なぜナルヴィクが激戦地となったのか?
鉄鉱石を奪うことがノルウェーの戦いの焦点
1940年4月9日、ノルウェー西海岸の主要な港にドイツ海軍の船団が殺到、雪山で訓練を積んだ精鋭部隊である山岳師団などを次々に陸揚げさせます。
首都のオスロ以外には、トロンハイム、ベルゲン、スタヴァンゲル、クリスチャンサン、ナルヴィクの各港は1日でドイツ軍に制圧されます。その中でも一番、重要な港はナルヴィクでした。
北極圏に位置して一番北にあるナルヴィク港は、冬でも凍結しない港(不凍港)として、スウェーデン産の鉄鉱石がドイツへ輸出されていました。ドイツは鉄鉱石の90%をナルヴィク港からの輸送ルートに頼っていたのです。
ドイツのヒトラーはその鉄鉱石を万全に手に入れるため、イギリスの海軍大臣・チャーチルはそれを妨害しドイツの戦争経済を破綻させるために、2人ともナルヴィクに注目していました。
そして、あっさりと陥落した他の港と違い、ナルヴィクは、ドイツ軍、イギリス軍が何度も奪い合う激戦地となったのでした。
「【第59回】北欧戦跡の旅3:ヒトラーに屈しなかったノルウェー初代国王」編でも紹介しています。
連戦連勝中のドイツ軍が初めて撤退した戦い
ナルヴィク港に最初に上陸してきたのは、駆逐艦10隻に護衛されたオーストリア出身の兵士で編成されているドイツ軍の第3山岳師団でした。しかし、翌日、海軍力ではドイツ軍に大きく勝るイギリス海軍の駆逐艦隊がナルヴィク港に襲い掛かります。ドイツ海軍は半数の駆逐艦を失い、3日後には再びイギリス軍の艦隊に襲われ全滅してしまいました。
ナルヴィクに上陸したドイツ軍の第3山岳師団は、ナルヴィク港を放棄して郊外の山岳地帯に逃げ込み、救援を待ち続けます。一方、制海権を手に入れ、海軍力に守られたイギリス軍をはじめとする連合軍はナルヴィク郊外に次々と上陸して、ナルヴィク郊外の山岳地帯のドイツ軍に襲い掛かります。
ヒトラーもナルヴィクを手放すことも考えていた時、天候の回復を待って、空軍による爆撃と孤立した第3山岳部隊へは救援物資を投下する作戦が立案されます。この作戦が見事に的中、連合軍は補給線を絶たれ、ノルウェーから撤退を開始します。
ナルヴィクの戦いは、現代の戦争は制海権より制空権が優位であることを裏付けた戦いと言われています。
そして、北欧の戦いに敗れたイギリスはチェンバレン内閣が総辞職、海軍大臣だったチャーチルが首相に就任。一方、ヒトラーは北の次は西に目を向けて、フランスへ向かいます。
主な戦闘はナルヴィク郊外の山岳地帯と近海で行われましたが、ナルヴィクの街には戦争博物館もあります。戦闘の焦点ともなった鉄鉱石を輸出する港街の観点を中心にナルヴィクを紹介します。
戦争に欠かせない鉄鉱石とは?
鉄鉱石とは、鉄の原料となる天然で産出される鉱物です。
その鉄は、戦争をするのに必要な戦車、戦艦や各種武器の製造に必要なものです。
現代の戦史に関する本を読んでいると、鉄鉱石、ニッケル、タングステンなどの化学物資の単語が出てくると思います。これらは戦争に必要な原料で、交戦中、各国は原産地や輸送ルートの確保に焦点を置くことが多いです。ドイツは同盟国だった日本同様、資源に乏しい国なので、海外へ求めるしかなかったのです。
日本の場合、戦争継続に必要な資源を主に東南アジアに求めて南進しました。
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