固定支出が少ないと、お金が貯まり出す社会人
筆者は大学卒業後、しばらくアルバイトをしながら海外放浪を繰り返していました。
学生時代から当時(2000年代前半)の時給で800~1,000円ほどの登録制のアルバイトをしていました。主にイベントスタッフ、チラシ配りなどです。
稼げても月に10万円前半くらいだったでしょうか。それも海外に行けばすぐ0になってしまいます。学生時代からこの期間までは、一番お金がなかった時期かもしれません。
やがてなんとか社会人になり、月に手取りで20万円近く稼げるようになると、こんなに簡単にお金は貯まっていくのだという感覚になりました。家賃の必要がない実家暮らしだったということもありますが、その後も転職やその間に無職期間などを何度か経験しても、お金に困ったという記憶はありません。
社会人になっても海外旅行や趣味(野球観戦や国内旅行)を学生時代同様続けていきましたが、定期的な収入があると出るお金よりも入るお金のほうが大きく、お金はどんどん貯まっていきました。
固定支出(家賃、車のローン)や結婚式や結婚生活へのためにプールする資金が不要なら、必要以上にお金を貯める必要はなかったのです。この考え方は後の記事でお伝えする予定の「積立投資への考え方」にも影響してくる部分です。
お金に対する考え方を決定的にしてくれた2冊の本
筆者が社会人として働き始めた当時(2000年代半ば)、「金持ち父さん、貧乏父さん」というお金の考え方について書かれた本がベストセラーになりました。筆者も興味本意で読んでみました。
この本の作者はロバート・キヨサキというアメリカに住む日系人の方で、お金は労働するより投資をする方が稼げるということが書かれていした。
具体的には、会社で働くより不動産投資した方がお金は増えるというもので、いくら会社で働いてお金を稼いでも「ラットレース」からは抜け出せないという発想が斬新できでした。
この本で具体例として挙げられた、不動産投資をするというものは、現実的ではありませんでしたが、この「ラットレース」からは抜け出せないという考え方は、筆者の中でも働いている身でありながら、常々疑問に思い続けて、引っかかっていた部分でした。
その後、しばらくして30歳になった頃、たまたま手にした本、「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」(木暮太一)では、「金持ち父さん、貧乏父さん」を深掘りしていました。
この本では、ロバート・キヨサキの「金持ち父さん、貧乏父さん」とカール・マルクスの「資本論」では、同じことを言っているとしています。
給料が増えても、お金から追われる生活から逃げられない
マルクスは、19世紀のヨーロッパで共産主義の概念を作った人物です。筆者も経済学部出身ということもあり、マルクスの経済学は学生時代に勉強した記憶がありますが、大学では難しく抽象的な言葉で説明されたので、よく理解できませんでした。
しかし、「金持ち父さん、貧乏父さん」と「資本論」のどちらの本も資本主義の中では、労働者は、たとえ、昇進や転職で給与を上げることができても、人間はどうしてもその分だけ生活水準を上げてしまうので、お金は貯まらなくなるということが書かれています。そのため、労働者は「ラットレース」からは抜け出せないのです。
また、基本的に日本の企業の場合、年功序列という慣習があるため、社員に支払う給与というのは、努力したから、成果を上げたから、その分だけ社員に還元するのではなく、社員の生活のための必要経費のための分の給与が支払われるというのです。
例えば、昇進して一般職から管理職になり給与も上がったとします。社内で飲み会が開催されることになりました。
会費は参加する社員から徴収するとなると、会費は役職が高い順から多く徴収されるのが一般的ではないでしょうか。
一般社員4,000円
課長10,000円
部長15,000円
…のように。
昨今も若い社員は管理職になりたがらないとよく言われます。それは管理職になり基本給が増えても残業の当てなどが無くなると、責任範囲の幅や仕事量だけが増えて、給与とのコストパフォーマンスが悪くなるからです。
筆者は大学時代に勉強したマルクスの理論と、社会人になってから読んだ「金持ち父さん、貧乏父さん」の整合性が繋がったとき、雷に打たれたような感覚になりました。
働いてもお金が貯まらないラットレースを抜け出す手段として、マルクスは「革命」を選び、ロバート・キヨサキは「投資」を選択します。当然、筆者も「革命」ではなくて「投資」を選択します。