母親が亡くなりヒトラーはウィーンへ行くことを決意します。リンツ時代の親友、グビツェクもウィーンに呼んで同棲生活を始めます。リンツ同様、ウィーンでも2人は色々な所に行きました。そしてウィーンで彼らは別れたのでした。
ヒトラー自身の著書「我が闘争」以外で、ヒトラーの青年時代を知ることができる本があります。それは、親友グビツェクの回想録。今回はそれを元に、ヒトラーの青年時代を追ってみました。
子供の頃のヒトラーが一番輝いていた時期と思われるランバッハ。この街では近所でカウボーイごっこに夢中になり、声楽隊と修道院に通い、その歌声を披露し、学業成績も良かったのです。
税関職員の父親の仕事の都合上、生まれ故郷のブラウナウからドイツ領のパッサウへ引っ越したヒトラー。パッサウにはヒトラーが住んでいた家が2つあります。ヒトラーが子供の頃、オーストリア国外で住んでいた唯一の街です。
拙著「ヒトラー野望の地図帳」や本記事でも紹介した、ヒトラーが生まれた地・ブラウナウ。2023年9月、約7年半ぶりに再訪して動画と共に生家の現状をお伝えします。
筆者は第二次世界大戦の戦跡を求めてヨーロッパ中を周っていますが、普段は物流会社に勤めて輸出入の手配をしています。今回は取材中に見たドイツの国際物流の風景を紹介したいと思います。