北欧で唯一、中立国として生き延びたスウェーデン
第二次世界大戦中、英国王室と日本皇室と繋がっていたスウェーデン王室
ナチスドイツの軍門に下ったノルウェー、デンマーク、ナチスドイツと同盟国だったフィンランド、北欧4ヶ国の中、スウェーデンだけが第二次世界大戦勃発から終了まで中立を維持することができました。
スウェーデンは中立国だからといって、太平安泰だったわけではなく、ナチスドイツを中心とした枢軸国側、イギリスを中心とした連合国側の圧力に屈したりしつつも、戦禍に巻き込まれるのをなんとか免れたのです。
例えば、枢軸国側が優勢の大戦前半は、ドイツ軍のスウェーデンの領土内の移動を黙認したり、連合軍が優勢になる大戦末期は、スウェーデン国内に連合軍の不時着したパイロットを自国へ返還したり、ドイツ軍の通過を拒否するようになりました。
また、鉄鉱石などの資源もドイツへ供給していたため、枢軸国側の協力国という面が強いです(詳しくは、「北欧戦跡の旅4:ヒトラーが初めて敗れた、北極圏、ナルヴィクの戦い」)。
戦後、中立国としての義務が果たされていなかったと各国から非難されてしまいます。
また、中立国という立場上、枢軸国、連合国側両サイドの駐在武官、大使館員がスウェーデン国内にいて、スパイ活動や講和に向けた内密の接触が行われていたのが第二次世界大戦中のスウェーデンです。
スウェーデンから早期講和を発信し続けた、日本軍の駐在武官
第二次世界大戦中、日本もスウェーデンと国交がありました。外務省の大使館職員や日本軍の駐在武官が、首都ストックホルムに住んでいたのです。 陸軍の駐在武官だった小野寺 信(おのでら まこと)は、スウェーデンからヨーロッパの情勢を冷静に分析。ベルリンの日本大使館から日本国内へ発信されるドイツの力を過信する情報に、警告を鳴らし続けていました。 また、ドイツが降伏して日本が単独で連合軍と戦うことになった時期には、現地のスウェーデン人の力も借りて、中立国という立場上、英国王室、日本の皇室ともつながりがあるスウェーデン国王に講和の仲介斡旋の依頼を試みます。 結果としては、小野寺による警告は、日本国内では無視され、スウェーデン国王への仲介斡旋も上手くいかなかったのですが、戦後、スウェーデン国内では小野寺の功績が称えられることになります。 詳しくは「バルト海のほとりにて 小野寺百合子 朝日文庫」に書かれています。ご興味がある方はぜひ読んでみてください。水の都、首都のストックホルム
大小合わせて14の島からなるストックホルムは、湖との景観が美しい街です。ストックホルムの武器博物館
そんな戦火を免れた美しいストックホルムにも、第二次世界大戦中の様子を伝える博物館があるので紹介します。ユダヤ人を救ったスウェーデン人の実業家、ラウル・ワレンバーグ
武器博物館の第二次世界大戦の展示では、なぜか大戦中の東欧のハンガリーの写真もたくさんあります。それは、大戦当時ノルウェーの外交官であったラウル・ワレンバーグの存在が大きく関わっています。スウェーデンのスパイになったドイツ人の女性、エリカ・ウェンド
スウェーデンのスパイとなったドイツ人もいました。 第二次世界大戦中、ストックホルムのドイツ公使館で、秘書として働いていたドイツ人、エリカ・ウェンドは、中立国スウェーデンの平和な生活を謳歌していました。エリカはナチスの政策には懐疑的で、語学が堪能だったこともあり、スウェーデン人の諜報員が彼女に接触してきます。諜報員と仲良くなったエリカは、「ONKEL」というコードネームが与えられ、スウェーデンのスパイとなり、ドイツの情報をスウェーデンに提供します。 しかし、ドイツ側にスパイだとばれてしまいエリカに帰国命令が出ますが、スウェーデン当局がエリカを戦争が終わるまで保護します。戦後はスウェーデン国籍を手に入れて余生をスウェーデンで送りました。同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社
価格 :1,400円(税抜)