本シリーズは旅行好き、歴史好き、年代関係なく、あらゆる層の方に読んでいただきたいと思っています。その中でも私が執筆している上で、特に意識しているターゲット層を5つに別けてみました。優先順位が上の層から紹介します。
ヨーロッパの戦争遺跡巡りには語学力はさほど要りません。知識を蓄える方が楽しくさせてくれます。語学力が乏しくても気にする必要はありません。語学を磨かなくても戦争遺跡を楽しむ方法を紹介します。
ヨーロッパの世界大戦の戦争遺跡と言っても、各国、決して一律ではありません。世界大戦中のヨーロッパ各国は戦勝国、敗戦国、中立国の3つに大きく分類されます。各国はそれぞれ異なった残し方をしていますので簡単に紹介いたします。
ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡シリーズを執筆し続けて2年。 なぜ、「ヨーロッパ」の「戦争遺跡」を取材することにこだわっているのか?を読者の皆さんにお伝えしたいと思います。
スターリングラードの戦いは大激戦の末、ソ連が街を守り抜きました。敗れたドイツ軍は 10万人の兵士が捕虜となり、戦後ドイツへ帰還できたのは5千人と言われています。スターリングラードの戦い以後、ドイツ軍は敗走し続けるのでした。
スターリングラード市街地の約9割を手に入れたドイツ軍、完全占領するのは時間の問題と思われていました。しかしその時、戦闘の焦点は別の場所へ移っていたのです。それに彼らはまだ気づいていなかったのです。
スターリングラードでの市街戦が始まってから、一身攻防の激戦の末、南部の商業地の駅、船乗り場などを占領したドイツ軍、戦場は北部の工業地帯に移っていきます。北部へはトラムを使って訪れることができます。
開戦以来、破竹の勢いでヨーロッパ大陸を制圧していたドイツ軍。1942年~1943年にかけてドイツ本国から2000キロ以上も離れた、ロシア南部のスターリングラードで大敗を喫します。その後は、戦局が逆転してドイツは2度と優勢になることはありませんでした。
ヒトラーを初めナチスの幹部は、占星術、予言、古代文明などにハマっていたオカルト集団と言われています。そんな彼らが不思議な儀式をやっていたお城がドイツの北西にあります。その名はヴェヴェルス城と言います。
ナチスの台頭に驚いたフランスが独仏国境沿いに建設した要塞、マジノ線。ドイツ軍の進撃を阻止することはできませんでしたが、マジノ線の一部が、アルザス地方にひっそりと残っています。