太平洋を眼下に望む高台に義経神社
御神体は源義経
大きな鳥居をくぐり、長い階段を登っていく。
背後には太平洋を望む広大な風景が広がる。
周囲に桜を含む大きな樹木が並ぶ静謐な公園の奥に、歴史を感じさせる神社が現れる。
北海道日高地方の平取(びらとり)町の小高い丘に、義経神社がある。
源九郎判官義経がこの神社の御神体だ。その設立は江戸時代にさかのぼる。
1798年(寛政10年)、江戸幕府の探検家だった近藤重蔵が東蝦夷地調査の折に平取を訪れた時、この地に住むアイヌ達が「ハンガンカムイ」と呼んでいる英雄の存在を知った。
「ハンガン=判官」「カムイ=神」から近藤は、アイヌが尊敬しているのは源義経であると考えた。
江戸に戻った近藤は、神田の仏師、法橋善啓(ほっちょう・ぜんけい)に義経の御神像を作らせ平取に寄進した。
30センチほどの木造の台座背面には「寛政11年己未4月28日近藤重蔵・藤原守重・比企市郎右衛門・藤原可満」と墨書されている。
map ⇒ 義経神社
アイヌを愛した義経
義経がこの地を訪れ、アイヌ民族に農耕や舟の作り方、海上の操法、機織りの技術を指導したと、神社では、伝えられている。
神社の隣には「義経資料館」もある。
また、義経は騎馬武者であり馬を大事にした故事から、毎年2月の初午(はつうま)にちなみ、「初午祭矢刺の神事」が行われる。
「愛馬息災・先勝祈願」の儀式である。
この平取を始め、新冠、浦河などの日高地方は競走馬のサラブレッドを育てる牧場が多く、毎年牧場関係者や馬主が集まり、厳粛に執り行われる行事となっている。
最後は平泉?
歴史書で義経は、1189年(文治5年)、奥州平泉の衣川館で源頼朝側に寝返った藤原泰衡に襲われ、命を絶ったと記載されている。
しかし、秘かに平泉を脱出して東北から北海道、蝦夷地に渡った、とされるのが義経伝説だ。
史書の中にも、室町時代初期に青森近辺の豪族、松前広次は「九郎判官義経が渡りました蝦夷が島」と当時未開の北海道を紹介している。
江戸時代初期の儒学者で徳川家康以下4代の将軍に使えた林羅山は、書籍の中で「義経衣川で死せず、逃れて蝦夷島に至り、その種存す」としている。
義経の足跡、北海道には120箇所以上
義経の足跡、滞在したとされる場所は、北海道では道南、日本海側を中心に実に120箇所以上になる。
義経が初めて蝦夷地に上陸したとされるのは江差町。
港の沖にカモメが翼を広げた形に見える鴎島(かもめじま)の東側の波打ち際には、白馬が首を上げていなないているように見える白い岩がある。
この地に渡った義経は愛馬を残して北に向かい、白馬がそのまま白い岩となって義経の帰りを待ちわびている、という言い伝えがある。
文字が残る?
松前町光善寺には、「義経山」と刻まれた碑がある。
この石碑の文字は、義経が矢尻で掘ったと言われる。
無事蝦夷地に上陸した義経は神仏に感謝し、阿弥陀千体仏を刻んで義経山欣求院に安置した。
この寺は、明治維新の戊辰の役で消失したが、阿弥陀像だけは焼け残り、光善寺に祀られている。
map ⇒ 光善寺
悲恋物語
義経は日本海沿岸を舟で北上するが、積丹半島の神威岬の沖を通過できなかった。
強風と早い潮の流れのため、岬の東、入舸(いりか)に命かながら流れ着いた。当地に住んでいたアイヌの首長は、娘のシララに傷を負った義経を介抱させた。やがて、二人には恋心が芽生えることとなる。
義経にとってはお家再興が悲願、まもなく大望を果たすため船出する。シララは岩沿いに舟を追ったが、満潮となった大波にさらわれ海の底へ。浮かび上がったシララはそのまま岩になったとされる。
現在も「シララ姫の小道」が積丹岬周辺にあり、奇岩を望める散策路になっている。
map ⇒ 積丹岬
家紋が隠し掘り
1988年5月、日本海を望む岩内町スキー場ロッジの前斜面にある大きな石から、源氏の家紋の隠し掘り「笹りんどう」が発見された。
「義経・弁慶ロマンの会北海道」副会長で、札幌在住の金沢一哉さんが見つけたのだ。
金沢さんは、かねてから義経伝説の地に隠されているだろう刻印を探し続けていた。
このとき、石に彫られた家紋の拓本がとられている。
義経の財宝
札幌から支笏湖(しこつこ)に向かう途中にあるラルマナイ川には滝があり、その近くで、1939年頃大量の砂金が発見された。
義経の財宝を求め、古文書を解読、探索していた人が発見した。
牛若丸時代に、京都から奥州藤原氏のもとへ義経を導いたのは金売吉次だった。吉次は奥州の金を京都に運ぶ仕事をしていた。
山形県最上郡の金山町には、「吉次山」と呼ばれるかつての金山がある。
この黄金は奥州藤原氏の平泉での栄華を支え、義経の戦や逃亡の軍資金になったとされている。
最後の足跡は稚内
稚内・宗谷岬にたどり着いた義経主従の姿はみすぼらしく、樺太への舟を懇願しても現地のアイヌは彼を義経だと信じなかった。怒った義経が傍らの岩を一刀のもとに切り、源氏の大将だった自分を証明した。
それが今に残る「義経試し切りの岩」。
アイヌの人々はこの岩を祀って、義経の無事を祈ったそうだ。一行はこの地を最後に北海道を離れる。
蒙古の英雄チンギスハン(成吉思汗)
樺太に渡った義経は大陸へと進み、ついにはチンギスハン(成吉思)となって蒙古帝国の礎を築いたとされるのが義経伝説だ。
真偽はともかく、義経伝説を巡る史跡の一部を紹介したが、他にも北海道には多くの足跡がある。
多くのアイヌに愛された源義経の足跡をたどるのも、新しい北海道の楽しみ方にいかがだろう。
map ⇒ 義経試し切りの岩