歴史から見る結婚指輪の新しい選び方【リングプランナーが語る「感動と喜びを増やす」指輪とは】第一回|トピックスファロー

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2014年5月29日
歴史から見る結婚指輪の新しい選び方【リングプランナーが語る「感動と喜びを増やす」指輪とは】第一回

子供の頃、結婚指輪をつけることに憧れていませんでしたか? 日本では愛する人と結婚指輪を交換する習慣があるからです。しかし、表面的な価値だけを訴求した今の結婚指輪選びの情報だけではもう不十分。この時代のニーズにあった結婚指輪の新しい価値が求められています。

リングプランナー 飯田馨
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昨今、日本では結婚指輪をする意味がないという人が増えているようです。 しかし、このコラムを書くにあたりネットからも情報を収集しましたが、結婚指輪に関する討論がネット上でも激しく繰り広げられていました。

これは、結婚指輪への関心がないわけではなく、むしろとても強いようです。

では、なぜ結婚指輪への価値が下がってきているのか。
身に付けたくなる結婚指輪とはどんなものなのか。


これまでの結婚指輪のあり方と、これからの結婚指輪の選び方について全二回に分けてお届けいたします。まずは結婚指輪がこれまでどのような存在であったか根源を知る必要がありますその歴史をひも解いてみましょう。

起源は古代ローマだった

男性が指輪を女性に贈るのがそもそもの始まりとされています。つまり婚約指輪が最初の習慣だったのです。古代ローマでは何の飾りもない鉄の指輪を贈っていました。当時は女性の社会的地位は低く、男性の奴隷、絶対服従をする略奪結婚や売買結婚の証としての意味がありました。この時代、人々は自由に結婚相手を選ぶことも、結婚する年齢もひとりでは決めることはできませんでした。

そのような時代でも、女性が特定の男性の所有物になった証である婚約指輪に鉄が使われたのは、鉄には強い力を象徴する意味があり、信頼の結びつきという説もあります。
当時のローマでは「変わらぬ愛の証に、この指輪を捧ぐ」という意味のラテン語を刻んだリングや、キューピッドもしばしば登場します。

詩人オウィディウスは「恋の歌」のなかで、「我が愛しき人の指をひと巡りするあの妙なる品、その価値は贈るものの愛をおいて他になし」と謳っています。

結婚指輪の起源となる兆しは当時からあったことを証明しています。

結婚指輪を左手薬指にするのは古代ローマが起源とされています。

ローマ人の解剖学では左手薬指の血管が心臓に直結していると考えられていました。心臓の中には感情の中心があると考えられていたことから、「愛の血管」がある指として左手薬指にはめる習慣が生まれたという説があります。

婚約指輪を贈る習慣には、心臓の中にある感情の中心を封印する。つまり女性の意思を男性が支配するために左手薬指輪にはめさせるという説もあります。

また、男女とも右利きの人が多いため、日常生活の中では何かと利き手につけるよりも左手薬指につけるほうが邪魔にならないという実用的な説もあります。

当時の結婚指輪のデザインはシンプル。
2世紀のローマで誕生したフェデ・リングは「ふたつの握り合う手」に夫婦の誓約を表しました。フェデとはイタリア語で「忠実」を意味します。
3~4世紀頃にイギリスのノーフォーク州マイルハムで出土した「握り合う手」を模ったモチーフは99%以上の純金を使用したローマン・ジュエリーです。

キリスト教の教義とともに広まった

結婚指輪の歴史を遡ると、9世紀のカロリング朝の時代、王に仕えた大司教ヒンクマルの言葉として「神が結びたもう者達を人間が離さないように、【忠誠と愛の象徴】、夫婦合一の紐」とカトリック教会の記録には残っています。
出典 「ROAD OF THE MARRIAGE RING」

結婚指輪が大衆的に広がるきっかけとなる資料です。これは、これまでの古い意味合いを壊し、そして、新しい価値観の習慣の誕生でもあります。

やがて11世紀になると、キリスト教と共に神への【契約の証】として指輪【交換の儀式】が多く行われるようになります。

「そこでは、花婿は花嫁に金の指輪を、花嫁は花婿に鉄の指輪を交換している」(ミュール『ローマの結婚指輪の起源』)との記録が残っています。
中世14~16世紀頃には、「永遠なるものと天は、共に丸く、形はその象徴である」と恋人たちの相思相愛の念を、輪のごとく巡り続ける【愛の誓い】としてさらに広がっていきました。

わたしたちにとって憧れの存在の結婚指輪には、さまざまな意味があったのです。

日本で結婚指輪が始まったのは?

江戸時代後期に、長崎の出島に居住するオランダ人の影響を受けて一部の遊女や町人が用いたという記録が残っています。
明治時代に開国してからは、西洋の結婚指輪の文化が入ってはきましたが、日本では貴族文化も根付いていなかったことや、男性が宝飾品を身につけることが文化としてありません。そのため結婚指輪は定着しません。さらに、結婚式自体も西洋とは様式が異なっていたこともあり、結婚指輪は定着しませんでした。

結婚指輪が定着したのは、第二次世界大戦だと言われています。 戦中に、男女平等の立場で男性もするようになったわけでも、結婚の儀式として交換するのでもなく、離ればなれになるため、お互いに相手の無事を願う気持ちと、自分の代わりにいつも傍にいるという分身としての役割、遠くにいる二人を結びつける強い絆として結婚指輪をお互いの指にはめる儀式として広がりました。

戦後は、日本は生活様式も西洋の文化を取り入れるようになり、西洋式の結婚式で結婚指輪の意味も大きくクローズアップされ、指輪の交換の儀式は習慣として受け入れられるようになりました。

日本での結婚指輪の歴史は意外にも浅いのです。

次回は、身に付けたくなる結婚指輪についてお届けいたします。

著者:飯田 馨

リングプランナー 飯田馨
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リンプラの理念は「感動と喜びを増やす」。宝飾業界に約10年に携わった経験から、この理念実現をするため手作り指輪に特化した専門店として2013年6月台東区浅草に開業しました。事業活動の根底には理念探求があり、すべての判断基準は理念に基づいています。2015年6月より店舗を台東に移転しました。リングをプランニングするリングプランナーとジュエリー職人がいる工房として、手作りされる方がより安心して楽しみながら、自由な発想で想いを込める手作り指輪の制作からアフターメンテナンスまで万全な体制で対応いたします。

大切な指輪を自分で手作りすことで、人間関係を改善、絆を深める、愛を深める。調和的で、喜ばしい愛の繋がりを手作り指輪でお手伝いするのがリングプランナーの技術です。

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