丹東新区にある北朝鮮に接近できる税関跡
丹東駅から南に20kmほどの場所に、丹東新区が建設されています。丹東市の市政府庁舎など、丹東市の政府機能が移転されています。そして、北朝鮮とのメインゲートとなる新鴨緑江大橋も完成して、開通を控えています。
新義州特別行政区の開発や将来、北朝鮮への玄関口とる丹東新区からの新鴨緑江大橋にしても中国側からの投資にかかっているようですが、中断中の新義州の高層建築物の建設、完成したとはいえまだ開通していない新鴨緑江大橋を見ると、中朝関係が決して円滑とは言えないことがうかがえます。
丹東新区もまだ開発中ですが、丹東駅周辺と比べると人もまばらで殺風景な印象をぬぐいえません。今後の日朝経済交流は、まずは中国側の丹東新区の開発を促進することにかかっているのではないでしょうか。
丹東新区には、丹東がかつて国際的に開かれた貿易港だった時代、税関として使われていた建物が博物館(安東商埠歴史博物館)として公開されています。
筆者が訪れた時は、館内にのんびりとした職員が数人いるだけで、訪問客はいませんでしたが、20世紀初頭の丹東(当時は安東と呼ばれていた)が紹介されています。
日露戦争後に丹東に日本が進出して、埠頭を設置してから国際港として栄えます。歴代の税関長はイギリス人や日本人が占めていて、当時の中国の沿岸地域が列強諸国に租借されていたのがわかります。丹東は、1931年の満州事変以後は日本に占領され、その後日本企業の進出が進みました。
博物館から鴨緑江を見ると、手前に北朝鮮の柳草島が見えます。中朝友誼橋付近より間近に北朝鮮領を眺めることができます。
アクセス
安東商埠歴史博物館は、丹東駅前から888路沿江線バスで8つめの浪斗港下車。
新鴨緑江大橋へは次の9つめの停留所で下車。
手前の7つめの停留場から浪斗港間は海沿いで北朝鮮の柳草島がよくみえるので、天気が良い日はウォーキングがオススメ。
所要時間は丹東駅前から約30分
平壌へ向かう国際列車を見ることができる丹東駅
北朝鮮との国境駅である丹東駅は、毎日10時に北朝鮮の首都、平壌への列車(北京が始発)が発車します。
筆者は、駅のホームで平壌行きの列車の発車を見るために、丹東駅10:13発、大連北駅行きの高鉄(中国新幹線)を予約しました。出発1時間前の9時頃に丹東駅に行くと、平壌行きに乗り込む乗客の集団がいます。
改札口では、北朝鮮のパスポートを持った、胸に金正恩初期のバッジをつけた美女軍団や中国で買い出しして帰朝すると思われる北朝鮮人の乗客たちと遭遇しました。
平壌へ向かう列車へ乗る乗客は、国境審査があるために、中国国内線の列車とは別の改札口からホームへ向かいます。乗客を見ていると、中国からの団体観光客と思われる集団が多数を占めている印象を受けました。
平壌へ向かう列車はホームの1番線から発車します。この日は定刻より少し遅れて10:06にゆっくりと平壌へ向けて発車しました。
日本と国交がない北朝鮮は日本人からみたら閉ざされた未知の国。北朝鮮の北側に位置する中国の東北部地方(旧満州国)は北朝鮮との国境地帯となり、経済交流が進んでいます。
その最大の街が鴨緑江河口の丹東になります。
北朝鮮が手の届く範囲にある丹東まで来ると、北朝鮮は決して閉ざされた国ではないのだなと実感します。
しかし、丹東の対岸の北朝鮮の新義州の住民は、対岸から自分たちが見世物にされている状況をどのように思っているのか、ふと思ったりしました。また、高層ビルが立ち並ぶ近代化された丹東の街をみて、自分たちの国の現状をどのように考えているのでしょうか。
日本側からと見えにくいですが、今後の中朝国境の経済促進に注目したいと思います。
< No.25:北朝鮮の街が見渡せる中国東北部の国境の街、丹東レポート-その1
No.25:北朝鮮の街が見渡せる中国東北部の国境の街、丹東レポート-その2
著書「ヒトラー 野望の地図帳」のご紹介
現在「【受験に勝つ】世界史の勉強法シリーズ」とは別に、「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡シリーズ」も連載しています。
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