ジンギスカンの歴史を味わう!「タレ」味付け、後付けどっち派?|トピックスファロー

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2015年5月19日
ジンギスカンの歴史を味わう!「タレ」味付け、後付けどっち派?

北海道のソウルフード「ジンギスカン」。人が集まるところ、必ずといっていいほどジンギスカンが始まる。北海道民の舌と心をつかんだこの料理。味付けにしてもタレを事前に漬け込む味付け肉が工夫されたりと味わい深いストーリーが秘められている。

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北海道のソウルフードと言えばなんといっても「ジンギスカン」だ。春ともなるとお花見の桜の樹の下、いたるところで羊肉を焼く匂いが立ち込める。
花見に限らずとも、宴会、お祝いなど人が集まるところ、必ずといっていいほどジンギスカンが始まる。

東京ジンギスカン

ジンギスカンはわずか60年ほどの浅い歴史ながら、北海道民の舌と心をつかんだこの料理。
かつては高級会員制のクラブでのみ出される料理だったこともある。
味付けにしてもタレを事前に漬け込む味付け肉が工夫されたりと、まさに味わい深い様々なストーリーが秘められているのだ。

ジンギスカン発祥の地「ツキサップじんぎすかんクラブ

札幌から車を走らせると、中心部からほど近い市街地・月寒(つきさむ)地区の中に、一面に牧草が生い茂る広い敷地を有した学校法人八紘学園が現れる。
この八紘学園の農場敷地ではサイロや羊舎が望め、夏にはショウブが咲き誇り、冬は一面の銀世界となる。

そんな場所に「ツキサップじんぎすかんクラブ」がある。
この店のテーブル席に着くと、運ばれてくるのは火が起きた七輪と半球の形のジンギスカン鍋。

今では柔らかいラム肉を出す店が多い中、ここは開業の1953年(昭和28年)以来マトンを客に提供する。

臭みがあると言われるマトンだが、この店の肉は臭みはほとんど気にならない。
鍋の上に並べた肉に、一部まだ赤い部分が残っているぐらいが柔らかく食べ頃。
むしろ火の通し過ぎは固くなる。

肉を焼いてから少し濃い味、独特のタレをつけて味わう。
この店が、今や北海道のソウルフードとなったジンギスカン発祥の地の一つなのだ。

map ⇒ ツキサップじんぎすかんクラブ

ジンギスカンのルーツは「満州」

学校法人八紘学園の敷地内に「ツキサップじんぎすかんクラブ」は、学園の創始者である栗林元二郎が満州から帰国して始めた。
満州や樺太の野戦料理だった羊肉を焼いてタレをつけて食べるやり方を、北海道で普及させようと、現地の鍋と一緒に持ち帰ったのがルーツとなる。

このジンギスカンのルーツには諸説ある。モンゴル帝国のチンギス・ハーン(ジンギスカン)が遠征中の兵士のために作った料理だった、とか、源義経が平泉では死なずにモンゴル渡ったことの名残り、など。

不思議なことに、モンゴル料理に同様の料理はない。
満州に日本人が多く渡った昭和20年代、現地で食べられていた「烤羊肉」(カオヤンロウ)という料理がジンギスカンの元々の姿だという。
これは火を起こした薪の上に串に、刺した羊肉にタレをつけながら調理する、原始的な料理だ。

これをジンギスカンと呼んだのは、満州国建国に深く関わったとされる駒井徳三が南満州鉄道社員時代(大正初期)に命名したことからだとする説が有力とされている。

つまり、栗林が満州にいた昭和20年代に、満州の日本人の間で流行っていた羊肉料理のジンギスカンを北海道に持ち込んだのが始まりのようだ。

当初はセレブの料理

ホステスがつきっきりで調理した

北海道でジンギスカンを定着させようと考えた栗林は、会員制の「成吉思汗倶楽部」を1953年に発足させた。
「成吉思汗倶楽部」が「ツキサップじんぎすかんクラブ」の前身となる。

「成吉思汗倶楽部」は札幌市長や政財界の大物などしかメンバーに入れず、ジンギスカンなど食べ慣れないメンバーのために女給、つまりホステスがVIPにつきっきりで肉を焼いて饗応した。
いわゆるセレブ御用達の料理だった。

羊毛の需要が減ったから

羊肉料理がすぐに北海道で始められた背景には、明治時代に政府が殖産興業として繊維産業を奨励したことが関係している。

今のツキサップじんぎすかんクラブのある、札幌・月寒地区には羊毛を収穫するために、農商務省月寒種牛牧場が設置され、羊が飼育されていた。

羊
第一次世界大戦以降、化学繊維が世界的に流行し、羊毛の需要が減ったため、
羊を食用に活用しようとした。そんなところに月寒で「成吉思汗倶楽部」を始められる下地があったのだ。

全国にもあるジンギスカン

当時、綿羊の飼育は北海道に限ったものではなく、千葉県成田市、岩手県遠野町、長野市、高知市、山形県蔵王温泉などでも行っており、現在でもこれらの地域でジンギスカン料理が伝わっている。
また、栃木県にある皇室御用達の御料牧場でも食用の羊が飼育されていて、昭和天皇もジンギスカンを食されたと言われている。

花見、宴会、運動会・・・なんでもかんでもジンギスカン

桜

ジンギスカンの歴史はわずか60年ほどしかない。

それでも、北海道では花見も宴会も、運動会ですら「ジンギスカン」。
人が集まると飲食店でも家庭でもジンギスカン鍋を囲むほどに定着している。

そこには、北海道滝川市にあるジンギスカンのお店「松尾ジンギスカン」の存在を抜きには語れない。

北海道では月寒の他に滝川でも戦後、北海道種羊場で羊が飼育されていた。
滝川では羊肉を食べやすくするため、あらかじめタレに漬け込み、臭みを取り除いてから焼く調理方法が奨励された。

流行ったワケ~花見で商機~

当時は羊肉を食べる習慣はなかった。
1956年に開業した「松尾ジンギスカン」の創業者、松尾政治もタレに野菜や果実を混ぜて羊肉がおいしくなる工夫を重ねたが、それでもなかなか一般庶民には受け入れられなかった。

そこで松尾らが考えたのは、花見に行く客が、羊肉を購入すると、七輪と半球型の独特の鍋を貸し出すプロモーションだった。

屋外でタレ付きの羊肉を焼くと、あたりにいい匂いが広がる。「あのうまそうな匂いのする肉はなんだ?」と評判を呼び、ジンギスカンはあっという間に北海道内に広がったのである。

「松尾ジンギスカン」の羊肉は厚みのある肉にタレが染み込み、柔らかくジューシーな味わいが特徴だ。
この「松尾ジンギスカン」は、北海道内で最大250店舗のチェーンにまで成長した。

味付けか後付けか

ラム肉

ジンギスカン普及の功労者、松尾は事前の「味付け肉」

「ツキサップじんぎすかんクラブ」は焼いた肉をタレにつける「後付け」

札幌以北、以東は味付けが圧倒的だが、後付けは札幌以南の函館などに多い。札幌すすきのでは、味付けと後付けが混在する。
北海道民のソウルフード、ジンギスカンには歴史の異なる味わいがある。
ぜひ、食べ比べに挑戦して、あなたの好みを見つけてみては?

著者:メイフライ

ライター
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スポーツ関連や、バイオマス、太陽光などのエネルギー関連で取材、ベンチャー企業の企画室での職務経験があります。