【第21回】映画「遠すぎた橋」の舞台となった激戦地、オランダのアーネム|トピックスファロー

  • 主婦からプロまでライター募集
2015年8月12日
【第21回】映画「遠すぎた橋」の舞台となった激戦地、オランダのアーネム

1944年9月、オランダの南東部に位置するアーネムは、イギリス軍空挺部隊とドイツ軍による激しい戦闘の舞台となりました。この戦闘は、映画「遠すぎた橋」(1977年公開)で描かれており、アーネムの街には今も当時の痕跡が多数残っています。

戦争遺跡ライター
ヒロマルのfacebookアイコン
  

アーネムが激戦となった「マーケット・ガーデン作戦」とは?

マーケット・ガーデン作戦

第2次世界大戦末期の1944年6月、連合軍はノルマンディーに上陸、パリを解放、9月、ベルギーの大部分も解放して、西部戦線で支配していたドイツ軍を次々に撃退していきました。
そして、イギリス陸軍元帥のモントゴメリー将軍はドイツ領内へ侵攻し、オランダ、ベルギーの国境に近いドイツ経済の心臓とも言えるルール工業地帯を占領して、一気にドイツにとどめを刺す作戦を発案します。

オランダのアーネム近郊のライン川に架かる橋を空挺部隊によって確保し(マーケット作戦)、これによって確保した橋と道を利用し、ベルギー北部からの地上部隊の進撃によってドイツ領内へ侵攻する計画でした(ガーデン作戦)。

運河と橋が多いオランダの地形を利用した「マーケット・ガーデン作戦」は、戦争初期の1940年5月、ドイツ軍の空挺部隊が主要都市と橋を奇襲で制圧し、地上部隊が確保された道へ突進した作戦と似ていました。その結果、ドイツ軍は5日間でオランダを降伏させます。

1944年9月17日、イギリス空軍の大編隊が空挺部隊をアーネム周辺に落下させます。空挺部隊は一部の橋を確保、そのうちジョン・フロスト中佐の部隊がアーネムの街の北側に到達し、アーネムの橋まで侵攻します。しかし、無線機の故障などもあり、ドイツ軍の猛攻に遭って孤立し、降伏してしまいます。

フォロスト橋の戦い

失敗を知ったモントゴメリー将軍は「作戦は9割方成功した。しかし、橋は遠すぎた」とつぶやいたと言われています。

マーケット・ガーデン作戦が失敗した大きな理由は、連合軍は北フランスやベルギーでの戦いの勝ち戦が続き、クリスマスまでに戦争を終わらせたいという楽観論が蔓延していたことが挙げられます。

具体的には
1:作戦立案から実行まで1週間しかなかった(事前の準部不足)。
2:ドイツ軍の精鋭部隊、SS装甲師団がアーネム周辺で休養再編中という現地レジスタンスからの情報を握りつぶしてしまっていた

どうやって行く?アーネム

アーネムは首都のアムステルダムから南東の位置にあります。アムステルダム中央駅からIC(国内特急)で約1時間で着きます(1時間に2本ほど)。更に列車に乗ってドイツとの国境を越えれば、ライン川沿いにデュッセルドルフ、ケルンなどドイツのルール工業地帯に入ります。連合軍が制圧しようとしていたルール地方に近いのが実感できます。

アムステルダムからデュッセルドルフまで列車で約2時間30分で着きます。ヨーロッパ周遊でオランダからドイツへ行く時、またドイツからオランダへ行く時に、途中にある街アーネムへ立ち寄ってみるのもいかがでしょうか。

アーネムの街並み

アーネムの街並み

アーネムの南側にはネーデルライン川が東西に流れています。アーネム駅前にはユトレヒト通り(UTRECHTSEWEG)という東西に伸びている道があります。ユトレヒト通りの所々からは、眼下に沿って流れているネーデルライン川を見ることができます。

駅を出て左側南東へ1kmほど行くと街の中心部です。中心部はマルクト広場、州庁舎、ショッピングセンター、ファーストフード店などで賑わっています。マルクト広場では日曜日になると朝市が開催されます。
アーネムはオランダのヘルダーランド州の州都ですが、日本の県庁所在地の都市に比べても小さくこぢんまりとした街です。

また、郊外にはオランダ最大の国立公園や昔の民家、農家が再現され、オランダの昔の暮らしが体験できる「オランダ野外博物館」もあります。

遠すぎた橋「ジョン・フロスト橋」とその周辺

空挺広場「AIRBORNE PLEIN」

マルクト広場から東側へ数分歩くと「AIRBORNE PLEIN」に出ます。「AIRBORNE PLEIN」には1944年9月のアーネムの戦いのモニュメントがあります。

AIRBORNEPLEIN

四方を交差する道の下にあり、道を潜ると円形状になっている広場に出ます。その中心部を花壇に囲まれるようにして、モニュメントが建っています。石でできたモニュメントには、「17 SEPTEMBER 1944」とマーケット・ガーデン作戦が開始された日付が金色で刻まれています。

AIRBORNEPLEIN 2 AIRBORNEPLEIN 3

ジョン・フロスト橋

「AIRBORNE PLAIN」からNIJMEEGSEWEG通りをネーデルライン川方面に少し歩くと、遠すぎた橋こと「ジョン・フロスト橋」に着きます。
当時の名前はアーネム橋でしたが、戦後再建され、この橋で勇敢に戦って敗れたイギリス軍のジョン・フロスト中佐の名前をとって「ジョン・フロスト橋」と呼ばれるようになりました。

ジョン・フロスト橋

アーネムの西方に降下し、激戦の末、アーネムの北側を占拠することができましたが、圧倒的な兵力差のためイギリス軍第1空挺師団フロスト大隊はドイツ軍SS戦車師団に囲まれてしまいます(写真)。橋も確保できず、橋の南側はドイツ軍の支配下のままでした。
フロスト大隊は4日間持ちこたえますが、最後にはドイツ軍に圧倒され降伏してしまいます。

橋の北側には、オランダ解放のために勇敢に戦ったフロスト大隊を称えるレリーフが設置されています。
ジョン・フロスト橋は今でもアーネムの北側と南側を結ぶ動脈の一つで、自動車が行き交い市民の生活に欠かせない橋となっています。橋からの景色は、静かに流れるネーデルライン川を挟んで、北側はアーネムの街並み、南側は森林地帯となっており、牛が放し飼いとなっている光景も目にすることができます。

ジョン・フロスト橋周辺

北側のジョン・フロスト橋の横の建物は、「BATTLE OF ARNHEM INFORMATION CENTER」となっていてます。後ほど紹介する空挺博物館の一部分となって、アーネムの戦いに関する展示が無料で公開されています。この建物は、アーネムの戦いの時、フロスト大隊の司令室の建物があった場所になります。

B O  I CENTR

「BATTLE OF ARNHEM INFORMATION CENTER」前はちょっとした広場になっていて、アーネムの戦い直後の写真や、戦いを描いた絵が展示されています。ベンチもあるので一息しながらジョン・フロスト橋を眺めるのには最高のロケーションです。

INFORMATION前の広場

BATTLE OF ARNHEM INFORMATION CENTER
開館時間:
4月~10月、10:00~17:00(日曜祝日、12:00~17:00)
11月~3月、11:00~17:00(日曜祝日、12:00~17:00)
入場料:無料

アーネム郊外の空挺博物館 「AIRBORNE MUSEUM HARTENSTEIN」(空挺博物館)

アーネム駅前からバスで西へ15分ほど行ったオーステルベーク(OOSTERNBEEK)という街にあるハルテンシュタイン(HARTENSTEIN)という建物があります。
マーケット・ガーデン作戦当時、ホテルとして営業していたハルテンシュタインを連合軍が接収して、作戦司令部として使用していました。戦争が終わった4年後の1949年から「空挺博物館(AIRBORNE MUSEUM)」として一般公開されています。

空挺博物館

空挺博物館の前の道を挟んだ向こう側は広場となっていて、記念碑が建っています。
記念碑に刻まれた兵士の顔は、失敗に終わったマーケット・ガーデン作戦を表現するかのように苦悩に満ちています。

空挺博物館前の記念碑

空挺博物館内は、1階と2階がマーケット・ガーデン作戦に関するパネル中心の展示となっています。地下1階は当時のアーネム市民の苦境を伝える展示となっています。
当時を体験した人たちのインタビューVTRが繰り返し流れていて、平易な英語の字幕もあるので内容は理解しやすいです。
地下2階は「AIRBORNE EXPERIENCE」といって、実際のアーネムの戦いを体験できるコーナーとなっています。

空挺部隊が乗り込んでいた戦闘機の中を潜っていくと、そこには戦場となっていたアーネムの街が現れます。戦闘で破壊された建物、銃撃された女性が後部座席に横たわっている自動車などがあり、戦闘中の兵士もいます。

空挺博物館 1 空挺博物館 2 空挺博物館 3

戦闘の様子を再現する銃撃の効果音が更にリアリティを醸しだしています。このコーナーには説明文は一切なく、語学力や事前知識がなくてもビジュアルだけで楽しむことができます。

1階の入口にはお土産コーナーも併設されていて、マグカップ、ワイン、Tシャツ、キーホルダーなどのアーネムの戦いの記念グッズが売られています。また、子供向けの戦車や戦闘機のプラモデルやLEGOも売られています。

空挺博物館_002

今までの記事でも紹介してきましたが、フランス、ベルギーといった最終的に第2次世界大戦の戦勝国となった博物館では、戦争という悲しい歴史を伝えるというよりは、家族ぐるみで楽しめるテーマパークのようになっています。
戦勝国となったオランダの空挺博物館も同じく、小さい子供を連れた家族連れで賑わっています。

空挺博物館の展示風景

反対に敗戦国ドイツの博物館や記念館は、施設はキレイに整備されていますがテーマパークのようなエンターテイメント性はなく、ナチスやユダヤ人の迫害の負の歴史を淡々と伝えています。

戦勝国、敗戦国、それぞれの側の博物館も共通しているのが、年配の方たちだけでなく、小さい子供を連れた家族連れや若い人も目立つことです。
国土が戦場にならなかった日本と違って街中が戦場の舞台となったヨーロッパは、日本人より第2次世界大戦を身近に感じているのかもしれません。

AIRBORNE MUSEUM HARTENSTEIN
住所:Utrechseweg 232 6862 AZ Oosterbeek
開館時間:
4月~10月、10:00~17:00(日曜祝日、12:00~17:00)
11月~3月、11:00~17:00(日曜祝日、12:00~17:00)
入場料: 8.5ユーロ
カフェテリア:なし(お菓子、飲み物の自動販売機有)
ロッカー:有
アクセス:アーネム駅前バス停から、番号「1」のバスでHartenstein下車

戦闘の痕跡が残るユトレヒト通り

ユトレヒト通り_現在

アーネムの駅前を出ると東西に伸びているユトレヒト通り(UTRECHTSEWEG)があります。
静かな通りですが、この通りにもアーネムの戦いの痕跡が残っています。

ユトレヒト通り_過去

ナチス親衛隊(SS)の情報部があった建物

ナチスSSがあった建物_001

アーネムの駅からユトレヒト通りを右側へ数分歩くと、左側にアーネム芸術協会の建物があります。ドイツがアーネムを占領していた1940-1944年まではナチス親衛隊の情報部の建物として利用されていました。ナチスに抵抗したレジスタンスや、反ナチスの容疑をかけられたアーネム市民が尋問や拷問を受けていました。

ナチスSSがあった建物_002

住所:Utrechsestraat 85
地図:2

2日間の戦闘で奪い合った建物「AIRBORNE HOUSE」

AIRBORNE HOUSE_001

ナチス親衛隊の情報部の建物から少し歩くと、今度は右側に「AIRBORNE HOUSE」と言われる建物があります。アーネム橋に到達して戦っていたジョン・フロスト中佐の部隊の援軍に駆けつけようとしていたイギリス軍とドイツ軍が、この建物を巡って1944年9月18,19日の2日間の一進一退の攻防を繰り広げます。
2日間の戦闘の末、イギリス軍は降伏しジョン・フロスト中佐の部隊を助けることはできませんでした。

住所:Utrechsestraat 72
地図:5

アーネムの戦い当時の野戦病院

「AIRBORNE HOUSE」から坂道を下り、数分歩くと右側に野戦病院だった建物が見えてきます。かつて病院だったST.Elisabeths Gasthuisというこの建物は、現在は集合住宅となっています。

野戦病院_現在

マーケット・ガーデン作戦が開始された1944年9月17日、イギリス軍の医療チームがこの建物に入り野戦病院として使われました。しかし、激しい戦闘の末、4日後の9月20日には再びドイツ軍の手に落ち、戦いの前から入院していたアーネム市民の患者達も退去させられてしまいました。

野戦病院_過去

住所:ST.Elisabeths Gasthuis
地図:7

激戦地だったユトレヒト通りのホテルに泊まってみよう

AIRBORNE HOUSEと野戦病院の間にホテル「HOTEL OLD DUTCH B.V.」があります。
レセプションと朝食を食べる場所は駅前の建物になりホテルの部屋と離れて少々不便ですが、閑静な住宅街の中にあるホテルです。駅からも歩いて10分もかからず、アーネム観光にも便利です。

ユトレヒト通りの地図

住所(レセプション):Staionsplein 8-10 6811KG Arnhem, Ned.
E-mail:info@old-dutch.nl
Web:http://www.old-dutch.nl/
部屋にシャワー、トイレつき、朝食込み 71ユーロ

その後のアーネム

イギリス軍によって一時的に解放されたアーネム市民は、イギリス軍を歓迎する態度を示します。そのため、アーネムを再占領したドイツ軍は全住民を強制退去させました。住居を失った極寒の中で次々に健康を崩し、翌年の冬までに1万人が命を失ったと言われています。アーネムに戦前の日常が戻るのには、戦後数年はかかります。その辺りの苦境は空挺博物館でも紹介されています。

マーケット・ガーデン作戦による連合軍の死傷者は約17,000人、ドイツ軍は約8,000人。
その後、アーネムの街は、1945年4月、カナダ軍によって解放されます。マーケット・ガーデン作戦から半年後のことでした。

映画「遠すぎた橋」(A BRIDGE TOO FAR)

1977年公開(米英合作)
監 督:リチャード・アッテンボロー
出演者:ロバート・レッドフォード
    ジーン・ハックマン
    マイケル・ケイン
    ショーン・コネリー
    アンソニー・ホプキンス

【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
アイコン
ヒロマルのfacebookアイコン
1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
hiromaru_sakai@yahoo.co.jp
https://mobile.twitter.com/HIRO_warruins