第二次世界大戦が始まる前日、1939年8月31日夜。ポーランド兵に偽装したナチスの親衛隊(SS)が、ポーランドとの国境にあるドイツ領の放送局を襲撃しました。ポーランド侵攻を正当化させるため、ドイツが偽装したのです。今回はその場所、現在ポーランド領にある放送局跡地を訪れていきました。
内陸国のオーストリアには港があります。その理由は、オーストリアを東西に流れるドナウ川の存在。ドナウ川は国際河川として、外国の貨物船も運行することができます。ウィーンの港湾地区のいくつかはナチスドイツ時代に作られ、現在でも港湾施設として利用されています。
戦争が始まるとヒトラーは同盟国の首脳と、直接何度も顔を合わせて会談をします。戦争中は旧東プロセインの前線「狼の巣」やベルヒデスガーデンの山荘にいることが多かったですが、ヒトラーが出向くことも頻繁にありました。
母親が亡くなりヒトラーはウィーンへ行くことを決意します。リンツ時代の親友、グビツェクもウィーンに呼んで同棲生活を始めます。リンツ同様、ウィーンでも2人は色々な所に行きました。そしてウィーンで彼らは別れたのでした。
ヒトラー自身の著書「我が闘争」以外で、ヒトラーの青年時代を知ることができる本があります。それは、親友グビツェクの回想録。今回はそれを元に、ヒトラーの青年時代を追ってみました。