出版エージェントの出会いから企画の売り込みまで
フォークラスで「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡シリーズ」の連載を開始した数ヶ月後。筆者が通っていた「編集の学校/文章の学校」で、卒業生で本を出版した女性の講演があり、出席しました。
その方は、出版化を考えている著者と出版社の編集者をつなぐ出版エージェントの「企画のたまご屋さん」のスタッフの1人(以下、ほんたまスタッフ)でもありました。
「企画のたまご屋さん」は、応募されてきた出版企画の中から厳選して、スタッフが毎日1本ずつ、出版社の編集者に配信します。そして、編集者の目に止まった企画があった場合は、スタッフを通じてオファーの連絡があり、その後、編集者と面談→出版社内での採用を決める編集者会議→採用か否かが決定します。出版化された場合、印税の3割が手数料として企画のたまご屋さんに中抜きされる仕組みとなっています。
詳しい内容は、下記の「企画のたまご屋さん」サイトで確認してください。
企画のたまご屋さん
https://hon-tama.com/
出版希望を伝え、企画書を作成(2014年11月~)
ほんたまスタッフの彼女に出版化したい内容を伝えたら、前向きに考えていただき、企画を配信していただけることになりました(2014年11月、筆者35歳)。
まず、「企画のたまご屋さん」サイトにある出版社の編集者に送る企画書を作ることからスタートを開始します。
編集者への配信は2015年2月、企画の締め切りは1月の中旬と決まります。
企画は、当時「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡シリーズ」を担当していたフォークラスの編集者にも何度かアドバイスをもらい作り上げます。
そして、年内の12月には企画書をほんたまスタッフに提出。最終的にチェックしてもらい、若干の手直しの後、2月に編集者に配信されることになります。
1回目の売り込みにはオファーが来ず(2015年2月)
2月の平日のある日。朝9時に企画書が配信されたのを、「企画のたまご屋さん」サイトで確認します。筆者は会社にいて朝からソワソワしていました。ほんたまスタッフから、「オファーの連絡がありました!」という返信がないか、何度もスマフォのメールをチェックしていたのを覚えています。
しかし、オファーはありませんでした。
基本的にオファーがある場合は、企画書が配信された当日、遅くても数日以内にはあるそうです。
残念な結果でしたが、今考えると仮に運よくオファーあってもネタ不足だったかもしれません。(この時点で本格的にヨーロッパ取材を開始してまだ3回目の時でした)
1回目の結果後
今回オファーは来なかったものの、得るものはありました。
作成した企画書をベースに手を加えていけば、「企画のたまご屋さん」を通さなくても直接、出版社に売り込みできるし、期間を置いて「企画のたまご屋さん」で再チャレンジすることも可能なはずです。出版化に向けてのベースは作ることができたと感じました。
さらに直接出版社に売り込みをかけたり、編集者が集まるような会に顔を出したりと、積極的に自ら動きました。どれも出版化の採用までは至りませんでしたが、筆者の企画への反応は決して悪くなく、根気よくやっていけば、出版化は可能だと心の中で確信していきます。
そして、筆者は会社員を続けながら、休暇を利用して渡欧→「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡シリーズ」の執筆を続けて、記事を充実させることに専念していきます。
2回目の売り込みでは、2社からオファー(2016年1月)
採用に至らなかった1回目の配信が終わった2月から約半年以上経った秋に、ほんたまスタッフから同じ企画を手直しして再配信してみませんか?という話がありました。
2回目のスケジュールは、年内に企画書をほんたまスタッフに提出して、年明けすぐに配信されました(2016年1月 筆者36歳)。
そして、配信された日に1社からオファーがあり、翌日、更に1社からオファーがあった連絡を受けます。1月中に2社の編集者と面談することになります。
初めて面談した1社目は、都内某駅前の喫茶店。
2社目は出版社へ出向いて面談でした。
両社とも平日の夜で、仕事後向かいました。面談には担当のほんたまスタッフも同行してくれて、採用の可否もほんたまスタッフを通じて連絡がくることになります。
この時、1社目では写真中心で行きたいという話、2社目では写真よりも文章を中心で行きたいという話でした。同じ企画でも出版社によって意向が違うものなのだと実感します。
そして、採用の結果を待ちます。
出版社との面談、取材、異動と忙しい1ヵ月
実はこの時、所属する会社は変わらないのですが、駐在していた会社の業務が1月一杯で終わり、2月から別の会社に駐在になることを12月に告げられていたのです。そのため、1月最後の週は、1週間有休消化して、チェコとオーストリアに取材予定を入れていました。
また年末年始は、ドイツへ取材に行っていたので、1ヶ月の間に2度も渡欧するため、記事の執筆やその準備も非常にタイトでした。
チェコ、オーストリアの出発前に出版社2社と面談、会社では1月になってから2月から駐在する会社が正式に決まる有様で、会社の送別会などもあり、2016年1月は人生で一番落ち着かいない年明けだったかもしれません。
結果待ちの間も新しい記事を執筆
結果が先に来たのは、2社目に面談をした出版社で、帰国直後に連絡がありました。
結論は文章が単調気味なので不採用。
しかし、もう一度文章をリライトして、見せてくれないか?とチャンスも残しておいてくれました。
ただ、もう1社の結果待ちでもあり、チェコとオーストリアや年末年始のドイツの記事の執筆の続きもあったので、返事は保留します。
帰国した翌々日から、新しい駐在先に初出社して仕事を覚える一方、結果を待ちながら、家では記事の執筆活動をしていました。この時、ほんたまスタッフから、もう1社の結果を待っている間、新しい記事の執筆よりも、返信があった出版社のリライト作業をするように勧められます。
それは結果待ちの出版社からの結果が不採用になった時に備えるという意味でした。
理にかなっているとは思ったのですが、出版化するためには、1回目の配信の時にも実感した、まずネタが豊富でなくてはならないと考えていました。
さらに取材直後の余韻が残っている間に、取材記事を一気に書き上げたいと思っていたため、リライト作業の時間は思うように取れませんでした。
ちなみに取材後すぐに執筆に入るのは、今でも基本スタイルとしています。そうするのは、取材から時間が空くと記憶も薄れ、モチベーションが下がるリスクを、少しでも防ぐ狙いがあるからです。
(これは筆者に限らず、取材して執筆しているライターにはよくある話だと思います)
2社とも採用には至らなかったが、自信を得る
結果待ちだった2社目の結果は3月に来ました。
結果は不採用でした。
面談をしていただいた編集者の方は、推してくれていたそうなのですが、採用の営業会議でもう少し見栄えのある写真がほしかったという意見が出されたということでした。
2社からオファーがあったにも関わらず、惜しくも採用に至らなかったので、出版へのモチベーションが下がってしまい、返信を保留中のリライト作業へもイマイチ力が入りませんでした。ただ、2社からオファーがあったこと、編集者と直接面談してそれなりに評価をしてもらったことは自信となりました。
web記事への執筆に力を入れる
引き続き、「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡シリーズ」の執筆に専念する決意を固め、5月のGWにドイツ、フランスへ。
7月には夏休みをとってロシアに取材、執筆。
ロシアから帰国直後には、年末年始はスペインへ行く手配をします。
5月~6月にかけて、ほんたまスタッフからの後押しもあって、返事を保留中の出版社のリライトをしますが採用には至りませんでした。ただ、このリライト作業はのちに採用された時に生きていくことになります。
会社員をしながら、「会社員をしながら、30代で作家デビューした方法-その4」では、3度目の売り込みでついに採用に至った経緯を紹介します。
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