【第107回】戦うポーランド!1944年8月1日午後5時-その6|トピックスファロー

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2024年8月7日
【第107回】戦うポーランド!1944年8月1日午後5時-その6

1944年8月1日午後5時、63日間におよぶワルシャワの戦いが始まります。ナチスドイツの支配下となってから約5年、ついにポーランド人は立ち上がります。ワルシャワ蜂起が始まった歴史的瞬間の3ヵ所を紹介します。

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1944年8月1日午後5時、ワルシャワ蜂起決行が決まる

1944年7月末日頃、ヴィスワ川を挟んだ対岸のブラガ地区に、ソ連軍が到達したという情報が入ります。

イギリスの亡命政府の配下のポーランド国内軍(AK)は、あくまでも自分たちが主導権を握り、ドイツ軍に打撃を与えて、主人としてソ連軍を迎え入れるというのが理想でした。

ポーランド国内軍を表すAKポーランド国内軍を表すAK

しかし、その一方で、武器、戦力が圧倒的に不足していたため、ソ連軍の戦力に頼らざるを得ないというジレンマに陥っていました。また、同時進行していたモスクワでは亡命政府首相のミコワイチクとスターリンの会談も平行線のままだったのです。

国内総司令官、ブル・コモロフスキ(コードネーム・ブル)は、不安を抱きつつも蜂起決行の決断を下します。

国内総司令官、ブル・コモロフスキ(コードネーム・ブル)国内総司令官、ブル・コモロフスキ(コードネーム・ブル)

その根拠は、ドイツ軍がソ連軍のワルシャワを攻撃したと発表したことにありました。

この時点で戦闘を開始すれば、ドイツ軍の補給と補強を阻止できるチャンスだととらえたのです。また、もしそれができなければ、ソ連軍とドイツ軍の戦闘によりワルシャワは瓦礫と化してしまうため、どちらにせよ蜂起しないという選択はありませんでした。

蜂起決行は、1944年8月1日、午後5時と決まりました。

ナチスの旗をこき下ろす国内軍兵士ナチスの旗をこき下ろす国内軍兵士

前日の7月31日、蜂起開始命令が出される

ポーランド国内軍の司令部は2つありました。ポーランド全土を統括するブルの司令部とワルシャワ地区を統括するアントニ・フルシチェル(コードネーム・モンテル)の司令部です。

ワルシャワ蜂起が決行される前日の7月31日、ブルから翌日の蜂起開始の命令を受け取ったモンテルは、命令書に署名します。

ワルシャワ蜂起の決行が正式に決まった瞬間でした。

モンテルが命令書に署名した場所が、ワルシャワ中心部の南西、ナホタ地区のフィルトロヴァ通り68番の建物です。現在ピンクの大きな建物で、現在は1階に床屋と店舗が入っています。その壁にプレートがあります。

「1944年7月31日、午後7時頃、この建物でモンテル大佐がワルシャワ蜂起開始の命令書に署名をする。」

そんな歴史的に重要な場所は、現在はワルシャワ市民が商売を営む日常光景が広がっています。記念プレートも行きかう市民で気づく人はほとんどいないかもしれません。

しかし、蜂起の決行日は1944年8月1日午後5時。開始命令に署名したのは7月31日午後7時頃だったため、この時点で24時間を切っています。命令書の署名からワルシャワ市内の末端の指揮官レベルまで命令が行き届くのには、あまりにも時間が短すぎました。蜂起開始の数時間前に知った部隊もたくさんあったようです。

イントロダクション

住所:フィルトロヴァ通り68番
ナホタ地区

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蜂起開始前に起こってしまった戦闘、初めての死者

蜂起決行の8月1日、午後5時の3時間前の午後2時頃、ワルシャワ中心部の北西、ジョリボリ地区では、すでにポーランド国内軍とドイツ軍の銃撃戦が発生していました。

急遽の蜂起開始命令を受けて、周辺の建物に隠しておいた武器を運びに来たところ、パトロール中のドイツ軍の部隊と銃撃戦になったのです。そして蜂起軍に初めての死者が出ました。

現在、ジョリボリ地区の閑静な集合住宅街の交差点の一角に、縦長の記念碑が立っています。

まさにこの場所こそがワルシャワ蜂起の最初の戦闘が行われた場所だったのです。

蜂起開始の命令書が出された、フィルトロヴァ通りの建物のようにプレートのような一見わからないように地味なものではなく、閑静な住宅街の一角に突如として現れる記念碑、献花も時々行う人もいるようです。

記念碑記念碑

この場所から壮絶なワルシャワ蜂起の63日間の戦いが始まりました。ワルシャワを瓦礫に変えてしまった戦いの最初の戦闘は中心部から少し離れた閑静な住宅街の中にあったのです。

記念碑の前の風景記念碑の前の風景

この戦闘のおかげでドイツ軍は不意を突かれず、臨戦態勢を整えることができるようになりました。

イントロダクション

住所:パヴェウ・スジン通りとアダム・プルフニク通りの角
ジョリボリ地区

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ワルシャワ蜂起開始時の国内軍総司令部

ワルシャワ蜂起開始時の8月1日午後5時、ブルの国内軍総司令部が置かれていた場所がワルシャワ中心部のユダヤ人が隔離されていたゲットー跡との境界線の近くにありました。

そこは最初の蜂起軍である国内軍の司令部が置かれていただけでなく、最初の戦闘が置き場所の一つにもなりました。

ここは家具工場でブルがそこに入ったのは、戦闘開始の1時間前の午後4時頃でした。

ドイツ軍の守備隊はゲットー側に配置されており、国内軍はその工場の主であった人物の指揮下の小隊でした。

午後4時半過ぎ、国内軍は開始時刻の午後5時まで待っていましたが、ドイツ側からの発砲により衝突が始まります。国内軍の援軍もあり、ドイツ側を突破し、8月3日にはドイツ守備隊を駆逐することに成功します。

しかし、8月6日は増強されたドイツ軍の反撃にあい、撤退を余儀なくされ、総司令部も移動することになります。ブルは歩いて旧市街の新司令部に向かいました。

現在の様子。ワルシャワ蜂起開始時の場所

地上部分にはコンビニエンスストアが入っている地上部分にはコンビニエンスストアが入っている。

国内軍の総司令部が置かれ、最初の戦闘が起こった場所は、現在、ユダヤ人墓地近くのヂェルナ通り72番の交差点にあります。

そして、蜂起開始の命令書が調印されたフィルトロヴァ通り68番のように、交差点の建物一角に、ひっそりと戦闘があったことを示すプレートも掲げられていました。

イントロダクション

住所:ヂェルナ通り72番
ヴォラ地区

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建物にはコンビニエンスストアが入り、目の前にはマンションのビルが広がっています。

床屋、住宅街、コンビニエンスストア・・・・

1944年8月1日、ワルシャワ蜂起が密かに始まった場所は、今はどこにも見かける町の日常に溶け込んでいたのでした。

今回、ワルシャワ蜂起が開始されたゆかりの場所を3ヵ所紹介しました。

次の記事以降は、ワルシャワ蜂起の痕跡を地区ごとに紹介していきます。

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【第107回】戦うポーランド!1944年8月1日午後5時-その6
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【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第1回~第100回)
【連載】ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡(第101回~)

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

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