どこにある?ヨーロッパの果て?ヴォルフスシャンツェ
1941年6月22日、独ソ戦が開始されます。ヒトラーは少しでも前線に近い場所で戦争を指揮するために、開戦翌日6月23日、総統専用列車「アメリカ号」でベルリンを出発。東プロセインに向います。6月24日、深夜、総統本営「ヴォルフスシャンツェ」(狼の巣)に到着しました。
ヒトラーは、演説や式典でベルリンに戻ったり、静養や補強工事のため、ベルヒデスガーデンに一時的に滞在した時以外は、終戦近くまでの大半をヴォルフスシャンツェで過ごして戦争の指揮を執ります。
そのヴォルフスシャンツェの今を紹介したいと思います。
ヴォルフスシャンツェは当時、東プロセインの中心都市ケーニヒスブルク(現ロシアのカリーニングラード)の南東100kmほどのところにあるラステンブルクの郊外にありました。そのラステンブルクは現在、ポーランド領にあり、ケントシン(Ketrzyn)という名前になっています。
ケントシンは、ポーランドの地図上では北東にあり、ロシアの飛び地、リトアニアと近い僻地とも表現できる場所にあります。
現在のポーランド回廊?スヴァウキ・ギャップ
ケントシンより更に東に行くと、「スヴァウキ・ギャップ(回廊)」と呼ばれる、リトアニア=ポーランド国境があります(上記のグーグルマップの画像を見ると、ケントシン右側には、回廊の由来となっているリトアニアとの国境にあるスバウキの街があることが確認できます)。
スヴァウキ・ギャップは、西はベラルーシ、東はロシアの飛び地に挟まれた全長100km弱の国境線で、ロシアが中心となるCIS国(独立国家共同体)に挟まれています。
本記事を執筆中の2024年1月現在、ロシアとウクライナの紛争が続いていますが、スヴァウキ・キャップは西側諸国が加盟しているNATO側が、同じ加盟国のバルト三国への唯一の陸路での補給路となっています。そのため、NATO側が頻繁にこの地帯に偵察機を飛ばすなど緊張が高まっています。
かつて東プロイセンと呼ばれドイツの領土だった、ロシアの飛び地のカリーニングラードは、ロシア海軍のバルチック艦隊の本拠地となっており、ロシアの軍事拠点としても重要な地域です。
1991年、ソ連の崩壊によりバルト三国が独立。ソ連本土と地続きだったカリーニングラードは飛び地となりました。かつて第一次世界大戦後にドイツの飛び地となった、同地の東プロセインと被って見えてしまいます。スヴァウキ・ギャップは当時のポーランド回廊に相当して、現在の世界の安全保障の境界線とも言えます。
ポーランドはウクライナと国境を接して、ポーランドへの供給基地の最前線となっている。
筆者はそんな軍事的な緊張が高まっている場所に近い、ヴォルフスシャンツェがあったケントシン(旧ラステンブルク)にグダンスクから列車とバスを使って行ってきました。
まずはヴォルフスシャンツェのゲートウェイの街、ケントシンまで辿り着こう
ヴォルフスシャンツェのあるケントシンまでは、ポーランドの首都、ワルシャワからだと、乗り換えも含めて、片道、7時間~8時間以上はかかります。またケントシン付近は鉄道やバスの本数も少ないので、ワルシャワから日帰りは不可能です。
まずはワルシャワから優等列車がたくさん走っているので、2時間30分~3時間ほどで行けるポーランド第3の都市、北部にあるグダンスクまで行くのが良いと思います(東京~大阪を新幹線で移動する感覚です)。
グダンスク駅に到着後は、ケントシンが所属するヴァルミア・マズールィ県の中心都市、オルシュティンまで列車で行きます。そこからバスに乗り換えます。ケントシンにも鉄道の駅はありますが、冬季はバスが代行しています。グダンスクからオルシュティンまでは優等列車で約2時間~2時間30分、オルシュティンからケントシンまでバスで1時間30分ほどです。
バス停は駅から真っすぐ左方向に歩くと直に着く。
時間帯によっては、オルシュティンの先まで列車、そこからケントシンまでバスというスケジュールもあります。筆者も帰りはケントシンからコルシェ(korsze)という街までバス、そこからローカル列車に乗って、オルシュティンまで行きました。
代行バスはケントシン駅横のバス停に着きます。街の中心部から少し外れていて、中心部は左側の道を駅舎からみて左側に進んでいきます。筆者は中心部にホテルを予約していたので、雪道の中、30分ほど歩いてホテルまで行きました。冬季は雪が積もっているので、中心部のホテルに行く場合はタクシーを使うのが無難かと思います。駅前にも何台かタクシーは止まっています。
オルシュティンからの発着のバスは、駅舎を背にして左側。
ヴォルフスシャンツェ訪問の起点となるケントシンには、ガイドブック、インターネット上にもほとんど旅行情報がありません。
参考までに、筆者がケントシンで2泊、宿泊したホテル、2つ星の「Hotel Wanda」を紹介します。
2024年1月現在、シャワー、トイレ付き、シングルで1泊5,000円ほど、朝食は25ゾロチ(1,000円ほど)でした。宿泊費は季節、レートによって変わる可能性があります。
レストラン、バーも兼ね備えています。
ホテルの隣には、コンビニエンスストアもあります。
イントロダクション
Hotel Wanda
住所:ul.Wojska Polskiego 27,11-400, ケントシン
ヨーロッパ旅行はスマホを活用することで便利に
ケントシンは地方都市なので、ワルシャワやグダンスクより宿泊費が安いですが、ホテルの数が少ないので、ホテル予約サイトのアプリから予約していきましょう。また、コロナ禍以降、ヨーロッパのレイルパスはモバイル化され、鉄道の時刻表も検索しやすくなりました。現在の海外旅行はスマートフォンが必須なので、一昔前のガイドブック、紙のレイルパスに慣れていると、最初は戸惑うかもしれませんが、旅のツールをモバイル化していった方がとても便利です。
レイルパスについては、「【第86回】コロナ禍後、初めての渡欧、ドイツの様子は?」編をご参照ください。
また、今回のポーランド取材の最後の夜に筆者がYouTubeで、取材の総括を含めたポーランド旅行について語っています。こちらも併せて、ご参照ください。
関連動画 |
27回目のヨーロッパ、4回目のポーランド、総括(@YouTube) |
「【第105回】ヒトラーが独ソ戦を指揮した前線基地、ヴォルフスシャンツェ」編は5部構成です。
【第105回】ヒトラーが独ソ戦を指揮した前線基地、ヴォルフスシャンツェ-その1
>【第105回】ヒトラーが独ソ戦を指揮した前線基地、ヴォルフスシャンツェ-その2
>【第105回】ヒトラーが独ソ戦を指揮した前線基地、ヴォルフスシャンツェ-その3
>【第105回】ヒトラーが独ソ戦を指揮した前線基地、ヴォルフスシャンツェ-その4
>【第105回】ヒトラーが独ソ戦を指揮した前線基地、ヴォルフスシャンツェ-その5