小樽に行くならゆっくり散策がおすすめ!歴史を感じるレトロ旅|トピックスファロー

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2015年6月10日
小樽に行くならゆっくり散策がおすすめ!歴史を感じるレトロ旅

昭和初期まで「北のウォール街」とも呼ばれた北海道・小樽は、本州銀行の支店が25行もあった。今でもそれらの建物はホテルや博物館として利用されている。当時、物流の現場だった運河は、今では石造倉庫と一緒に観光の名所となって多くの人が訪れる。

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古いものも新しいものも新鮮な小樽

「小樽」でイメージするのは?寿司、カニに代表される新鮮な海産物?もちろんグルメも期待できるが、実は歴史的建造物と新しい文化が調和した魅力が小樽にある。

ニシン長者の贅を尽くした小樽貴賓館

小樽貴賓館(旧青山別邸)は、小樽駅から北へ6kmほどにある祝津(しゅくつ)地区の高台にある。祝津は、明治から大正にかけて北海道の日本海側一帯でニシン漁が盛んだった地域の一つ。

ニシンが産卵のために、海岸に押し寄せる群来(くき)がくると、海が真っ白になったと言われ、青山家は祝津でニシン漁の網元として途方もない財産を築いた。

水主(かこ)が寝泊りするニシン番屋は海岸近くにある。青山家番屋のあった海岸の高台に別荘として築いたのが、旧青山別邸で今は小樽貴賓館として見学できる。

小樽の街並み

map ⇒ 小樽貴賓館

17歳の少女が夢見た豪華な別荘

青山家はもともと山形県出身。最盛期の大正6年、二代目・政吉が別荘建築を始めた。三代目の娘・政恵と芸術的な建築物を目指し、実に6年半かかって完成させた。

その手本となったのが、当時山形県酒田市の豪商、本間家の邸宅。本間家は「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と唄われ、殿様以上の存在と言われた大地主。

その本間家邸宅に17歳の時に何度か招かれた政恵が、本間邸以上を目指したのが、この旧青山別邸だった。建築総工費は、当時のお金で31万円。新宿のデパートの建築費が50万円だったことからすると、いかにお金をかけたかが分かる。

京都にもあるかどうか、と言われる豪華さ

山形から、宮大工の棟梁、左官頭、建具頭、瓦師頭、石工頭ら、全部で50数人の職人を呼んで製作にあたらせた。材料となるひのきや、紫檀、黒檀などの高級木材はすべて山形・酒田から大量に運ばせた。

その象徴が、離れの廊下の長押(なげし)。柱をつなぐために水平方向に柱の外側から打ち付けられる長押は、なんとひのきの一本物。長さが7間、12.6mもある。

今でも狂いもなく、廊下にまっすぐ水平なひのきの長押に圧倒される。これだけの長さの角材が、遠く山形から小樽まで船で運ばれた様を想像するだけで、いかに費用がかかったかが分かる。

北海道では珍しい瓦葺きの屋根の軒下にはすべて手彫りの彫刻がある。廊下の床や柱のひのきには、春慶塗りという透明で高級な漆加工が施され、天然の木目の美しさが今でも生きている。 床の間には、高級木材、紫檀、黒檀、タガヤサン、白檀が使用され、欄間も、竹、紫檀、白檀の木材に彫刻が施されている。

釘を使わずに作った階段は、1段作るのに1週間かかったと言われる。登り始めと2階に近い上部では、段の高さを変えて、着物の裾が引っかからないように登りやすくなっている。

建物の三方にある庭は、家族だけが見る池と泉のある庭、松と石からなる枯山水と中庭も見ごたえ十分だ。狩野派の絵師が描いたふすま絵や書もあり、洋間1室と17の和室、どれを見ても、ため息が出るほど。北海道でよくぞ、ここまで、と思わずにはいられない豪華な建物だ。

ニシン漁の繁栄

旧青山家は、祝津以外にも小樽から留萌にかけて、いくつものニシン漁場を経営していた。1914年頃には7500トン以上もの水揚げがあった、と言われ、現在の価格に換算すると約25億円にもなる。

こうしたニシン番屋は他にもあり、小樽経済の基盤となった。それによって、多くの銀行や商社の支店が小樽に立ち並び、「北のウォール街」と呼ばれるほどの繁栄につながった。当時、小樽の穀物相場はロンドンの相場に影響を与えたと言われるほどだった。

ニシン中心のグルメも!

小樽貴賓館には、レストランも併設されている。旬のおすすメニューには、時期によって、脂の乗った一夜干し身欠ニシンを使った「ニシンお重」や「ニシンそば」などが用意される。

貴賓館名物メニューは「ニシンの甘露煮」。4日間かけて手間暇かけて身欠にしんに手をかけて、作り出す味だ。山海の美味・珍味を取り合わせた弁当類もある。 小樽運河ライトアップ

「屋根のない博物館」と呼ばれる小樽

築100年にもなる銀行建造物はアート

大正から昭和初期にかけて、最も繁栄を誇った小樽には、本州銀行の支店が25行もあった。「銀行の銀行」とも言われる日本銀行の支店もあった。どの支店も著名な設計者に依頼した洋風建築が並び、まさに豪華さを競いあうような建物が築100年を超える今も残っている。

今は金融資料館となる旧日銀支店

日本銀行旧小樽支店は1912年に建造された。支店機能は2002年に札幌支店に統合されている。その重厚感あふれる歴史的建物は「金融資料館」として無料で見学できる。

資料館は2003年に開館以来、年間10万人が訪れる観光スポットになっている。日本銀行職員が常駐しており、ガイドツアーも実施されている。重厚な入口から入ってすぐの空間は、かつての取引を行った場所。高い天井が特徴だ。

昔のデザインが凝ったカウンター窓が残る。この窓口にはかつて鉄枠があったが、第二次世界大戦時の鉄の供出でなくなり、今では木製の枠になっている。

入口近くの歴史展示ゾーンと、業務展示ゾーンの2つに分かれている。模擬券による1億円の重さ体験コーナーや、映像コーナーがある。

map ⇒ 金融資料館

まさに街中が博物館

日銀の金融資料館の周囲には有名な銀行の支店が立ち並んでいる。現在も違った形で利用されており、散策を兼ねて回ってみるのがおススメだ。

すぐそばにあるのは、日銀支店と同じ1912年に建てられた北海道銀行本店。これは現在の北海道銀行とは関係なく、余市の漁業者が設立した一代限りの銀行だった。

現在は、「小樽パイン」として、小樽ワインを中心としたワインカフェとして人気になっている。小樽の旬の食材を豊富に使った洋食メニューを、工場直送の小樽ワインと共に味わえる。築100年以上の石造建物の中で、おいしいワインと食事はムードたっぷり。

map ⇒ 小樽パイン

他にも、旧三菱銀行小樽支店は、小樽運河ターミナルとなっている。ギリシャ・ローマ建築風の4階建ての内部には、バス乗り場の他、商業施設が入っており、小樽で1966年創業の洋菓子老舗「あまとう」の支店、パンとまんじゅうを組み合わせた「ぱんじゅう」を販売する桑田屋本店など、地元の名物がそろう。

現在、ホテル「ヴィラントオタル」になっているのが、旧北海道拓殖銀行小樽支店。鉄筋コンクリート構造の建物で、タイル張りで簡素ながらノスタルジックな宿泊地として人気となっている。ここには、「蟹工船」の作家、小林多喜二が勤めていた。

また、旧第一銀行小樽支店は、鉄筋コンクリートの4階建て。今は株式会社トップジェント・ファッション・コアの社屋として利用されている。

他にも、旧三井銀行小樽支店は外壁に花崗岩が使用された落ち着いたたたずまい。今は、「白い恋人」の石屋製菓の所有となっている。旧安田銀行小樽支店は、石貼りの外壁に重量感あふれる4本の円柱が特徴のギリシャ風建築。今では和食チェーン「花ごころ」の小樽店として営業している。

小樽運河

運河埋め立てで一波乱

市民も巻き込んだ論争20年

銀行街のそばにある小樽運河は、今ではもっとも賑わう観光スポットになっている。この運河、一度は埋め立てが決まったが、反対運動など市民を巻き込んだ論争が続いていた。

周囲の石造り倉庫への物流として発展した運河だが、戦後は本来の役目も無くなった。水路の汚れ、悪臭など、市街地の発展の妨げになる、と埋め立てが提案された。実際、1966年には小樽市議会で運河を道路にすることが議決された。

そこから、市民の「賛成派」「反対派」が起こり、始まった運河論争。実に20年かかって、1986年に観光資源として残すことが結論となった。一部を埋め立てた今の姿になった。

運河を中心に発展したスポット

もともと漁業の網につけるガラスの「浮き玉」

著者:メイフライ

ライター
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スポーツ関連や、バイオマス、太陽光などのエネルギー関連で取材、ベンチャー企業の企画室での職務経験があります。