ポロト湖、平取、阿寒で自然を愛したアイヌ文化に触れてみよう|トピックスファロー

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2015年5月13日
ポロト湖、平取、阿寒で自然を愛したアイヌ文化に触れてみよう

江戸末期から明治にかけて、北海道は和人の支配下におかれた。独特の文化は切り捨てられていった。そのアイヌ古来の生活を体験できる場所がある。自然を愛し、人間の精神世界を愛したアイヌ文化は現代への教訓にもなる。

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ポロトコタンにアイヌ集落が再現されている

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アイヌの生活に触れる

苫小牧市から50kmほどの白老町にポロト湖がある。
もともと白老町にはアイヌ部落があり、それを湖畔に移築したのがポロトコタン。アイヌ語で「大きな湖の集落」だ。

アイヌ民族の文化の調査研究、伝承保存と普及を目的としたアイヌ民族博物館となっている。

map ⇒ アイヌ民族博物館

チセ、と呼ばれるアイヌの茅葺きの家が、5棟があり、アイヌの生活様式がうかがえる。さらに、伝統芸能や手工業などの無形文化財に触れることができる。

チセの中で、昔のアイヌの生活や、風習、季節の行事などの解説が聞ける。また、国の重要無形民俗文化財に指定されたアイヌ古式舞踏も鑑賞が可能。
アイヌ独特の楽器、ムックリ(口琴)、トンコリ(五弦琴)の演奏や、イオマンテリムセ(熊の霊を送る踊り)が披露される。

手工芸では、代表的なアットゥシ織の実演がある。
北海道に多いオヒョウの樹皮から繊維をとり、アイヌ文様を織り込んで着物を作ったり、キナ(ござ)を乾燥したガマの葉で編んで木綿布にアイヌ文様を織り込む。曲線で構成されたアイヌ文様が独特だ。

アイヌの重要な食料の一つ、サケの保存方法も再現される。
秋に採取したサケは、冬のあいだ寒干しされ、いろりの煙で燻製になる。
季節によっては、湖畔での寒干しの風景や、チセ内部での燻煙の様子をみることが可能だ。


アイヌの家に見える自然への崇敬

チセは葦や萱など、身近な植物で作られている。
白老には葦が多く、ポロトコタンのチセは葦でできている。

北国でこうした植物の素材を使うのには理由がある。植物を集めて作られる壁は内部に空間が多くなり、厳寒の冬でも断熱効果があるからだ。

土間構造の内部は地熱を利用できるため、囲炉裏でちろちろと火を絶やさずにいることで、チセの内部を暖かく保つことが出来る。

真冬でも、室内の体感温度は20度前後あったとの研究報告がある。


掘っ立て小屋の秘密

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チセの構造はシンプルな掘っ立て小屋構造だ。
柱の上に、梁、桁を回し、棟木を渡す。
掘っ立て小屋は文化度が低く思われがちだが、実はアイヌの精神世界が反映した構造になっている。

アイヌでは家は夫が建てるが、妻の所有物となる。
夫が先に死ねば、壁をくり抜いて外で夫を弔う。その後、壁をふさいで夫が戻れなくする。夫は神の世界でまた家を作り、狩りをして暮らす、と考える。

妻が死ねば、家財道具ごと家を燃やして、神の世界に送る。妻が神の世界で住む家がないと困るので、一緒に送る、とされる。

跡形もなく燃やして送るため、掘っ立て小屋構造が一番適している。すべてを灰にしてすべてを自然に返すやり方だ。

実はこの掘っ立て構造は、倭人の伝統的な建築様式でもある。
伊勢神宮が今でもこの構造をとっている。なぜなら、20年ごとに実施される式年遷宮は古いものをすべて自然に返し、新しくするという考え方だ。アイヌのチセと考え方が似ている。
古い建物を取り払って新しくするには、掘っ立て構造が一番やりやすい。

アイヌのチセは、人の物欲を刺激しない。
自然と人間が輪廻を繰り返す。
神の世界を意識して暮らす、純朴な精神世界がある。

そんな世界を感じながら、チセをみていくと新たな思いが広がるようだ。

日高平取町のアイヌ文化博物館

アイヌ文化の美術に触れる

日高の平取町に、二風谷アイヌ文化博物館がある。
アイヌ民族の衣類、狩猟道具や祭具などが展示されている。

口承文芸として伝えられている、カムイユーカラ(神話)を聞くことができる。
需要有形民俗文化財指定を受けた、ここだけの織物、「二風谷イタ」「二風谷アットゥシ」も多く展示され、素朴な中にも自然を意識したデザイン性をうかがうことができる。

野外にチセや倉がある散策コースもあり、二風谷ダムや湖などの自然景観にも恵まれている。

map ⇒ 二風谷アイヌ文化博物館

歴史ある、阿寒や札幌の記念館

歴史ある舞踏も

まりもで有名な阿寒湖畔にもアイヌコタンがある。
「阿寒湖アイヌシアター イコロ」があり、アイヌ古式舞踏、阿寒アイヌによる人形劇、イオマンテの火祭り、ユーカラ劇が実演される。

アイヌ古式舞踏は2009年にユネスコ世界無形文化遺産に登録された。
シアターでは炎が燃え、水路にはアイヌ民族特有の丸木舟が浮かぶ。幻想的なステージで、炎のように歌い、舞う。
ムックリやトンコリの崇高な音色の中で、神や自然への祈り、敬愛を現す美しく、荘厳な踊りに心を打たれる。

併設されたアイヌ生活記念館「ポンチセ」には、アイヌ民族の生活をうかがわせる民具、衣類が展示されている。
アイヌのエカシ(長老)やフチ(おばあさん)から、アイヌの昔話を聞くことができ、自然を敬って生きてきたアイヌの世界を聞くことができる。

map ⇒ 阿寒湖畔

札幌にもアイヌ文化に触れることができる施設がある。
アイヌ文化交流センター・サッポロピリカコタン」は、札幌市中心部から定山渓温泉への中間にあり、伝統衣服や民具が約300点展示されている。

展示品には直接手にとって触れることや、アイヌの手工芸の丹念なきめ細かさを確認することができる。

map ⇒ アイヌ文化交流センター

アイヌ文化が今、伝えること

アイヌの生活は、明治時代以降は「原始的」であるとされ、和人と同様な生活を強いられた。
アイヌの豊かな精神世界を評価されることなく、その文化が廃れている。ところが逆に現代社会はアイヌ文化から教わることは多い。

例えば、アイヌの一番重要な食料だったサケにもそのヒントがある。アイヌはサケを収穫すると、一番おいしいとされるハラミは神に捧げ、内蔵は屋外の樹木につるし、鳥獣に分け与える。残った部分を人間の食べ物とする。

まさに環境と共生する生活を実施していた。

狩猟の対象だったクマも、殺した時はクマの霊を送る、イオマンテの祭りが行われる。これは、神の世界にいくクマのために、たくさんのお供えや祈りを捧げ、また帰ってきて欲しいと送り出すからだ。
神の世界でクマは人間から多くの土産をもらった、と他のクマ神に語り、それではみんなで人間世界に戻ろう、とやってくる。そう、アイヌは考える。
周囲の自然とのつながりを常にアイヌは大事にしている。

かつては日本の中で石川県付近までアイヌ民族が暮らしていたとも言われている。
アイヌのチセと、伊勢神宮の建物に関する考え方が似ているように、日本人のルーツ、精神世界にも大きな影響を与えていたのだろう。

静かなアイヌの里で、現代社会を考えるのも新しい旅になりそうだ。

著者:メイフライ

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スポーツ関連や、バイオマス、太陽光などのエネルギー関連で取材、ベンチャー企業の企画室での職務経験があります。