外国語が飛び交うゲレンデは日本人のほうが少ない!?
ニセコアンヌプリ山の山麓に、4つの大きなスキー場がある。
その雪質はパウダースノーで、以前から国内でも有名だった。
1月、2月にもなると、1日中降り続く日もあり、毎日フワフワの新雪を楽しめることも珍しくない。
最高気温が零下の日が続くのも、粉雪が維持するのに好都合だ。
この4つあるスキー場は、共通のリフト通券を発行しており、スキーヤー、スノーボーダーが同じリフト券を利用できる。
ゴンドラなどの到着地点である1000m台地から違うスキー場に移ることもできるので、数多くのコースを体験できるのも、ニセコの魅力の一つになっている。
そんなニセコのスキー場はで、現在、ゲレンデ、ゴンドラ、レストランで、日本語より英語、中国語の方が多く聞こえてくる。
場所によっては9割以上のスキーヤー、スノーボーダーが外国人だという。
夜は、町の居酒屋、レストランで、彼らの楽しそうな歓声が聞こえてくる。もちろん居酒屋のマスター、レストランのウエイトレスも外国語で対応している。
とても、日本の田舎町とは思えない光景だ。
観光客ばかりでなく、居住者も
ニセコ町の人口4983人(平成27年1月末現在)の内、外国人居住者は191人と、全体の3.833%を占める。
これは、全国都道府県の外国人居住者数割合1位の東京都2.423%を上回る数字だ。
全国市町村でも、1位新宿区の7.889%には及ばないものの、台東区の4.483%に次いで、全国6位に相当する。
外国人の雇用が多い東京なら外国人居住者が多いのがわかるのだが、わずか5000人弱しかいないニセコ町では異例の人口数だと言える。
パイオニアはオーストラリア人
ニセコが外国人の町となったきっかけを作ったのは、1990年代にニセコのスキー場を訪れたオーストラリア人だった。
それまで、オーストラリアのスキーヤーはヨーロッパ・アルプスや北米・カナダへ出掛けていた。
さらに、ヨーロッパ・アルプスやカナダのスキー場のスケールはいくら広大だとはいえ、ほとんどは氷河の上にある。ニセコのように毎日新雪が降り続くパウダースノースキー場は意外と少ない。しかもホテルからゴンドラに載ってすぐに粉雪の世界を経験できる。そんなスキー場は、世界でも恵まれた環境にある。
オーストラリア人自身が旅行プランを立てた
ニセコの自然資源の素晴らしさと魅力を知ったオーストラリア人達は、ニセコに現地法人を作り、積極的にオーストラリアからの観光客誘致に乗り出した。
こうしたオーストラリア向けアウトドアビジネスから始まり、今では倶知安町、ニセコ町の別荘、ペンション経営を誘致する不動産業や投資の窓口事業まで発展している。
これは、バブル期の日本で、日本の旅行業者が日本人向けのパックツアーを多く開発し、海外旅行ブームを巻き起こした手法の、いわばオーストラリア版だ。
一時、円安や東日本大震災でオーストラリアからの観光客が減った時期もあったが、最近は再び回復してきている。
アジアからも急増
オーストラリアに限らず、台湾、中国、香港、韓国からの観光客も増加している。近年はタイ、マレーシアなどからも増えている。
不動産業では、最近はアジアの富裕層がニセコ町のペンション、ホテルなどの不動産取得に積極的になっている。
オーストラリアに加え、アジアからの観光客が増えたニセコ。2002年には6000人弱だった外国人宿泊者数が、2010年には10倍の6万人を越えた。
夏のレジャーも活発に
ニセコ町のオーストラリア人のレジャー会社は、夏の川下りだけではなく、ニセコの自然環境を利用したレジャーも開発していった。
ニセコアンヌプリ山でのパラセーリングのスカイスポーツ、トレッキングの登山なども旅行プランに組み込んでいった。
もともと周囲にたくさんある温泉や、ゴルフ場などを組み合わせた滞在型プランを次々提案していった。
周辺には広大な農業地域もあり、ジャガイモ、アスパラなど新鮮な野菜などの食材も豊富にある。今後は、食文化を含めた発展も期待されている。
国際リゾート目指すニセコ
ニセコ町のホームページも、英語、中国語、台湾で使われる中国語、韓国語で作られている。
役場も商工観光課、総務課には外国人職員を雇用し、日本語が離せない外国人に対応するなど、積極的に外国人観光客の誘致に動いている。
また、産業育成を目的に、ニセコで外国人がビジネスを行うために居住できる環境を整えてきた。外国人子弟の教育ができるように、「HISインターナショナルニセコ校」も誘致した。
ニセコ町の小学校と一緒に活動を行うなど、積極的な交流も行われている。
結果的に、ニセコの子供たちの国際感覚、英語教育に役立っている。
将来は、この子供たちが、国際リゾートタウン・ニセコの発展を支える職業人として自立する、遠大な計画も着々と進行している。