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スターリンのTシャツ

現代の国際情勢とも符合するスターリングラードの戦い

1991年にソ連が崩壊してロシア連邦が誕生。ソ連に組み込まれていたバルト3国やウクライナ、ベラルーシなどが相次いで独立します。そして、第2次世界大戦の時、ヒトラーが狙ったバクー油田を持っているアゼルバイジャンも独立します。

しかし、ロシアはグロズヌイを首都とするイスラム教のチェチェン共和国の独立は許しませんでした。その理由は、石油が産出されるのと、バグー油田からの石油バイプランが通っているからです。ソ連が崩壊して以降、長年チェチェン紛争という独立戦争を続けてきました。その間、ロシア各国内のテロ事件の多くはチェチェン紛争がらみでした。

休息したと思われる現代でもイスラム原理主義者によるテロなどの不穏な動きもあるのです。

第2次世界大戦中、カフカフ地方のグロズヌイやバグーの油田を狙ったドイツ軍が、その途上でソ連軍と激戦を繰り広げたのが、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)の戦いだったのです。 カフカスの石油、それは第2次世界大戦中のドイツも現代のロシアも、手に入れたく、手放したくない資源なのです。

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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