戦時中、中立国のスイスで密かに和平交渉を進めた日本人とアメリカ人がいます。彼らの動きと日本政府の対応、そして終戦を迎えた彼らがとった行動までをご紹介します。
中立国のスイスでは、連合国・枢軸国それぞれの関係機関が敵側の情報を得るために、諜報活動が盛んでした。戦時中、密かに敵国同士である日本人とアメリカ人が接触して、和平交渉を進めていきます。
1939年、第二次世界大戦が開始。戦争が対岸の火事ではなくなったスイスは、アンリ・ギザンを将軍に立てます。将軍は徹底抗戦の誓いを立てた後、スイス中立を保つためにどのような攻防を行なったのか、遺された痕跡と共に歴史を追っていきたいと思います。
1939年、スイスの隣国ドイツがポーランドに攻め込み、第二次世界大戦が始まります。スイスも戦争が対岸の火事ではなくなりました。スイス軍のアンリ・ギザン将軍は万一の場合は、徹底抗戦で望むことを決意します。
第二次世界大戦では、ヨーロッパのほとんどの国が戦禍に見舞われました。ヨーロッパ大陸の主要国で、参戦することがなかったのは数ヶ国だけです。その中で国境を接する全ての国が参戦国となった唯一の国がスイスでした。
パリから北東140kmにあるランスで、ドイツ軍は西部戦線の連合軍に降伏しました。ランスには降伏調印された建物が博物館として残っています。「その2」では、博物館の中を紹介します。
ドイツ軍がベルリンで無条件降伏する前日、パリから北東140kmにあるランスで、ドイツ軍はまず西部戦線の連合軍に降伏しました。ランスには降伏調印された建物が博物館として残っています。
第二次世界大戦中の連合軍によるフランス北部の沿岸での戦い。1942年、少数兵力で上陸を試みる「ディエップ上陸作戦」が行われたことはあまり知られていません。「その2」ではディエップ上陸作戦後の当時の様子と、その歴史の痕跡を追います。
第二次世界大戦中の連合軍によるフランス北部の沿岸での戦いというと、ダンケルク撤退作戦、ノルマンディー上陸作戦が有名です。しかし、1942年、少数兵力で上陸を試みる作戦が行われたことはあまり知られていません。その戦いが行われたディエップ海岸を紹介します。
ヴィシーフランス政権が誕生した後、ペタンはヒトラーと直接会談を行います。そこでヴィシーフランスはナチスドイツと協力していくことを宣言します。その会談場所がモントワールだったので、「モントワール精神」と呼ばれています。