第一次世界大戦の末期、出撃命令を拒否したUボートの兵士達が蜂起、それをきっかけにドイツ全土に反戦運動が起こり、ドイツは降伏します。それは第二次世界大戦への布石でもあったのです。
1943年7月、ドイツの港である町ハンブルクは、イギリスとアメリカ連合軍による「ゴモラ作戦」と命名された大空襲で壊滅的な被害を受けました。その傷跡を残すものが、今もハンブルク市内に残っています。
1943年9月、日独伊三国軍事同盟の中で早くも離脱したイタリアは、その直後ドイツの軍政下におかれることになりました。その時、ドイツ軍に抵抗する組織、パルチザンがイタリア各地で活発化したのです。ローマで彼らの痕跡を巡ります。
第2次世界大戦のイタリア戦線で一番有名な戦い「モンテ・カッシーノの戦い」。1944年、山中にある1つの修道院を巡り連合軍とドイツ軍で4ヶ月に渡る長期戦が行われました。その舞台となったモンテ・カッシーノ修道院の現在を追ってみます。
1938年5月9日と1940年10月28日、ヒトラーはイタリアのフィレンツェを訪問しています。2回とも目的はムッソリーニと会談するためでした。フィレンツェでのヒトラーの痕跡を追います。
前編ではムッソリーニの生まれた起源を探究する旅でしたが、後編ではムッソリーニの最期を追いかけます。処刑されたスイスとの国境近くのコモ湖、遺体が吊るされたミラノを巡ります。そして、現地で感じたムッソリーニに対する地元の人達の反応は?
ドイツのアドルフ・ヒトラー、日本の東条英機と並び、独裁者と言われているベニート・ムッソリーニ。しかし、現代のイタリアでは、ムッソリーニはドイツにおけるヒトラーのように絶対的な悪というわけではありません。
アドルフ・ヒトラーとフランシスコ・フランコが会談したフランス国鉄のアンダイエ駅は、国境の駅です。会談当時のアンダイエ駅を想像できようにアンダイエ駅構内を歩いてみます。また、駅近くにはビダソア川を挟んで国境があり、気軽にスペインを行き来できます。
スペインは第2次世界大戦中は中立国でした。スペインの参戦を巡って、アドルフ・ヒトラーとフランシスコ・フランコが会談したスペインとの国境のフランスのアンダイエ駅があります。その会談の舞台と鳴ったアンダイエ駅とその周辺を紹介します。
ゲルニカは小さい街です。ゲルニカの町を歩いていると、こんなに小さい街によく無差別爆撃を加えたものだと思ってしまいます。そんなゲルニカの街を紹介します。また、市街地への無差別爆撃、スペイン戦争についても触れます。