1943年7月、ドイツの港である町ハンブルクは、イギリスとアメリカ連合軍による「ゴモラ作戦」と命名された大空襲で壊滅的な被害を受けました。その傷跡を残すものが、今もハンブルク市内に残っています。
1943年9月、日独伊三国軍事同盟の中で早くも離脱したイタリアは、その直後ドイツの軍政下におかれることになりました。その時、ドイツ軍に抵抗する組織、パルチザンがイタリア各地で活発化したのです。ローマで彼らの痕跡を巡ります。
第2次世界大戦のイタリア戦線で一番有名な戦い「モンテ・カッシーノの戦い」。1944年、山中にある1つの修道院を巡り連合軍とドイツ軍で4ヶ月に渡る長期戦が行われました。その舞台となったモンテ・カッシーノ修道院の現在を追ってみます。
日曜日、昼下がりの午後。わが子を連れていくのは、キャラクターショーだ。 「みんなー、ゲンキー!?」 ”お姉さん”の声かけに、歓声をあげる子どもたち。 怪獣がやってくる。 黒ずくめの悪役たちが、子どもたちの間を駆けまわる。 […]
青梅ってある意味ミステリアスかも 青梅ってどこにあるかご存知ですか? 大抵は聞いたことはある程度で、せいぜい「青梅マラソン」が精一杯でしょうか。 一応言っておきますが、青梅は東京都です。 東京駅から青梅駅までは、一番早い […]
いつもと同じ時間に起きる。ぎゅうぎゅうの満員電車に揺られて出勤する。仕事は昨日の続き。いつものメンバーでランチ。ぐったりと疲れて家に帰り、倒れこんで眠ると間もなく明日がやってくる。 私たちが生きる、決まりきった毎日。それ […]
日本人にとって最も人気の海外旅行先といえば台湾。その理由のひとつがグルメにあります。小籠包をはじめとするさまざまな料理やスイーツが日本人のハートをつかんで離しません。そんな台湾グルメの醍醐味を一度に体験できるのが、毎年夏に行われている「台湾美食展」。2017年の会場に潜入し、そのフィーバーぶりをレポートします!
1938年5月9日と1940年10月28日、ヒトラーはイタリアのフィレンツェを訪問しています。2回とも目的はムッソリーニと会談するためでした。フィレンツェでのヒトラーの痕跡を追います。
前編ではムッソリーニの生まれた起源を探究する旅でしたが、後編ではムッソリーニの最期を追いかけます。処刑されたスイスとの国境近くのコモ湖、遺体が吊るされたミラノを巡ります。そして、現地で感じたムッソリーニに対する地元の人達の反応は?
ドイツのアドルフ・ヒトラー、日本の東条英機と並び、独裁者と言われているベニート・ムッソリーニ。しかし、現代のイタリアでは、ムッソリーニはドイツにおけるヒトラーのように絶対的な悪というわけではありません。