南ドイツのバイエルン州の州都、ミュンヘン。日本人にも馴染みがあるミュンヘンは、ナチスが誕生した街としても有名です。ミュンヘンには芸術家を目指していた若かりし頃のヒトラーが住んでいました。ベルリンと同様にその時代の痕跡が街中に残っています。
ガスタイク文化センター
~ヒトラー暗殺未遂事件の現場~
街の中心部からイザール川を越えて、南東部に入ると、今はコンサートやミュージカルが行われるガスタイク文化センターがあります。ここはかつて、ビュルガーフロイケラーという名称のビアホールでした。
第二次世界大戦が始まったばかりの1939年11月8日、この場所でヒトラー暗殺未遂事件が発生します。
当時、ミュンヘン一揆を記念して、毎年11月8日はビュルガーブロイケラーへヒトラーが演説に来ていました。ヒトラー暗殺を企てた家具職人ヨハン・ゲオルク・エルザーは、ホールの柱に時限爆弾を仕掛け、演説の終了時間に合わせて爆発させます。しかし、当初飛行機でベルリンに帰る予定だったヒトラーは、天候の関係で鉄道に変更します。そのため、演説を予定より30分早く切り上げたために難を逃れます。
この事件は「ヒトラー総統は、神の摂理によって守られた」とドイツ国内に大々的に宣伝され、事件そのものがヒトラーの神秘性を高めることに利用されました。
エルザーの生家やビュルガーブロイケラーの暗殺事件の展示については「【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その3」をご参照ください。
アクセス
Rosenheimer Platzまたは、市電16番のAm Gesteig下車
ミュンヘン一揆のコース
~ミュンヘン観光しながら辿るコース~
1923年のドイツは、先の世界大戦のヴェルサイユ条約により、天文学的な賠償金の支払いを押し付けられ苦しんでいました。ところがその返済が滞ってしまったため、報復としてフランス、ベルギー軍は報復としてルール工業地帯を占領します。
そのため、ドイツ国内は激しいインフレーションが起こり、経済が崩壊寸前となります。元々ドイツは、19世紀まではたくさんの自由都市、小さな領邦国家の集まりでした。
そのため、各地方の独立機運がとても強く、当時もベルリン中央政府とバイエルン州政府で対立していました。
ヒトラーはその隙間をついて、武力蜂起によって政権を奪い取ろうとしてしたのが「ミュンヘン一揆」です。
1923年11月8日、ヒトラーは突撃隊を率いて、バイエルン州政府の集会が行われていたビュルガーブロイケラー(現在はガスタイク文化センター)に乗り込み、州政府の高官を監禁します。
ヒトラーはその後、ヒトラーの支持者と共にビュルガーブロイケラーを出発して行進します。ヒトラー一行は、まずビュルガーブロイケラー前の道をイザール門方面へと向かいます。静かな流れのイザール川を渡り、イザール門を潜ると、今ではミュンヘン最大の観光スポットとなっているマリエン広場の新市庁舎前に着きます。
マリエン広場からさらにディナー通りを右に曲がり、オデオン広場に進行しますが、広場に着く手前(写真側の左)で警察官隊と衝突。デモ隊17名が亡くなります。ヒトラーは負傷しながらも、突撃隊の衛星医に助けられ、オーストリアの国境近くまで逃げることができました。
しかし、数日後、逮捕され、ランツベルク刑務所に投獄されます。出発地のビュルガーブロイケラーからオデオン広場まで1km程。ゆっくり歩いても40分もかかりません。ミュンヘン一揆のコースは、ミュンヘンの中心部の観光名所を通るので、ガイドブックに掲載されている観光モデルコースとあまり変わらなかったりします。
ミュンヘン一揆の全ルートを下記、記事で紹介しています。ご参照ください。
【第67回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅4 ~ヒトラーの挫折編-その1~
【第67回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅4 ~ヒトラーの挫折編-その2~
白バラ記念館 ~ナチスに抵抗した学生達~
ナチスドイツの旗色が徐々に悪くなりだした1942年~1943年頃になると、ドイツ国内でナチスやヒトラーに抵抗する動きも起り始めます。
ナチス発祥の地ミュンヘンでも、ショル兄妹(妹のゾフィー・ショル、兄のハンス・ショル兄弟)を中心とするミュンヘン大学の学生達や教授達による反ナチスのグループが、ナチスに抵抗する「白バラ運動」を起こします。 彼らは決して派手な武力行使ではなく、無記名のビラを郵送することを主な活動としていました。ビラの内容はヒトラーの中傷、ナチスの集会への不参加、軍需工場に勤めている人へのサボタージュへの呼びかけなど、とても地味なものでした。
しかし、ミュンヘン市民の間で大きな抵抗運動が起ることはありませんでした。それに業をいやしてか、ソフィ兄弟は 白昼堂々と大学構内でビラを撒き散らす暴挙にでてしまいます。そして、秘密警察に捕まって、主犯格のメンバーは処刑されてしまいます。
その舞台となったミュンヘン大学には、 白バラ運動の記録が展示された白バラ記念館(DenkstatteWeiße Rose)があります。校内の部屋の一室で、ひっそりある小さな記念館です。説明文はドイツ語のみ。有料で英語のオーディオガイドもあります。入場料は無料。
主な展示は、当時の写真、説明文、ビラを作るのに使っていたタイプライター。また、この白バラ運動は何度も映画の題材になっています、白バラ運動について書かれた日本語の本も置いてあります。ソフィの直筆の手紙も残っていて、オランダのアンネフランク博物館に展示されてあるアンネの直筆の手紙を連想させます。場所はオデオン広場からまっすぐ伸びるルートヴィヒ通り(LudwigStraße)を1kmほど歩きます。
最寄駅
地下鉄U6、U3線 Universität駅
ミュンヘンと近郊の街の白バラ事件の痕跡を巡った記事になります。ご参照ください。
ウルムのショル兄妹の生家を紹介。
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その1」
ショル兄妹の下宿先や逮捕後、尋問を受けた場所の現在を紹介。
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その2」
白バラ事件の裁判が行われた裁判所、ショル兄妹の処刑された刑務所、お墓を紹介。
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その3」
ミュンヘン会談の建物 ~世界がナチスの暴走を許した会談~
ナチス時代のドイツで、紹介した「ミュンヘン一揆」と共に「ミュンヘン」と付く有名な出来事といえば、1938年9月の「ミュンヘン会談」があります。
イタリアのムッソリーニ首相の提案でドイツ、イギリス、フランス、イタリアの首脳がミュンヘンで集まり、チェコスロバキアとドイツとの国境に接するスデーテン地方のドイツへの割譲が決定されました。この会談にチェコスロバキアの首脳も呼ばれていましたが、会議中は別のホテルで待たされ、会談終了後に割譲の決定を知らされるだけ、という惨めな扱いを受けます。つまり、チェコスロバキアは世界から見捨てられる結果なったのです。
その背景には、当時のイギリスとフランスは、前の世界大戦で失った領土を回復して、力をつけはじめたドイツとの戦争の準備ができておらず、ドイツに強く出られなかったことがあります。それを現代では「宥和政策」と言われ非難されています。そのミュンヘン会談が行われた建物が残っています。
ミュンヘン一揆の終着地点、オデオン広場の将軍堂を背にして、左のブリエナー通りを700m程歩けばケー二ヒス広場に着きます。そのケーニヒス広場の一つ手前にあるARCIS通りの右手にある最初の建物がミュンヘン会談が行われた建物です。今は音楽単科大学となっています。
ケーニヒス広場周辺は、ナチスの官庁街だったので、ナチス関連の建物がたくさんありました。今では音楽単科大学のそばにその事実を示す英語とドイツ語の看板がひっそり立てられ、行き交う人が立ち止まって読んでいる光景を目にすることができます。
なんと!年の取材でミュンヘン会談が行われた部屋に特別に入れてもらうことができました。
その時の取材記事は「【第71回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅8 ~開戦への道編~」をご参照ください
ガイドブックのミュンヘンの地図を片手に歩いてみよう
紹介したミュンヘンのナチス時代のゆかりの場所ですが、全て街の中心部に固まっているので、ガイドブックの地図を片手に、ミュンヘン観光のついでに立ち寄ってみてください。
また、郊外には、ダッハウ強制収容所というナチスによるドイツで最初の強制収容所跡がありますので、時間がある方はぜひ訪れてみてください。
とても濃かった2回目のミュンヘン取材
本記事は筆者が2014年6月取材した記事です。2018年から2019年の年末年始にかけて、再びミュンヘンへ渡航して、更に奥深い場所まで取材することができました。本記事でも紹介した記事だけでなく、下記の記事でも豊富な写真と共にミュンヘンを紹介しています。
「ヨーロッパで訪問したい戦争遺跡シリーズ」では第64回から第74回の記事が該当します。
拙著「ヒトラー野望の地図帳」(電波社)でも書かれていない、貴重な場所ばかりですので、ぜひご覧いただければ幸いです。
ヒトラーとミュンヘンの初めての出会い、最初に下宿したアパートの今
「【第64回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅1 ~ドイツとの出会い編~」
時代を変えた?ヒトラーとナチスが出会った裏路地の酒場
「【第65回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅2 ~ナチスとの出会い編~」
現在でも営業中!ヒトラーが演説したビアホール
「【第66回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅3 ~ヒトラーの躍進編~」
ヒトラーが溺愛した姪、彼女の最期の場所はヒトラーの高級アパート
「【第68回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅5 ~愛する姪・ゲリ編~」
ヒトラーが一緒に最期を遂げた愛人エヴァと初めて出会ったホフマン写真館
「【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その1~」
エヴァの生家はヒトラーの高級アパートの近く
「【第69回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その2~」
ヒトラーがお気に入りのイタリアレストランが現在も営業中!
「【第72回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅9 ~英国女性ユニティ~」
ミュンヘンから日帰りで行ける、ヒトラーの側近たちの最期の場所も取材してきました。
長いナイフの夜。盟友レームが逮捕された別荘
「【第70回】ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅7 ~ヒトラーの粛清編~」
ロンメル将軍、最期の20分のルートを再現して追ってみた
「【第73回】ドイツ軍の英雄、「砂漠の狐」と呼ばれたロンメル将軍の最期の地」
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社
価格 :1,400円(税抜)