保存に関して論争が絶えない生家
ブラウナウにあるヒトラーの生家は保存方法を巡り度々議論されていて、海外の記事を見ていると、その様子を時々目にします。
2012年頃まで福祉施設として活用されていたヒトラーの生家は、筆者が2016年1月下旬に訪れた時は空き家となっていました。
ヒトラーの生家ということで、ネオナチの聖地となる危険性があるため、オーストリア当局も保存方法について頭を悩ませていました。
ブラウナウに暮らしたことがあり、ヒトラーの生家の前のお店で働いていた日本人の方の話では、ヒトラー誕生日の4月20日は警官が警備をして物々しい雰囲気になるそうです。
今後の行く末が気になっていた折、2023年8月、オーストリア内務省が方針を発表しました。2023年10月からヒトラーの生家を警察署としてリニューアルする工事を開始し、2025年までに完成、2026年から警察署として開設予定としたのです。
筆者はリニューアル直前と思われる2023年9月13日、ブラウナウに7年半ぶりに訪れてきました。
2023年9月現在のヒトラーの生家
ブラウナウやヒトラーの生家へのアクセスは、以前訪れたときの記事「【第32回】オーストリアの旅。ヒトラーの足跡を辿ってみる 少年時代編」をご参照ください。
約7年半ぶりに訪れたブラウナウ駅。前回訪問時より駅舎が新しくなっていました。
しかし、ブラウナウの街の中心部、生家への道順、街並みはほとんど変わってない印象を受けました。街の中心広場に着くと、平日午前中にも関わらず、市場が開催されて、多くの人で賑わい活気があります。
そして広場から徒歩数分圏内にあるヒトラーの生家までやってきましたが、全く変化はない感じでした。
ネオナチが集まるのを防ぐためにあえて作ったといわれる、生家の前のバス停、ファシズムの過ちを伝える石も現役でした。前回訪問時、筆者がコーラを買って、ヒトラーの生家を堪能したスーパーも絶賛、営業中。生家自体も以前同様、何かの施設、住民がいるような気配も全くありません。
筆者が訪問した翌月(2023年10月)から、警察署への改修工事が始まるとのことですが、ヒトラーは生家を官署に改修するのが希望だったとして、ヒトラーの意に沿う形となり、意義を唱える勢力もあります。また生家をリニューアルして面影が無くなると、ネオナチが逆上して何をしでかすかわかりません。
今後、ブラウナウのヒトラーの生家を巡り、現地からの報道に注目していきたいと思います。
関連動画 |
ヒトラーの青春を追う旅 ブラウナウ編① ヒトラーの生家の今?! 2023年9月13日現在(@YouTube) |
ヒトラーが洗礼を受けた教会
前回は訪問できませんでしたが、ヒトラーの生家の近くには、ヒトラーが生まれた2日後に洗礼を受けた聖シティファン教会があります。
広場から見える尖塔が聖シティファン教会となります。
ヒトラーの父親アロイスが、妻クララとの結婚の懇願書をこの教会の司祭を通じてローマ法王に提出しました。
なぜローマ法王に結婚の許しを求めたかというと、それはアロイスとクララが血縁関係にあったからです。いわゆる近親相姦です(血縁関係は複雑なのでここでは説明は省きます)。
キリスト教では血縁関係の婚姻は禁じられており、アロイスは妻、クララの生活の困窮を理由に婚姻の許可を求めたのでした。
ヒトラー自身はキリスト教のカトリック教徒になります。ヒトラーは政権を取ってから、政治的な利害によりキリスト教団体を迫害していきますが、自身は生涯キリスト教を離脱することはありませんでした。
アロイスはクララとの無事、結婚を許され、1885年1月7日午前中、このヒトラーの生家で結婚式を挙げます。しかし、結婚式が終わるとすぐ職場に出勤したほど仕事人間だったのです。
アロイスは、オーストリア帝国の公的機関である税関の上級官史でした。アロイスの職場だった税関の建物も残っています。
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ヒトラーの青春を追う旅 ブラウナウ編② ヒトラーが生まれて洗礼を受けた教会(@YouTube) |
税関職員だったヒトラーの父親の職場
アロイスの職場だった税関の建物は、街の外れを流れるイン川を超えたドイツ領のシンバッハにあります。
ブラウナウはオーストリアとドイツの国境の街で、イン川がその天然国境となっています。
前回のブラウナウ訪問した時の記事では、オーストリアの税関職員だったからオーストリア側に、職場があったのだろうと書きましたが、実際にはドイツ側にあったようです。
現在のEU以外の地域だと、お互いの国境に税関がありグレーゾーン(例えば川などの天然国境)は徒歩、列車を使い移動して、2つの税関で出入国手続きをするのが一般的ですが、当時はドイツ側国境で全てを行っていたようです。
イン川を渡って、最初に橋の左側にある3階建ての建物が税関として使われていました。
現在では土日だけオープンしている小規模な美術館となっています。向かい側の建物は警察署になります。
家からは広場、橋を通り直接距離で歩いて10分ほどで行くことができます。アロイスは毎日、このルートで出勤していたと思われます。職場の窓からはイン川を貨物船が行き来していて、アロイスは眺めていたそうです。
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ヒトラーの青春を追う旅 ブラウナウ編③ ヒトラーの父親アロイスが勤めていた税関事務所(@YouTube) |
父親に職場見学をさせられたヒトラー
ヒトラーが少し大きくなり、リンツ郊外のレオンディングに住んでいた頃、ヒトラーはアロイスにリンツの税関の職場見学に連れて行かれました。
アロイスはヒトラーを官史のような固い仕事に就かせたかったようですが、ヒトラーは全く興味が持てなく、税関を嫌々見学していたそうです。
ヒトラーは世間一般の仕事や職人といったことに興味が持てない、生活のためにお金を稼ぐことにとてつもない嫌悪感を示していました。ヒトラーは芸術家として必ず成功できると信じていました。そんなことは官史であるアロイスが許すわけもなく、親子のいさかいが絶えませんでした。
リンツの税関だった建物は広場とドナウ川の間にあります。街のまさに中心部にあるということは、鉄道、トラックなどの陸上輸送がそれほど発達していない当時、ドナウ川が海上輸送に大きな役割を担っていたと言えるのではないでしょうか。
現在でもドナウ川はヨーロッパの国際河川として、黒海からの外国からの貨物船が行き来して、途中の内陸港(オーストリアではリンツやウィーンなど)で鉄道やトラック輸送に切り替えられています。
関連動画 |
ヒトラーの青春を追う リンツ編①ヒトラーの職場見学?!税関職員の父親に嫌々連れて行かれた税関(@YouTube) |
同シリーズが「ヒトラー 野望の地図帳」として書籍化
同シリーズが書籍化され、各書店の歴史の棚の世界史やドイツ史のコーナーに置かれています。web記事とは違う語り口で執筆していて、読者の方々からは、時代背景が簡潔でわかりやすい、学者とは違うテイストが新鮮、という感想をいただいております。
歴史好きはもちろん、ちょっとマニアックなヨーロッパ旅行をしたい方々の旅のお供になる本です。
著者名:サカイ ヒロマル
出版社:電波社
価格 :1,512円(税込)