【第36回】1942年プラハ、ナチスの報復によって抹殺されたリディエツ村|トピックスファロー

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2016年5月6日
【第36回】1942年プラハ、ナチスの報復によって抹殺されたリディエツ村

チェコの総督だったラインハルト・ハイドリヒが、プラハでレジスタンスによって襲撃されました。その報復として全く関係ないプラハ郊外のリディエツ村の住人が虐殺され、村は地図上から消されました。リディエツ村の跡がプラハ郊外にあります。

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ハイドリヒ暗殺の報復に虐殺されたリディエツ村

5月27日のラインハルト・ハイドリヒ襲撃事件以降、ナチスのゲシュタポ(秘密国家警察)は捜査が行き詰まり、どんな小さな手がかりでも必要と迫られていました。

その中、プラハ郊外のリディエツ村で、この村出身の2人がイギリス海軍に入隊していることがわかります。ゲシュタポが掴んだ情報はそれだけでした。ハイドリヒを暗殺したヨゼフ・ガプチーク、ヤン・クビシュはリディエツ村とは何も関わりがありませんでした。

しかし、ゲシュタポはたったそれだけの情報で保安警察部隊をリディエツ村へと派遣します。

6月10日の夜、保安警察部隊が、リディエツ村にやってきます。保安警察部隊は、村の住人を叩き起し、村の中心にある教会の前の広場に集めます。そこから成人の男性を農場の濠の中に閉じ込め、女性や子供を学校に収容しました。翌朝、男性は5人、10人単位で銃殺され、女性や子供は強制収容所へと移送されました。

その後、保安警察部隊は、全ての建物を焼き払い、墓地、果樹園を踏みにじります、そして最後は、何台ものブルトーザーを導入して瓦礫を一掃しました。地図上から村がそこにあったあらゆる痕跡を消し去ったのでした。

そのリディエツ村の跡地が博物館、記念碑として残っています。

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どうやって行く?リディエツ村

リディエツ村はプラハ北西の郊外にあります。まず、地下鉄A線のNádraží Veleslavín駅まで行きます。3番バスターミナルからKLADONO行きのA56番のバスに乗り換えます。リディエツ村の最寄のバスターミナルは、「Lidice」

Nádraží Veleslavín駅のターミナルを出ると、バスは高速道路に入ります。プラハ空港から近いこともあって、飛行機の姿も目立ちます。

「Lidice」バスターミナルの周りは、地平線の彼方まで畑の光景が広がります。店や住宅も一切なく、食べ物はプラハ市内で買っておいた方が無難です(飲み物は博物館で売っています)。また、「Lidice」のバスターミナルで降りる人はあまりいません。乗車の際、運転手に「Lidice」で降りる旨を伝えておいた方が良いと思います。

Nádraží Veleslavín駅~Lidiceは、所要15分、1時間に2本の割合。

プラハの中心部からの所要時間、地下鉄、バスの本数の多さを考えると、半日の時間を見ておけば充分です。

78 79 「Lidice」バスターミナル

記念館として公開されているリディエツ村

リディエツ村の惨劇を伝える博物館

バスターミナルを降りると、八角形の石碑が見えます。そこがリディエツ村の入口となります。八角形の石碑を潜るとちょっとした広場になっていて、左側の建物の中に博物館です。

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博物館の受付には、当時のリディエツ村を再現した模型があり、パンフレットやコインなどちょっとしたお土産も売っています。

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入場券を購入して中に入ると、スクリーンのある部屋で、事件の概要を説明した映像を5分間ほど見せられます。その後、自由に見学することができます。館内は薄暗くお化け屋敷のような感じもして不気味です。

順路は時代順になっています。惨劇前の平和な村の様子、ラインハルト暗殺事件の経過、村が破壊される様子、生き残った当時子供だった村人のインタビュー映像となっています。

聖ツィリル・メトデイ教会での攻防の写真もあるので、リディエツ村の前後に教会を訪れたら、リアリティを持って見ることができるでしょう。 当時の写真だけでなく、動画もたくさん使われています。テレビ画面で見るものだけでなく、館内のあらゆる壁に映し出す工夫もされています。

82 事件の8日前に撮影された学校の先生と子供の集合写真 83 虐殺された村人の顔写真 84 館内の様子 85 村人へのインタビューVTR

館内を周る時に使う日本語のオーディオガイドはありませんが、リディエツ村の歴史、惨劇などの概要だけでしたら、日本語のもあります。受付の職員に言えば、その場でスピーカーで流してくれます。ちょっと恥ずかしいですが、他に日本人の観光客はいないので大丈夫です。

入場料:90コルナ
言語:英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、チェコ語
ホームページ:http://www.lidice-memorial.cz/(開館時間などはホームページで確認を)

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リディエツ村の跡を歩いてみる

博物館を出ると、リディエツ村の跡の風景が眼下に広がります。

村の跡を歩く前に博物館で薄いパンフレット「THE LIDICE MEMORIAL」を購入すると良いとでしょう。パンフレットにはリディエツ村の地図とその痕跡を簡単に説明した英文が載っています。

リディエツ村の全体の地形は、まず下り坂になっていて、その後、川を渡る手前付近から上り坂になっています。リディエツ村の入口付近から見ると見晴らしがよく、ゴルフ場にでも来たような感覚になります。

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戦争で犠牲になった子供の記念碑

1本に伸びた道を下っていくと、右側に犠牲になった82人の子供達の記念碑があります。

リディエツ村の子供達は、アーリア化(ドイツ人化)できると選抜されたごく少数の子供達を除いて、強制収容所で虐殺されてしまいます。この子供達の碑は、リディエツ村で虐殺された子供達だけでなく、第2次世界大戦で犠牲になった子供達全員に捧げられるために作られました。

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銃殺された村の男性が埋められた農場跡

更に道を歩いていくと左手に十字架が見えてきます。その十字架の前は花壇のようになっていて、農場だった場所です。弾丸が跳ね返ってこないようにマットレスを立てかけた農場の壁の前で、村の男性は5人、10人単位で並べさせられ銃殺されます。処刑されるグループが連れてこられるたびに、村長が村の住人かどうかを確認させてから銃殺されました。その村長も一番最後には銃殺されます。虐殺された173人の遺体はその場所に埋められて彼らのお墓となっています。

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村の男性が集められた農場の地下室跡

銃殺された村人たちのお墓の目の前には地中に埋まり、積み重なっている石があります。 それは村の男性が虐殺される前に集められた農場の地下室の跡です。完全に破壊されたリディエツ村でしたが、戦後この地下室の跡が発見されました。

その地下室から次々連れ出され、目の前の農場で銃殺されたのです。執行隊の交代、休息などで自分の番がまわってくるまでに何時間もかかりました。待っている間の恐怖感は想像に絶します。

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村の中心だったセント・マーチン教会跡、学校跡

川を越えると道が上り坂になっていきます。

90-1教会、学校跡方面からの景色

そして、左側に村のシンボルだったセント・マーチン教会、その奥には学校跡があります。

恐らくリディエツ村で一番賑わっていたのがこの付近だったのでしょう。リディエツ村の住人全員は、最初にセント・マーチン教会の前に集められました。そして、男性はさきほどの農場の地下へ詰め込まれます。女性と子供はこの学校に集められ、クラドノ強制収容所に移送されます。

その近くには、子供が寄り添い、破壊された学校跡を向き、嘆き悲しむ母親の彫刻があります。「リディエツの母」と呼ばれるこの彫刻は、1957年に彫刻家のベドリッチ・ステファンの作品です。リディエツ村の惨劇のみならず、今後、同じような惨劇が起らないように想いが込められています。

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現代のリディエツ村

戦後、リディツェ村の住人で、強制収容所やドイツ人家庭に養子に出されていた女性や子供を連れ戻す作業が始まりました。1947年、旧リディツェ村から1キロほどの場所に新しいリディツェ村が建設されます。現代の新リディエツ村にはのどかな風景が広がっています。

1955年、リディエツ村に世界中から友情と平和の印に薔薇が届きます。その咲き乱れた薔薇は新しいリディエツ村のシンボルとなりました。今では夏になると、旧リディエツ村跡にもたくさんの薔薇の姿を見ることができます。

リディエツ村の悲劇が起る数日前の1942年6月5日~7日、太平洋戦線ではミッドウェー海戦で日本海軍の連合艦隊が壊滅します。それ以降、太平洋戦争の主導権はアメリカになりました。

太平洋で大きな戦局の転換が起っていた時、太平洋から遠く離れたナチスドイツ占領下のチェコでは、ハイドリヒ暗殺、報復としてのリディエツ村の悲劇が起っていたのです。

93かつての村がホラグラムによって再現されます
【連載ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡

著者:HIRO

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ヨーロッパ各地の世界大戦の戦争遺跡を周って取材しています。
だから、戦争遺跡ライターです。
学生時代から、事件、事故現場、戦争跡地を野次馬のように行くダークツーリズムラー。
特にヒトラー、ナチスなど、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線に関することが一番好き。
しかし、重いテーマの旅をしているかというと、旅行先では美味しいご当地グルメを堪能して、お酒を飲んでいます。時には道に迷ってテンパったり、ヨーロッパの街並みに感動したりと、見かけはヨーロッパが大好きな普通の旅行者です。

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「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズを
ダークリズム・ジャパンのニコニコ動画にも寄稿しています。
http://ch.nicovideo.jp/darktourism