ノルウェーの国王・ホーコン七世は、戦わずしてヒトラーの軍門に下ったデンマークと違い、戦う道を選択します。ノルウェーは、連合軍側として北欧で唯一、ナチスドイツと戦った国となり、ドイツ軍とイギリス軍もノルウェー本土で激戦を繰り広げました。映画「ヒトラーに屈しなかった国王」では、この時代のノルウェーが描かれています。
19世紀、ユトランド半島の領土を巡り、国境を接しているドイツ(プロセイン王国)と戦争もしていたデンマーク、第二次世界大戦では、ドイツとは真っ向から戦わず軍門に下る道を選びました。当時の歴史を振り返りながら、デンマークへ侵入したドイツ軍のルートを巡ります。
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は、主に西部戦線と東部戦線に分かれますが、開戦して1年も経たずに北欧の国々も戦争に巻き込まれました。1940年4月9日、ドイツ軍は突如、デンマーク、ノルウェーに襲い掛かります(ヴェーザー演習作戦)。北欧での戦いの痕跡を巡ります。
ハンザ同盟の都市として有名な北ドイツのリューベック。戦後、西ドイツ首相として、東欧諸国との関係を構築してノーベル平和賞を受賞した、ヴィリー・ブラントの出身地でもあります。ヨーロッパ統合の礎の一つとなったリューベックを紹介します。
第一次世界大戦の末期、出撃命令を拒否したUボートの兵士達が蜂起、それをきっかけにドイツ全土に反戦運動が起こり、ドイツは降伏します。それは第二次世界大戦への布石でもあったのです。
1943年7月、ドイツの港である町ハンブルクは、イギリスとアメリカ連合軍による「ゴモラ作戦」と命名された大空襲で壊滅的な被害を受けました。その傷跡を残すものが、今もハンブルク市内に残っています。
1943年9月、日独伊三国軍事同盟の中で早くも離脱したイタリアは、その直後ドイツの軍政下におかれることになりました。その時、ドイツ軍に抵抗する組織、パルチザンがイタリア各地で活発化したのです。ローマで彼らの痕跡を巡ります。
第2次世界大戦のイタリア戦線で一番有名な戦い「モンテ・カッシーノの戦い」。1944年、山中にある1つの修道院を巡り連合軍とドイツ軍で4ヶ月に渡る長期戦が行われました。その舞台となったモンテ・カッシーノ修道院の現在を追ってみます。
1938年5月9日と1940年10月28日、ヒトラーはイタリアのフィレンツェを訪問しています。2回とも目的はムッソリーニと会談するためでした。フィレンツェでのヒトラーの痕跡を追います。