北海道独自の生活スタイル、文化が遺産に
未来につながる選定基準
地域、地方に残る北海道の宝物を守り、育てながら活用していき経済の活性化を計ろう、とする運動が北海道遺産構想だ。
選ばれる基準は、従来ありがちな学術的、美的な価値というものだけにとらわれず、地域が保全・活用を図っている積極的な取り組みも評価基準となる。
建造物では「開拓史時代の洋風建築」「ニッカウヰスキー余市蒸留所」「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ群」などがある。
自然では「摩周湖」「静内二十間道路の桜並木」「登別温泉の地獄谷」などが選ばれるほか、「流氷とガリンコ号」「スキーとニセコ連峰」「姥神大神宮渡御祭と江差追分」など、自然の中での人間の活動も北海道遺産として制定されている。
食文化も制定
特定の場所にとらわれることもなく、北海道全般として「ジンギスカン」「北海道のラーメン」「サケの文化」「アイヌ口承文芸」「北海道の馬文化」などもある。
遺産というと過去の物、とのイメージがあるが、北海道遺産は北海道の未来を創造していく資産として捉えられている。
北海道遺産を訪ねる旅
バスツアーが企画される
52件もの北海道遺産を巡るツアーが年間を通して、様々企画されている。
その中でも最近実施されたツアーを紹介しよう。
江戸文化にも影響を与えた北海道のニシン
「留萌のニシン街道」
北海道のニシンは江戸時代の文化に大きく影響した。
高田屋嘉兵衛などが活躍した北前船は、大阪から下関を経由して日本海側を北上して北海道と交易した。
大阪からは米や日用品を積み、帰りは昆布やニシンを満載した。
昆布は日本料理に旨みを加え、ニシンは京都の名物「ニシンそば」を生んだ。
さらにニシンは肥料として農産物の栽培に大きな影響を与えた。
江戸時代後半から盛んに
留萌市の日本海側にニシン漁で栄えた建物がある。
小平町にある旧花田家番屋は、北海道内に現存する番屋では最大の規模を誇る。
最盛期には18箇所でニシン定置網を経営した、北海道でも屈指のニシン番屋だった。
かつてニシン漁を経験した人がボランティアで、実際のニシン漁の様子を説明するガイドが好評。昭和46年に国の重要文化財に指定された。
旧佐賀家漁場は当時のニシン漁場の様子がそのまま残されている。
ニシンの漁獲から加工まで行っていたのが、ニシン漁場だ。
内部は非公開だが、外部の漁場の景観を見ることができる。
1886年に建築された岡田屋はニシン街道最北にあり、1955年頃まで実際に番屋として使用されていた。
このツアーの昼食は「ニシン御膳」。ニシンづくしの料理が楽しみの一つだ。
炭鉱の産業遺産を巡る旅
空知の炭鉱関連施設と生活文化
美唄、砂川、夕張などの空知地区は、かつては炭鉱都市として栄えた。
当時の北海道でも一番栄えた地区でもあった。映画館、社交ダンスのクラブ、バーなどが立ち並ぶ一大繁華街を築いていた。
かつての炭鉱建造物が残る
1990年代にはすべての炭鉱が閉山されたが、今でも立杭櫓や炭鉱住宅が残され、炭鉱文化の記憶を残そうとする活動もある。
実際の坑道で採炭シュミレーション
夕張市の「石炭博物館」は国内最大の炭鉱ミュージアムになっている。
実際の採炭に使われた大型機械が動き、採炭設備と作業を見学することができる。
明治から昭和にかけて各時代の採炭技術や様子が、31体の人形で紹介されている。
map ⇒ 石炭博物館
繁栄を彷彿させる夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)
北海道では珍しい本格的な和風建築で、当時の贅沢な建築技術の粋が施されている。
空知地方の炭鉱が栄えた時代の象徴の建物で、鳳凰の透かし彫りのらんま、書院造りの部屋や、昭和天皇が宿泊された部屋などがある。
和風庭園も凝った作りになっており、一般に開放されている。
map ⇒ 夕張鹿鳴館
廃坑建築も人気
三笠市には日本最深の北炭幌内立杭や、東洋一と言われた住友奔別立杭など今でも3つ残っており、遺構マニアが訪れる。
ツアーでは、赤平市の住友住友赤平立杭の内部も見学できる。
操業時の姿を忠実に残しており、現地では当時働いていたガイドの解説もある。