ショル兄弟の家からミュンヘン大学までの道のり
ショル兄妹が下宿していた家
ショル兄妹は、兄のハンス・ショルに続き、妹のゾフィー・ショルもミュンヘン大学へ進学します。そして2人は実家のウルムを離れて、ミュンヘンで下宿生活を送ります。
ショル兄妹が下宿していたアパートの建物がミュンヘン大学の近くに残っています。ミュンヘン大学からだと歩いて15分くらい。地下鉄だとミュンヘン大学から一駅の距離になります。2人は歩いて大学に通っていたのでしょう。
地下鉄のGiselaStraße駅を降りて、フランツ・ヨーゼフ通り(Franz-Joseph-Straße)を歩き、左側にショル兄妹が下宿していたアパートがあります(最初の右に曲がるウィルヘルム通り(Willhelm Straße)を曲がらないで、そのままフランツ・ヨーゼフ通りを進めばすぐ左側にあります)。
現在もアパートとなっている建物の裏側に、彼らは住んでいました。建物には小さな碑が飾ってあります。1942年6月から1944年3月22日に処刑されるまで、ショル兄妹が住んでいた旨が記されています。
住所 : Franz-Joseph-Straße 13
最寄駅:地下鉄U6、U3線 GiselaStraße駅
ミュンヘン大学
1943年2月18日、ショル兄妹は、トランクいっぱいに詰めたビラを持って、下宿先を出て、歩いてミュンヘン大学へ向かいます。
下宿先の家から交差点にあるGiselaStraße駅まで戻り、下宿先から見て右側の大通りであるレオポルト通り(LeopoldStraße)を歩けば、ミュンヘン大学に着きます。レオポルト通りにある勝利の門をくぐると、ルートヴィヒ通り(LudwigStraße)になりミュンヘン大学の建物が左側に見えてきます。
ミュンヘン大学の正式名称は、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンで、創設は15世紀と歴史が古い名門大学です。ハンスは医学部、ショルは生物学と哲学を専攻していました。
余談ですが、ヒトラーも第一次世界大戦から復員して、ナチスに入る直前に、数か月間、聴講生として民族主義的な啓発講座を受講していました。
ミュンヘン大学の前は噴水がある広場になっています。大学の建物がある前の広場は「ショル兄妹広場」、ルートヴィヒ通りを隔てた広場は、白バラのメンバーで処刑されたクルト・フーバー教授の名前が付けられた「フーバー教授広場」があります。
ショル兄妹広場には、白バラのビラのモチーフが彫られています。
2人は11時頃、扉が閉まっている教室の前に次々とビラを置いていきます。ゾフィーが残ったビラは3階の吹き抜けからばら撒いてしまいます。その時、大学の用務員に見つかり2人は逮捕されゲシュタポ(秘密警察)に引き渡されます。
ショル兄妹が巻いたビラには、こう書かれていました。
総統よ!我々はこれにお礼を言おう。
(中略)
スターリングラードの死者たちは、「立ち上がれ!わが国民よ!のろしは上がった!」
自由と信念が沸き起こる中、ナチズムによるヨーロッパ征服に立ち向かうために、
出発する。
大学内には白バラ記念館(DenkstatteWeiße Rose)もあります。詳しくは「ナチスが誕生した街ミュンヘンを歴史と共に歩く」編をご参照ください。
最寄駅:地下鉄U6、U3線 Universität駅
ゲシュタポの取り調べが行われた場所
ミュンヘン大学で逮捕されたショル兄妹は、ゲシュタポの本部に連行されます。
ゲシュタポの本部は、ミュンヘン大学からルートヴィヒ通りを南下し、ミュンヘン一揆の終着地点だったオデオン広場から伸びるブリエナー通り(Brienner Straße)沿いにありました。
オデオン広場は、「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅4 ~ヒトラーの挫折編-その2~」をご参照ください。
現在は銀行になっているゲシュタポの本部は、ヴィッテルスバッハ宮殿の中にありました。この宮殿はヴィッテルスバッハ家の最後の君主、ルートヴィヒ3世が退位する1918年まで住んでいたところです。
ショル兄妹は4日間、ゲシュタポの取り調べを受けることになります。
ゲシュタポの取り調べというと、映画などでよく見かける容赦ない拷問のシーンがありますが、ゾフィーには、夜中の取り調べの最中、温かいコーヒーが出されたり、独房にいる時には、果物やビスケットを差し入れしてくれたそうです。
そうするのは、取調官もショル兄妹の態度に感銘を受けたからかもしれません。彼らは取り調べ中も一切、弁解せずに自分たちの信念を貫いていたのです。取調官は若い彼らに心を動かされます。最悪、死刑を免れさせるために、誘導尋問を行います。
取調官
「こういったことをよく考えたら、こういった行動には出なかったのではないですか?」
ゾフィー
「考え方が間違っているのは、あなた達の方ですから。」
ショル兄妹は、4日間の拘留の後、ついに裁判を受けることになります。
住所 :Brienner Straße 20
最寄り駅:地下鉄 U4、SバーンS1 Odeonsplatz駅
徒歩圏内の場所にナチス時代のゆかりの場所が密集しているミュンヘン
ブリエナー通りに面していたゲシュタポの本部の左横から、テュルケン通り(Türken Straße)が伸びています。テュルケン通りを進んでいけば、ヒトラーとエヴァがデートするときに待ち合わせした交差点や、次の「その3」で紹介する、ヒトラーを暗殺しようとした家具職人のゲオルク・エルザーが働いていた家具屋があります。テュルケン通りはナチスの党本部などがあったシェリング通りとも交差しています。
また、ブリエナー通りをそのまま進めば、オベリスクがありかつては褐色の家だったNS文書センターがあるナチスの官庁街になります。
シェリング通りは「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅6 ~愛人エヴァ編-その1~」、ナチスの官庁街は「ミュンヘンでヒトラーの面影を追う旅8 ~開戦への道編~」をご参照ください。
ドイツの第3の都市とはいえ、日本の大都市と比べるとミュンヘンの街は、こぢんまりしています。ナチス時代のゆかりの場所を周っていると、あらゆる場所が徒歩圏内の近所だったことがわかります。ヒトラーゆかりの場所のすぐ近くに、ヒトラーを倒そうとした人が住んでいたりするのです。だからこそ、当時の生活感が感じられるのです。
「ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦争遺跡」シリーズの【第64回】から【第74回】までは、ミュンヘンを中心にヒトラーと彼を取り巻く人たちを紹介しています。人物だけでなく、彼らとゆかりがある場所が辿れるように、通り名のスペルやアクセス方法、行き方なども可能な限り紹介しているので、グーグル地図などと併せて参考にしながら、現地で周っていただけたらと思います。
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る は、3ページ構成です。
「その1」から順に読んでいただくと、より楽しんでいただけると思います。
< 【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その1
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その2
【第74回】ミュンヘンでヒトラーに抵抗した市民の痕跡を巡る その3 >