英語の思いやり、日本語の思いやり
高校生の彩花が教室にやってきました。彩花は留学生のジェイミーと最近つきあい始めたばかり。
英会話の勉強にも熱が入る毎日です。
なのに、今日の彩花は元気がありません。
彩花:カンナさん、アメリカ人って「オレ様」の人が多いの?
カンナ:そんなこと、一概には言えないと思うけど…。どうしたの?
彩花:ジェイミーがね、いつも
“Do you want to see me?”
(※直訳すると「君はボクに会いたい?」)
とか、
“Do you want to go see a movie with me?”
(※直訳すると「君はボクと一緒に映画に行きたい?」)
とかっていうの。
もちろん会いたいのは会いたいんだけど、何もいちいちそんなこと言わなくてもいいと思わない?
ボクに会いたい? だなんて。
会ってやってる、みたいに思ってるのかなあ。
Yes, Yes,って言わなきゃいけないのが、とってもイヤなの。
カンナ:あ、その誤解は私もしたことある。
彩花:誤解なの?
カンナ:そう。誤解。
英語では、相手の意志をたずねることが思いやりなの。
日本語だと「一緒に行きましょう」とか「本を取ってきてあげましょう」とか、相手に実際に何かしてあげたり、自分にはその気持ちがありますよ、って言うことが思いやりでしょ?
何も言われなくても、相手の気持ちをおしはかって、先回りしてやってあげるのが親切、って思ってるところがあるよね。
でも、西洋では相手を独立した人格と認める、ってことが根本にあるような気がするの。だから、相手の意志も確認せずに何かをしたりはしない。
先回りして何かすると、下手したらおせっかいと思われちゃうかもしれない。
私もね、初めてアメリカに行ったときは、向こうのホストマザーに
“Would you like me to show around the town?”
(※直訳すると「あなたは私にこの町を案内してほしい?」)
って聞かれたの。
でも、遠慮もあるし、ホストマザーにわざわざそんなことをしてもらわなくてもいいや、って思って、深く考えずに、ノー、サンキュー、なんて言っちゃって、ちょっと気まずくなっちゃったことがある。
彩花:“No, thank you.”って、結構きつく聞こえるよね。[*1]
カンナ:そうなのよ、だけど、その時はそんなことわからないし、英語をしゃべること自体に慣れてないから、妙にぶっきらぼうに言っちゃったの。
そしたら、
“Okay, you are self-sufficient.”
(わかったわ、あなたはなんでもひとりでできるのね)
なんて言われちゃって、焦った焦った。
“I’m not used to speaking English yet.”
(英語を使うのに、まだ慣れてないんです)
って言ったら、わかってくれたけど。
彩花:そうなんだ。
でも、カンナさんのホストマザーの
“Would you like to ~”
だと、ああ、いかにもわたしの意志を聞いてくれてるんだ、って感じがするけど、
“Do you want to ~”
なんて聞かれると、すごくむきだしの感じがしない?
”キミ、ナントカしたい?”っていつも聞かれてるような気がする。
カンナ:”Would you like to ~”と”Do you want to ~”の間にほとんど差はないと思うよ。
初対面や年長の人だったらともかく、友だち同士の間なら、want が自然だと思う。
いちいち直訳して聞いちゃうんじゃなくて、”Would you like to ~”とか、”Do you want to ~”とかって聞かれたら、ああ、この人は私がどうしたいかを聞いてくれてるんだ、思いやりを示してくれてるんだって、ありがたく受け取ったらいいと思うよ。
彩花:そうなんだー。ジェイミー、私を思いやってくれてるんだー。
カンナ:ジェイミーが特別に彩花ちゃんを思いやってるかどうかは知らないよ(笑)
英語ネイティブがそういう思考をする、って話なんだから。
ま、がんばって。
“No, thank you.” がきつく聞こえるはほんとう
「アメリカ人は”Yes”,”No”がはっきりしている」というのはよく聞く話ですが(これは日本人ばかりではなく、イギリス人もそんなふうに感じると言っていたのを聞いたことがあります)、かといって思いやりを示してくれる人に、No をむきだしで投げつけるのは、無礼とされています。
そんなときには
“Thank you, but I’m O.K.”
というと、うまくいきます。