【第108回】オランダの戦い ナチスドイツとアメリカに狙われた悲運のロッテルダム 前編-その4|トピックスファロー

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2025年2月19日
【第108回】オランダの戦い ナチスドイツとアメリカに狙われた悲運のロッテルダム 前編-その4

ヨーロッパ最大の港湾都市、ロッテルダム。その物流拠点の特性からも、ロッテルダムの重要性はドイツ・オランダの両軍とも意識していました。第二次世界大戦で初めて無差別爆撃の被害を受けた都市としても有名です。そんなロッテルダムを巡ってみたいと思います。

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1940年5月、ドイツ軍、オランダへ進撃を開始

1939年9月、ドイツがポーランドへ侵攻して始まった第二次世界大戦の開始以来、沈黙していた西部戦線の火蓋が切って落とされます。1940年5月10日、ドイツ軍がオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスへ侵攻、ついに前年から延期を繰り返していた「黄色作戦」が発動されたのです。

オランダの平原オランダの平原

当初、ドイツ軍は低地国家のオランダ、ベルギーを通過して、フランスを目指す計画を立てていました。しかし、1月のメヘレン不時着事件(「【第108回】オランダの戦い 西部戦線の侵攻作戦が漏洩?不時着事件-その3」参照)で侵攻計画が連合国側に漏れている可能性もあり、主力部隊(A軍)を走行不可能と思われていた、ベルギー南部、ルクセンブルクの森林地帯、アルデンヌの森に進撃します。オランダ、ベルギーの平地地帯にも部隊(B軍)を進めますが、A軍の進撃をカモフラージュするための偽装工作でした。

1940年5月のドイツ軍の進路1940年5月のドイツ軍の進路

ドイツ軍はオランダ、ベルギーの平地地帯に主力部隊を展開すると想定していた連合軍は、不意を突かれてしまいます。

ドイツ軍はライン川沿いにドイツとの国境沿いに築かれていたフランスの要塞、マジノ線を迂回して進撃。また、平地のオランダ領を突っ切って進撃するドイツ軍を威嚇することができたはずのベルギーが誇るエバンエマール要塞は、ドイツ軍のグライダー部隊によって一瞬で制圧されてしまいます。

マジノ線については、下記の記事をご参照ください。
【第39回】ドイツ軍に敗れたフランスが誇る難攻不落の要塞、マジノ線

エバンエマール要塞については、下記の記事をご参照ください。
【第90回】半日で陥落したベルギーが誇った、エバンエマール要塞-その1
【第90回】半日で陥落したベルギーが誇った、エバンエマール要塞-その2

橋の争奪が運命を決める、オランダの戦い

【第108回】オランダの戦い オランダの国運を握っている河川、港-その1」編でも紹介したように、オランダは、国中に運河と川が張り巡らされている国です。戦争では運河と川が天然要塞になります。オランダは、ドイツが侵攻してきた場合、堤防、運河と川に架かる橋を破壊して、低地を水浸しにする洪水線(ウォーターライン)と言われる防衛戦略をとります。

これは低地国家、オランダの伝統的な防衛戦略です。

オランダ中に巡らせている運河オランダ中に巡らせている運河

当然、ドイツもオランダの洪水線の戦略は承知していますから、オランダに侵攻した場合、橋を破壊される前に迅速に制圧する必要がありました。そこでドイツ軍は空挺部隊が大活躍することになります。オランダ国境に近いエバンエマール要塞を制圧したのと同様、ドイツ空軍は、オランダ各地の空港を爆撃して、制空権を奪取した後、空港、主要な橋へ空挺部隊の兵士がパラシュートやグライダーで降り立ち制圧していきます。

1939年9月、ポーランドを蹂躙した空からの攻撃と地上での機動力を生かした電撃戦に続き、ドイツ空軍の空挺奇襲作戦は、戦争の常識を変えていくことになります。

順調に進んでいたドイツ軍のオランダ制圧作戦、その都市の中で、唯一苦戦していたのが、オランダ、第2の都市、港町ロッテルダムでした。

ロッテルダムの抵抗

1939年9月にドイツがポーランドに侵攻する直前、中立を維持したいオランダでもドイツ侵攻に備えて30万人近くの兵士が動員、編成されます。その中でもロッテルダムは戦略的に最重要都市として、7,000人以上の守備が多数動員されました。

第二次世界大戦直前、動員されるオランダ兵第二次世界大戦直前、動員されるオランダ兵

ロッテルダムはオランダで最も重要な港湾都市であり、空港もあったからです。また、街を流れるマース川に架かる橋は、オランダ南部につながる物流拠点でもありました。そのため他のオランダの都市に比べて守りが強化されていました。

ドイツ軍の黄色作戦が始まった、1940年5月10日の朝、ロッテルダムの中心部を流れるニューマース川に12機のドイツ軍の水上機が着水します。約80人のドイツ兵が上陸、橋の一部などを占領しますが、オランダ軍の守備隊と銃撃戦が始まります。

ニューマース川に着水するドイツ軍の水上機ニューマース川に着水するドイツ軍の水上機

ヴィルヘルム橋

当時、ニューウェ・マース川上にあるノールデル島(北島)とロッテルダムの北側を結ぶためにヴィルヘルム橋が架かっていました。現在のヴィルヘルム橋は1981年に再建されたものですが、ロッテルダムの戦いはこの橋の奪取が争点となります。

ヴィルヘルム橋ヴィルヘルム橋

1878年に開業した初代のヴィルヘルム橋は、鉄道橋と並んで架かっており、西側にあったのが当時のヴィルヘルム橋になります。現在のヴィルヘルム橋の位置は当時の鉄道橋より若干西側になります。

右側に映っているのがヴィルヘルム橋と鉄道橋右側に映っているのがヴィルヘルム橋と鉄道橋

ドイツ軍はオランダ軍の抵抗にあって、ヴィルヘルム橋を制圧できましたが、オランダが降伏する5月14日までロッテルダムの中心部である北側に行くことはできませんでした。

一方、オランダ軍も橋の破壊や奪回を試みますが成功しません。当時のことを示すプレートが北側の橋近くのレストランの一角にひっそりとあります。

オランダ軍が死守した北側オランダ軍が死守した北側

プレートプレート

レストランレストラン

ニューウェ・マース川はヨーロッパ最大のロッテルダムの港湾施設の流域となっています。そのため、ロッテルダム港で積み替えされた海上コンテナを運ぶ小型の内陸船が行き交う姿を見ることができます。ニューウェ・マース川は北海から注ぎ、様々な川、運河に名前が変わった後、ライン川になります。その中のネーデルライン川は、1944年、イギリス空軍によるマーケットガーデン作戦が行われたアーネムを通る川です。

ニューウェ・マース川に停泊する海上コンテナの内陸船ニューウェ・マース川に停泊する海上コンテナの内陸船

マーケットガーデン作戦については、「【第21回】映画「遠すぎた橋」の舞台となった激戦地、オランダのアーネム」編をご参照ください。

2024年3月1日には、海上コンテナを積んでいた内陸船がヴィルヘルム橋に衝突して、コンテナが流出する事故が発生しています。以前にも同様の事故が起きたらしく、積み荷の高さを誤ったのかと思われますが、ロッテルダムの事故の同じ月の26日、アメリカのボルチモアでは海上コンテナを運ぶ大型船が制御不能に陥り、橋に激突して死者を出しや大量のコンテナが流出する大惨事があり、物流に世界的な混乱をもたらしました。

ニューウェ・マース川から望むヴィルヘルム橋ニューウェ・マース川から望むヴィルヘルム橋

物流、交通の拠点は、戦争でも争奪のための激戦地になることが多いですが、平時でも事故が起きると世界中の人々に生活に影響がでてきます。あらゆる仕事の基本ですが、事故の原因の究明と今後の防止策をしっかりと立ててもらいたいと思います。

海上コンテナを運びニューウェ・マース川を運行する小型船海上コンテナを運びニューウェ・マース川を運行する小型船

関連動画
【1940年5月 オランダの戦い】ヴィルヘルム橋跡
【1940年5月 オランダの戦い】ヴィルヘルム橋跡(@YouTube)

バレンドレヒト橋跡

また、ロッテルダム南側のバレンドレヒトという地区にも、オランダ軍とドイツ軍の空挺部隊の戦いが行われたバレンドレヒト橋の史跡があります。最終的にはヴィルヘルム橋同様、ドイツ軍に奪取されてしまいますが、オランダ軍とドイツ軍が攻防を広げた橋です。

バレンドレヒト地区は、住宅街、農村、ビジネスパーク地区の3つにわけられます。2つの高速道路が交わるジャンクションがあり、高速鉄道、旅客鉄道、貨物鉄道など、多くの鉄道が通過します。物流、交通のハブとなっているのがわかります。高速道路近くのジャンクションには、ビジネスパーク地区には日系の物流会社も進出しています。

ビジネスパーク地区ビジネスパーク地区

住宅街住宅街

農村農村

ビジネスパーク地区から住宅街を通りひたすら南へ30分ほど歩くと、アウデ・マース川に着きます。アウデ・マース川に架かっていたバレンドレヒト橋は、1885年に建設され、1898年には路面電車も通り、1933年には船が通る時、橋が垂直に稼働する昇開橋になります。

バレンドレヒト橋跡バレンドレヒト橋跡

当時のバレンドレヒト橋跡当時のバレンドレヒト橋跡

橋の一部、全部が移動できる可動橋について、少し専門的な補足です。

以下の動画は船が通る時、開く形態の跳開橋の橋の様子です。

参考動画
ロッテルダム市内の跳開橋。貨物船が通り跳開橋が上がる光景
ロッテルダム市内の跳開橋。貨物船が通り跳開橋が上がる光景(@YouTube)

ゴンドラで運ぶタイプの橋については、「【第95回】ヨーロッパの中央に位置するドイツ物流の風景-その2」編をご参照ください。

既述のロッテルダムのヴィルヘルム橋を渡りノールデル島に行くと、産業遺産の昇開橋の鉄道橋(デヘフ橋)があります。1878年に完成したデヘフ橋は、ロッテルダム港を結ぶ列車が運行され、戦後のロッテルダム港の再建にも貢献し、1993年には鉄道橋の役目は終えます。

ノールデル島と南側をつないでいた鉄道橋、デへフノールデル島と南側をつないでいた鉄道橋、デへフ

アウデ・マース川の下流は、ロッテルダム港で北側を流れるニューウェ・マース川と合流します。上流ではドルドレヒトでノールト川によりニューウェ・マース川につながります。更に上流にいくとニューウェ・マース川同様、様々な川に名前を変えて、アーネム付近のパネルデン運河でニューウェ・マース川と合流して、ライン川へとつながります。

そのため、バレンドレヒト橋跡から貨物船は行き交う姿を見ることができます。

アウデ・マース川を運行する貨物船アウデ・マース川を運行する貨物船

バレンドレヒト橋は、1969年に廃止され、現在は橋から東へ1キロの場所のハイネノールト・トンネルに代わっています。

現在は塔の跡と1940年5月の戦いの犠牲者の名前が刻まれたモニュメントと説明文のプレートがあります。

モニュメントモニュメント

関連動画
【1940年5月 オランダの戦い】バレンドレヒト橋跡
【1940年5月 オランダの戦い】バレンドレヒト橋跡(@YouTube)

ロッテルダム市内からバレンドレヒト地区へはバス、トラムなどアクセスが充実していますが、バレンドレヒト橋跡周辺には、停留所がないので数十分は歩くことになります。アクセス方法は、グーグルマップ地図を使ってリアルタイムで検索してください。その時間の最短ルートを検索してくれます。

イントロダクション

住所:achterzeedijk 75,2992 sb barendrecht

バレンドレヒト地区の小さな運河と昇開橋バレンドレヒト地区の小さな運河と昇開橋

ロッテルダムでの戦いは善戦しましたが、オランダ全土の要所をドイツ軍の空挺奇襲攻撃で抑えられたオランダ軍は、戦闘開始5日後の5月15日、ドイツ軍に降伏します。

しかし、悲劇は起きたのでした・・。

<【第108回】オランダの戦い オランダの国運を握っている河川、港-その1
<【第108回】オランダの戦い ヒトラー暗殺未遂事件の黒幕?独蘭国境の人質事件-その2
<【第108回】オランダの戦い 西部戦線の侵攻作戦が漏洩?不時着事件-その3
【第108回】オランダの戦い ナチスドイツとアメリカに狙われた悲運のロッテルダム 前編-その4
>【第108回】オランダの戦い ナチスドイツとアメリカに狙われた悲運のロッテルダム 後編-その5

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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