若き日のヒトラー
オーストリアに生まれたヒトラーは、少年時代、歴史科目は得意でしたが、理系科目や語学系の科目の成績はさっぱりでした。音楽や絵画など芸術には関心があり、画家を目指してウィーンの芸術大学を受験しますが不合格になり、浪人?ニート?とも思える生活をします。
ただ、芸術大学に落ちたとはいえ、人物画は苦手でも建物画は評価されていました。実際にヒトラーはウィーン時代に自分の絵を売り収入も得ていた時期もあったようです。
また、画家を目指していたウィーン時代から、同居していたアパートの住人を相手に時事問題について1人で熱弁するという才能も見せていました。芸術家を目指していたとはいえ、歴史の成績が良かったり、政治問題に関心があったりすることから、学問の趣向は文系型なのがわかります。
その後、ドイツへ移住して第一次世界大戦へ従軍、戦後は政治の道へ足を踏み入れます。
戦場で大学教育に匹敵する教養を身に着けたヒトラー
ヒトラーは、第一次世界大戦(1914~1918年)では、西部戦線に従軍してフランスやベルギーを転々としていました。しかし、西部戦線でドイツ軍は攻勢に失敗。戦線が膠着して塹壕戦による長期戦を強いられることになります。そのため、前線にある塹壕でも、戦闘をしている時間以外はひたすら時が経つだけの時間が多かったのです。
戦友たちが女や食べ物の話をして時間をつぶしている時、ヒトラーは黙々と哲学書や歴史書といった本を読んでいました。
その中でもアルトゥル・ショーペンハウアーという18世紀から19世紀のドイツの哲学者の選集を擦り切れるまで読み込みます。ショーペンハウアーが繰り返し主張した、意志の力、意志の勝利という人生の概念に大きく影響を受けたのでした。
ショーペンハウアーは、フロイト・トーマス・マンといったドイツの哲学者や、日本人だと作家・森鴎外に影響を与えたといわれています。
20代後半の25歳から29歳まで戦場で過ごしたヒトラー。その時の経験、知識、思考が30歳以降のヒトラーの人生の核となっていきます。
刑務所で作家デビューをしたヒトラー
戦後、政治家に転身したヒトラーは、35歳の時に政権を奪取しようとしてミュンヘン一揆(1923年)というクーデターを起こして失敗。ミュンヘンから少し離れたランツベルク刑務所に収容されてしまいます。
哲学者のニーチェ、経済学者のマルクス、19世紀のドイツの宰相ビスマルクや第一次世界大戦の回想録など・・・。戦場と同様に刑務所の中でも、ヒトラーは哲学・経済・歴史など学問としては文系分野に分類される多くの本を読んでいたそうです。
ヒトラーは後年、知人に語っています。
「戦場での4年間は人生の諸問題に関して、三十年間の大学教育に匹敵した。」
「ランツベルクは知ったかぶりの教授がいない、国費による私の大学教育だった。」
それと同時に、戦場で出会った哲学者ショーペンハウアーの著書にある「意志の力」の存在を、更に強く意識していくことになります。
刑務所生活は知識の習得だけでなく、自分を見つめ直す時間をヒトラーに与えたのでした。後年、ヒトラーが総統になった時に実現する、高速道路の建設や庶民でも変える乗用車の大量生産などの経済政策もランツベルクで思いつきます。
そして、刑務所に服役中に、「我が闘争」というタイトルで、自身の人生、政治理論について1冊の本にまとめます。それは後にドイツでは購読が義務化され、世界中で翻訳され発売されることになります。
死と隣り合わせの戦場や、拘束されている刑務所など、普通の人間ならあまり経験したくない場所でも、ヒトラーは知識の習得と共に自分の人生観を磨いていったのです。
戦場も刑務所も、苦痛の空間と思われますが、ヒトラーにとっては暇な時間も多くあり、学びの場所としてうまく利用したのでした。
出所後、ヒトラーは再び政治の世界に戻ります。そして、出所(1924年)から10年足らずで、ドイツで政権を握ることになります(首相就任1933年)。
海外に行かなかったヒトラー
ヒトラーは外国通の側近から、数ヶ月かけて海外旅行をしてきてはどうか提案されます。
それはヒトラーの外国に対する考え方が、書物や人からの話に偏っているので、実際に自分の目で見てくることを勧めたのです。
「世界を見ないで世界観を身につけることはできません。」
また、その側近は、ヒトラーが外国の文献、新聞を読んでドイツ以外の広い世界を理解できるように、英語の家庭教師も申し出でます。
しかし、ヒトラーは不機嫌になり顔をそむけます。意志の力が大きくなりすぎて、自分と異なる意見を嫌い、無視する傾向があったのです。ユダヤ人や共産主義に敵対心を抱く、自分の理論を正当化してくれる都合の良い人間にしか耳を貸しませんでした。
結局、側近のどちらの意見も採用はされません。そして、ヒトラーは自分の理論を政治、外交、戦争で押し通していくのでした。
ヒトラーは政権を取る前は、ドイツ、生まれ故郷のオーストリア、第一次世界大戦の戦場だったフランス、ベルギーにしか行きませんでした。生涯を通じても、ヨーロッパ大陸以外の国へ行くことはなかったそうです。
もしヒトラーが側近の言葉を聞き入れ、ソ連の広大な領土、アメリカの工業生産力、後に同盟国となる日本など、これらの国々を実際に訪れていたら、第二次世界大戦の動向も変わっていたかもしれません。
人生の勉強は学びと実践の両方が大事
ヒトラーは20代から30代にかけて、文系分野を中心とした多くの本を読み込み、知識を吸収していきます。それは第一次世界大戦後、復員して政治家になった時に、効果が発揮されます。
しかし、その反面、あまりにも頭でっかちになってしまい、異なる他人の意見を聞かない、外の世界を見ないという、自分の殻に閉じこもってしまいます。それが最終的には世界を悲劇へと導いてしまったのでした。
ヒトラーの学びは現代の私達への教訓ではないでしょうか。
受験や本を通じて知識を身に着けるのも大切ですが、外の世界をみたり、自分と考えが違っていても異なる意見にも耳を傾けたりすることが必要かもしれません。
大学生ならぜひ海外を自分の目で見てきてもらいたいと思います。今まで受験や授業で学んだことを実際に体験することで、知的興奮が味わえるはずです。
しかし、ヒトラーの勉強方法も良い点があります。
戦場や刑務所にいる時間をうまく利用して、たくさんの本を読んだということです。
もちろん、戦場や刑務所に身を置くのは現実的ではありませんし、長時間まとまった勉強時間を作ることは難しいです。なら、受験勉強だろうと社会人、大学生の教養としての勉強だろうと、細切れの時間を使う発想が大事です。それは通勤、通学の電車の中、学校、会社のお昼休みだっていいので、自分で時間と場所を作りましょう。
どんな場所だって戦場や刑務所よりは快適なはずです・・・。
また、大学生や社会人は休日丸1日を、家での読書に費やして教養を高める日を作るのも良いかもしれません。興味のあることはじっくり学びたいものです。
考える前に行動するというのも大切
学生なら卒業後の将来の進路も非常に気になると思います。世間一般では働くことにネガティブなイメージがメディアを通じて流れてきますが、それを鵜呑みせずにとりあえず世の中に出て働いて、自分なりに社会のことを考えてみるといった発想も必要かもしれません。
引きこもりなどの凶悪犯罪が世間を賑わすことも多いです。外の世界を見ない、自分にとって都合の悪い異なる他人の意見は聞かないという、自分の理論を絶対視すると悲劇が起こりやすいのかもしれません。
著書「ヒトラー 野望の地図帳」のご紹介
現在「【受験に勝つ】世界史の勉強法シリーズ」とは別に、「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡シリーズ」も連載しています。
ヨーロッパを中心とした戦跡を巡る旅行記で、実際にその場に行ったからこそ感じる当時の名残と現在の日常風景を、独自の視点で描いています。本シリーズは、おかげさまで書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。
読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本なので、web連載とあわせて、ご興味をもっていただけたら嬉しく思います。
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社
価格 :1,400円(税抜)