No.27:【コラム】会社員をしながら、30代で作家デビューした方法-その1|トピックスファロー

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2020年2月5日
No.27:【コラム】会社員をしながら、30代で作家デビューした方法-その1

筆者は38歳の時、本を出版して作家デビューしました。研究者でもない会社員の旅行者に過ぎない筆者が、書店の歴史コーナーに著書が置かれるようになったまでの経緯を紹介します。現実と夢とのギャップで悩んでいる方の参考になればと思い筆を取りました。

戦争遺跡ライター
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ライター業をめざすまで

筆者はもともと作家志望でもなかったし、文章を書こうとも思っていませんでした。むしろ、小学校時代は学校の課題で遠足、運動会、修学旅行などの感想を書く作文が大の苦手でした。その日の授業が終わっても一人、学校に残されて作文を書かされていました。

では、いつから執筆することを意識し始めたのか。これまでの経歴とともにお伝えします。

筆者のデビュー作「ヒトラー 野望の地図帳」筆者のデビュー作「ヒトラー 野望の地図帳」

マスコミに行きたかった高校時代(1990年代半ば)

筆者が10代の頃(1990年代)の主力メディアといえばテレビでした。ニュースに限らず、バラエティ、スポーツ、情報番組など、情報源はテレビでした。

小学5年生の時の1992年、中東で湾岸戦争が勃発、テレビのニュースで、空爆されているイラクのバクダッドから生中継でレポートする日本人ジャーナリストたちがいました。小学生の頃から戦争に興味があったので、単身で戦争状態に乗り込んで取材するなんて格好いいと、思ったりしました。

中学生の頃になるとUFO、心霊などの超常現象に夢中になります。当時、有名なUFO研究家や霊能力者が世界各地を取材する番組もゴールデンタイムによく放送されていました。

しかし、それらの番組をみて、超常現象そのものよりもUFOが多発する海外の土地や霊能力者が霊視する歴史上の人物や場所に興味が移っていきました。

また、筆者が作家デビューをしたきっかけとなったテーマの一つ、アドルフ・ヒトラーもこの頃に興味を持ち始めていました。

中学生の頃、某番組で放送していたヒトラー達が宇宙人と交信していたという城を訪れた記事は、「【第40回】ナチスのオカルト儀式が行われていたお城」をご参考ください。

また、当時は猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイクなど、タレントが海外でロケをするバラエティ番組も多く、海外への憧れが漠然と芽生えていきました。

このようにテレビが日常にとても身近な存在だったので、高校生になると漠然とマスコミで働いて、海外を取材するフリーのジャーナリストになりたいと思うようになりました。そのため、大学受験は、マスコミに強い東京の有名私大に絞って受験しました。

筆者の大学受験時代の話については、「No.10:【コラム】私立文系入試の合格の鍵は、英語と国語の読解力」をご参考ください。

大学時代、20代前半は海外旅行を繰り返す(2001年~2005年頃)

マスコミに行きたいと思い、無事大学に入学。

しかし、入学後は生活の場が東京となったこともあり、遊びたい気持ちが勝ってしまい、マスコミ志望へのモチベーションは薄れてしまいます。

大学の授業もほとんど出ず、子供の頃から好きだった野球観戦をするためにアルバイトを繰り返す日々。

そして大学に入って2年間が経ったころ、このまま大学生活を終えて社会に出るのはまずいと、ようやく思い始めます。そこで大学3年生の夏休み、大学に入る前から興味があったヨーロッパへ3週間弱一人旅をします(2001年8月)。

そこで海外にはまってしまい、新卒での就職活動も放り投げて、大学卒業後もしばらくアルバイト→海外旅行を繰り返していました。やはり、高校生の頃、フリーのジャーナリストを目指していた筆者にとって、自由に一人で旅行することが快感だったのです。

東南アジアを初めて周った時の筆者。タイのバンコクにて東南アジアを初めて周った時の筆者。タイのバンコクにて

筆者の海外との出会いについては、「戦争遺跡ライターになったのは、激動の時代ヨーロッパの歴史を知ってから」。大学時代の過ごし方「No.16:【コラム】受験で思い通りの結果が残せなかった人たち」をご参考ください。

20代半ばから同業界の様々な会社で働く(2006年~)

ジャーナリストにも興味はありましたが、海外を周っていた経験から、個人輸入の会社を立ち上げたいと思い、経験を積むために貿易関連の会社に就職します。

しかし実際に会社で働いてみると毎日、出社すれば決まった給与は入ってくるし、仕事そのものにも面白さを感じて、個人輸入で独立したいという考えは薄れていきました。

ただ、ジャーナリスト、個人輸入を目指していたことからもわかるように、会社という一つの組織に居続けることは苦手でした。社内の人間関係の狭い世界に飽きてきてしまうのです。そのため、雇用スタイルも正社員だけにこだわらないで、同業界の会社を転々と歩き回るスタンスで働いていくことになります。

苦手だった書くことをかえたきっかけはSNS(2006年~)

筆者の20代半ばの頃は、ブログ、SNSが流行り始めます。

友人が日常生活、旅行記、時事ニュースなど様々な話題を毎日ブログに更新しているのを見て感化されます。そこでブログやSNS(最初に手をつけたのはmixi)で、趣味感覚で毎日、日記のような文章を書くことを始めました。

ジャーナリストの夢を持っていたとはいえ、書くことが苦手だったのは、小学生の頃から変わっていません。それでも文章を書き続けたのは、SNSの魅力があったからこそ。プライベートの友人や世の中の不特定多数の人に自分の文章が読まれることに面白さを感じ、毎日書くのも苦ではなくなりました。

30歳を超えたころ会社員、バックパッカー生活に飽きてくる(2011年~)

社会人になってからも、転職の合間、休みを利用して短期で海外旅行には出かけていました。

そして、30歳を超えたころ。
学生時代から一番好きだった渡航先であるヨーロッパをほぼ一通り周り終えます。そこにあるのは「満足感」…のはずが、いつしか旅行に対して20代の頃のような新鮮さが薄れ、想像していた満足感は得られなかったことに気づきます。

さらにこの時期、当初は貿易業界の仕事に面白みを感じていた会社の仕事も、毎日同じ作業の繰り返しと感じてしまい、マンネリに陥っていました。

本当に自分がやりたいことは何か?

そう自問自答していた時に、勤務先の社員の言葉が聞こえました。

「会社にしがみつくための、TOEICや国家資格の勉強なんてしたくない。」

彼は働きながら医療関係のことを学び、将来的には独立しようと考えていたようです。

この言葉が自分を動かすきっかけになりました。
確かに筆者も学生時代に就職活動のためにTOEICを受験したり、社会人になってからは業界の国家資格取得の勉強をしたりした時期もありました。

学生の頃、フリーのジャーナリストを目指して、社会人になった頃は個人輸入で独立を考えていた筆者にとって、会社に勤めているだけでは、生理的に物足りなかったのです。

そこで、苦手だった文章を書くこともSNSで慣れてきていたので、まずは会社員との二足のわらじでライターを目指そうと思い立ちます。

戦争遺跡ライターを目指すきっかけとなった「戦場のハローワーク」(2011年)

ライターを目指そうと思い立ったころ、今後の生き方について大きなきっかけとなるものに出会っていました。

それは「戦場のハローワーク」(加藤健二郎著 講談社文庫)という本。

戦場カメラマンの加藤氏は、1990年代から2000年代初めにかけて、世界各地の紛争地域を取材します。戦場のハローワークは、日本でニートしている連中は、海外の戦争地域を取材した方が稼げるから戦場に行け!というスタンスで書かれています。

戦場のハローワーク戦場のハローワーク

迷えるニート世代に送る国境を超えた転職講座である。「何をして良いのか分からないけど、何かオモシロイことがしたい」「英語はできないけど海外で働きたい」「どうでもいいけど、日本はウンザリ」などなど・・・。そんな都合の良い現代的な悩み、葛藤に「北朝鮮に初めて?密入国した日本人」「チェチェンの反政府ゲリラに気に入られ」、そして「イラク戦争で初めて日本の盾になった」国境なき戦争屋、加藤健二郎がこの1冊で全て答えます!!戦争ほど危険=面白い旅はない!!

出典:「戦場のハローワークのアマゾンの内容紹介」より引用

戦場カメラマンというと人道的な人が多いイメージでしたが、加藤氏は戦場をユーモアたっぷりに書いていて、人生に迷っている連中は戦場で人生が切り開けるという文体に筆者も惹かれてしまいました。

自分が巡った土地を思い返す

自分の場合、生死のリスクを冒してまで戦場に行きたいとまでは思えませんでしたが、ふと、自分の渡航先を思い返したときに、「戦場」が関連していることに気づきました。

「今まで一番好きだった渡航先はどこだったか?」
→ ヨーロッパ

「ヨーロッパのどの分野に一番興味あって訪問していたか?」
→ ヒトラー、ナチスの時代

さらに、ヨーロッパ各地を周り、歴史的建造物を見るうえで「なぜここにこれが建てられたのか、歴史を知れば見え方も違うのに。」「ここまで来たら、こっちの建物にも注目してほしい。」など思ったこともありました。

日本のガイドブックでは、アウシュビッツ強制収容所やアンネ・フランクの家など、定番の観光地ばかりが取り上げられます。他にも見るべき場所はあるのに触れられず、かつ、建造物の背景については深く書かれていないことにも、歯がゆさにも似た気持ちになったことを思い出しました。

戦場の現場に行けば、現地の状況・生の声など伝えられることは、沢山あるかもしれません。しかし、戦場の痕跡が残る場所にも、伝えていかなければいけない沢山のことがあるはずです。

この思いに気付いた時、現在の戦場じゃなくて、ヨーロッパの戦争遺跡を掘り下げて、調べてみようという思いに至りました。

『日本にその分野のガイドブックがないなら、自分が作ってやればいい。』

そう決意しながら、戦場カメラマンならぬ、戦場跡ライター・・・戦争遺跡ライターと名乗り活動するようになったのです。

筆者はヨーロッパの中華料理屋で食べるチャーハンが大好き筆者はヨーロッパの中華料理屋で食べるチャーハンが大好き

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【連載】受験に勝つ!世界史の勉強法

著者:ヒロマル

戦争遺跡ライター
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1979年神奈川県生まれ、神奈川県逗葉高校、代々木ゼミナールで1浪、立教大学経済学部卒業。

大学在学中からヨーロッパ、アジアなどを海外放浪してハマってしまい、そのまま新卒で就職せずフリーターをしながら続ける。その後、会社員生活をしながらも休み、転職の合間を利用して海外放浪を続ける。50ヶ国以上訪問。会社の休暇を利用して年に数回、渡欧して取材。

2012年からライター業を会社員との二足のわらじで開始。
2014年からwebメディア(株)フォークラスのTOPICS FAROで2つのシリーズを連載中。

▼もんちゃんねる(You Tube)
https://www.youtube.com/channel/UCN_pzlyTlo4wF7x-NuoHYRA

▼「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/warruins
ヨーロッパ各地を取材し、第二次世界大戦に関する場所を紹介。
軍事用語などは極力省き、中学レベルの社会の知識があれば楽しめる記事にしています。
同シリーズが2017年に書籍化。
「ヒトラー 野望の地図帳」(電波社)から全国書店の世界史コーナーで発売中。

▼「受験に勝つ!世界史の勉強法」シリーズ
https://topicsfaro.com/series/wh
2018年から主に世界史を中心とした文系の勉強方法について執筆。
大学受験だけでなく、大学生や社会人の大人の教養としての世界史の勉強方法にも触れて、
高校生、大学生、社会人とあらゆる世代を対象としています。

世間の文系離れを阻止して、文系の学問の復権に貢献することが、2つの連載の目的です。

▼ご依頼、ご質問はこちらのメールまたはツイッターから
hiromaru_sakai@yahoo.co.jp
https://mobile.twitter.com/HIRO_warruins